第九章  タルタロス山脈を越えて

 

 

九月十三日。タルタロス山脈内アース、ジュピネル国境沿い。

 地図伝いに四方八方を背の高い木々の間を行軍する我々、グラウコーピス軍。

千二百人もの頭数ながら、幸運なことに、山中の生い茂った黄葉のおかげで敵やアース軍に発見される事もなかった。時期が中秋であることが幸いした。もしも冬にでもなって葉が全部散ってしまったら、兵士たちの防具が光を反射して、発見の危険も増大していただろう。

「あの山はエベレイスだな?」

「はい。アースの中で一番大きな山です」

 ヘルメスが私の隣を歩きながら発した。

「地図的にそろそろか」

いよいよ、一気に南下する時が来たのかもしれない。

 何の目印もないこのタルタロス山脈内。勘と地図によってジュピネルの都イオリアを見定めなければならない。ただ、南下する絶好のポイントの近場にエベレイス山があるとだけはわかっていた。

「アルテミス、日の入りまであとどれくらいだ?」

「ざっと三時間ほどでしょうかね。まだ日は高いですよ?」

南下には、絶好のポイントと判断を下すほかに問題がある。

それはイオリアから離れた場所に点在している砦であった。頑丈に居を構える砦は、例え上手く攻略できたとしても数日はかかる見込み。勿論、その間に我々のことはイオリアに伝わってしまい、迎撃体制が整ってしまうだろう。そうなれば、イオリア攻略はおろか我々が包囲殲滅戦に持ち込まれる。そうなれば、いくら私でも勝てる見込みはない。

 つまり、本作戦の成功条件は、如何に砦に駐屯する部隊に発見されず、突破できるかにかかっているといってもいい。しかし、それは誰の目から見ても不可能だ。どんなに虎の如く疾風しようとしても、人の目は確実に捉えてしまう。月明かりの夜でも同じことだ。磨かれた鎧が月の光を反射して光ってしまうだろう。

しかし、私には自然の力を借りた、三十日に一度の策があった。

「よろしい、行軍中止!」

 威勢のいい声が森中に響き渡り、兵士たちはびしっとその歩みを止めた。ここまでよくぞ私の行軍に付き合ってくれたものだ。本当ならば誰一人として死なせたくないが戦となればそれも適わない。

「夕暮れまでここで休憩する! 今夜は徹夜で歩き通し、夜も更ける頃にイオリアへと到着する! 今日の夜がイオリアの人間どもにとって最後の平和な晩となるであろう! 我らはタイタニアの無念をイオリアの人間に知らしめ、タイタニアを攻めた兵士達に目に物を見せてやるのだ!」

腹から底知れぬ力を込めた声で兵を激励する私。この役目にももう慣れた。アルテミスもヘルメスも黙って私の言うことを聞いている。その顔は笑みすら浮かばないが喜んではくれていよう。兵たちはやる気に富み、剣を空高くへと突き立てるものもいれば、ガッツポーズをする兵もいる。

グラウコーピス軍はきっと後世まで語り継がれる軍団となろう。だがそれは、サトゥル側が勝利すればの話だ。私はきっとそうさせてみせる。あのアイレスにあっと言わせてもやりたいから。

 解散後、兵たちの行動を自由にさせている間に、私は私でアルテミスを呼んだ。

「アルテミス、軍議を開く。少し時間をくれ」

「そんなぁ、かしこまらなくてもいいですよ。私の体はもうアティナ様のものなのです」

 こいつはどれだけ私のことが好きなのか。メーターで計れるなら計ってみたいものだ。おそらくは針は振り切れ、内部構造から吹っ飛ぶ羽目になるだろう。憧れているのはわかるが、なぜこんなにまで重度の陶酔となったのか。謎だ。

 私が呆然としているとアルテミスがいつのまにかすぐ隣にまで歩いてきて、私の手をギュッと握ってきた。

「お、おいおい……」

「いいじゃないですか。女の子同士、仲良くしましょ?」

「わ、私としては十分仲良くしてるつもりだがな……」

「むぅぅ。ぜんぜん満たされないですぅ」

 こりゃ、ヘルメスが私を孕ませたなんて事実が知れ渡ったときは、奴はこいつに殺されるな。おそらく、奴が雇った暗殺者が、ヘルメスを事故死に見せかけて暗殺するのだろう。可哀想なヘルメス。私は産み落とした赤子とともに生きていくさ。なんてな。

どこか黒い白剣士を足元の草の上に座らせた上で、私はこれからのことについてを漏れのないよう、徹底的に話し合った。問題は、砦を無事に抜けるにはどうするかだ。長い長い一列縦隊では発見される可能性は高い。したがってあぜ道を通れるギリギリの四列縦隊で一気に突っ走る。それで二人の意見は一致した。

「でも、昼でも夜でも砦ともなれば気づかれてしまうのではないですか? どうするんです? 発見されたのであれば戦わなければならないでしょう」

「まぁ、月明かりが強ければ発見はされるわな。だがしかし、新月の夜ならばどうだ?」

「新月……ですか?」

 そう。あの大きな月が三十日に一度だけ消えるときがある。理由はわからないが、忽然と消え失せて空は普段よりも大分暗くなる。

「ああ。真の闇が世界を支配する世界だ。絶対にうまく行く。それとも、他にいい案があるのか? あるのならばしっかり聞いてやる」

しかし、私の問いかけにアルテミスは眉を顰めて傾げる素振りを見せた。

「まぁ、あとは従来の作戦通りにできるだけ迅速に道を突っ走るだけだな。ここが正念場だ。頼むぜ、女王陛下」

「ええ。任せてください。きっと、貴方の悲願を達成させて見せます」

「あと、勝利の美酒も頼むぜ」

「はい!」

 

 

そのころ、タイタニア。

 燃えていた炎もこの頃には消え失せ、黒い煙がタイタニア全体を覆うような光景が広がっていた。その戦跡目掛け、未だかつて無い規模の軍団が近づいていたのである。

私の予測よりも早く、国境付近に展開していたサトゥルの残軍六千八百が結集し、タイタニアにいる敵に復讐の矢を射掛けようとしていた。

「タイタニアが堕ちてる……。やっぱり、報告は本当だったか」

「早くジュピネルの糞どもを駆逐したいもんだぜ」

「あいつらは絶対に一人残らず血祭りにあげてやろう」

 兵たちは皆々、愛しい家族を殺され、汚されたと思って鶏冠に来ていた。

心優しい人間も、そうでない人間も均等にジュピネルの兵士は皆殺しにするつもりであった。ジュピネルの兵士たちも哀れであろう。彼らはこの兵士たちから家族を奪っただけではなく、命を掛けて仕えていた王族を皆殺しにし、愛する故郷である都を火の海にしたのだから。

民族の誇りを汚された彼らにとって、もはやジュピネルの人間は人ではなかった。

「見えた! 二千メートル先にジュピネル軍!」

斥候部隊からの叫び声が、サトゥル大軍団の兵士たち全員の気を引き締めさせた。彼らの視線の先、燃え盛って灰燼に帰したタイタニアの無残な姿の足元に、ジュピネル軍の巨大な野営キャンプはあった。

タイタニアは炎によって破壊しつくされて危険なため、中に入ることができなくなった。よって、彼らは街の外にキャンプを張っていた。そのテントの数は大兵力であることを見せ付けるかのように膨大で、その野営地の周りには二重の簡易な柵が設けられていた。均等感覚で物見櫓も立てられている。

「おい、サトゥルの軍勢がこっちに向かってくる。急ぎ司令官殿に言伝を」

櫓に登った兵が下で勝利の美酒に酔いしれている兵士に言った。

「了解だ。武装解除させて捕虜にしてやろうぜ!」

 愚かであろう。彼らの恐ろしさを酔い痴れたこの男はまるでわかってはいなかった。テントの中で欲望のままに男に犯されて、悲痛に泣き叫ぶ女たちの声をバックに、彼は千鳥足で司令官専用のテントへと向かった。

司令官専用テントの中からも二人のまだ年端もない若い泣き声が轟いていた。本当に憎たらしいことながら、司令官にはアルテミスの妹二人があてがわれ、純潔を散らされたばかりか、そのあと何度も何度も弄ばれていたのである。

「司令官殿。サトゥルの軍勢がこちらへと向かってきます。武装解除令の通達をお願いいたします」

 酒で顔を真っ赤にした兵士がテントの入り口付近で甲高い声を上げた。

「なんじゃと? くそぉ、サトゥルの奴らめ、もう少し時間を選ばぬか」

しばらくして、ジュピネル軍の総司令官で、父の腹心であるオーディウスは、腰にタオルだけの姿でテントより現れた。夜通しで楽しんだのだろう、疲労の色が顔に見える。

「奴らの場合、朝飯の時間が早いんすよ。せっかちで馬鹿だから」

「なるほどのぉ。そのとおりじゃ。ほいほいとアイレス様の作戦に乗ってくれたのもそのせいじゃな」

兵はタイタニア名産のイチゴ酒がたっぷりと入った酒瓶片手に冗談を零した。不機嫌そうな顔をしていたオーディウスもクスリと笑い、その肥えた体を再びテント内へと入れた。

 なにやらガチャガチャと物音がテント内より響き、すぐにしっかりとした軍服を着こなしたオーディウスが勲章を散りばめた胸を張りながら現れた。その貫禄はさすがは将軍という感じだ。やっていることは最低だがな。

「娘たちはどうします?」

「王族は皆殺しにせよとの陛下のお達しだ。十分に楽しませてもらったからな。もう殺せ。おっと、その前にお前も楽しんでみればどうじゃ? さすがは王族じゃ、美形じゃぞ?」

「いえいえ。私には可愛い妻がいますんで。盗みはできても浮気はできません。」

「お前は欲のない男じゃな。では、後始末をよろしく頼むぞ?」

「はっ」

 頭を下げる兵はオーディウスが立ち去るのを見届けると、平然とした様子で剣を片手にテントの中へと入っていった。一糸纏わぬ少女たちの泣き声が一瞬の悲鳴に変わったかと思えば、鈍い肉を切り裂くような音がして、それを最後に静寂が訪れる。

アルテミスの妹は、名前こそ知らぬがまだ十六歳と十五歳だった。まだまだこれからという時期で、苦痛と恥辱をこれでもかと味合わされた挙句、幕を下ろすことになった。神は本当に無慈悲で気まぐれだ。

 テントを出たオーディウスは、我が父の降伏勧告書を大事そうに片手で握り締め、別の兵士が用意した自身の馬に跨った。それから、百メートル手前まで迫ったサトゥル大軍団のほうへと数人の部下たちを連れて向かう。これが武装解除をする際の儀礼である。国際法にも上記されている。

そのオーディウスの行動を見て、六千八百の兵士たちを統括するサトゥル軍第二師団の司令長官オリエリスが、同じように数人の兵士に守られながら前へと馬を歩かせた。

やがて、ジュピネルとサトゥルの老兵たちがその歴戦の将たる顔を見合わせ、太い声を交えた。

「ジュピネル軍サトゥル攻略部隊指揮官のオーディウスである。すでにタイタニアは落ち、王族は滅んだ。よって国際戦争条約に乗っ取って武装解除を促すものである。従わぬことは許されぬ。返答は如何に?」

 強く威圧する、まさに武士の声だ。やっていることは人として最低のことながら、その兵としての魂は認めない予知はない。すると、オリエリスもまた覇気のある鋭い声を、薄汚れた空目がけ放った。

「私はサトゥル第二師団師団長オリエリス。全兵の司令官として臨時の役目に着いておる。貴君の申し出は最もで、何ら不満を言うところはない。だが、それを受ける前に、一つ、この書状を読み聞かせよう」

「なに?」

 オーディウスは困惑した。そんな書状があるなど予想外だったからだ。

さらに彼は、オリエリスの背後にいるサトゥルの兵士たちの顔を見て息を呑む。誰もがが未だ衰えぬ戦意旺盛の顔をしている。まるで、タイタニアを奪還して見せると言っているような顔をしていた。

それが今の彼には背筋も凍らせるほどの恐怖を与えた。だが、指揮官としての面子上、返事を受け取るまでは逃げ出すわけにも行かない。

オリエリスは、その逞しい腕が広げる私の書状を、力強い声で叫ぶように言った。

ちなみにその書状は、伝令兵が砦に行く際にその司令官に渡しすように言っておいた書とは別の、決戦目前にジュピネル軍に対して読むように言って託した書であった。

「我が祖国ジュピネルの者どもへ告ぐ。よくも私の大切な都を襲ってくれたな。この手紙が読まれているころには同じようにイオリアが猛火に包まれていよう。お前たちは復讐に色めき立つサトゥルの憎しみを味わい、苦しみながら死んでゆくがよい。これは自業自得だ。神々の怒りを受け、天涯の断罪を受けよ。以上、元ジュピネル第三王女、アティナーデ様からの書である!」

「あ、アティナーデ様じゃと?!」

 オーディウスは完全に予想外のそれに目をあんぐりさせて固まった。

「あのお方はアルテミス様を国王に推挙なされた。我らも勿論、賛成だ。よって戦争継続は問題なく可能である! 貴様ら、覚悟は良いな?!」

 オリエリスの闘志が沸騰しかる最後の怒声に、サトゥルの軍勢たちも牙を剥き出しにして剣を抜いた。その剣にて敵を一刀両断に叩き斬りたい……その執心は強大な闘志となって底を知らずに沸いて出た。

 弓兵も弓を置き、不慣れな剣を抜く。テントの中にいるだろう、同郷の人間に矢でも当たったら大変なことになる。なので、滅多に使わない剣を抜いての突撃となった。

「くっ、くそぉーっ!」

 慌てて引き返そうとするオーディウスだったが、そんな彼にオリエリスはただ一人、弓を構える。鉄ごしらえのとんでもない重厚な弓だ。それを引くだけで相当な力が必要だった。豪腕だからこそ射掛けられる矢は目にも止まらぬ速さであることだろう。

「陛下っ! 仇はきっと討ちますぞっ!」

 彼は開戦の合図の矢を、筋肉隆々の腕で放つ。

矢はやはりとんでもない速度で音を立てながら飛んだ。

それは、一直線にあせあせと逃げる達磨のようなオーディウスの首を貫いた。矢じりが肉を切り裂いて首から突き出ると、彼は白目を向いて、馬上より水気を失って硬くなった田に落ちた。

「皆の者っ!突撃ぃっ!!」

 大地を揺るがす巨大な咆哮を、到底発せられるとは思えぬ大きさの口の中から飛ばす。ながらに、右手で剣を抜き、その剣先をジュピネルの野営地へと向けた。それとともに、六千八百の巨大な人数が怒号を飛ばしながら走り出した。

「んぁ? 何の騒ぎだ?」

 サトゥルの兵士たちが出す巨大かつ慨嘆するような叫びを聞き、テントの中でくつろいでいたジュピネルの兵士たちがひょっこりと顔を出した。

「馬鹿ヤロウ! 敵だ! さっさと戦う準備をしろ!」

 表に出て成り行きを見ていた兵士たちが、血相を変えてテントを駆け巡っては、中で休んでいた兵士たちに叱咤していった。だが、完全に油断をしていた兵士たちの動きは遅く、ほとんど間に合わずに、狼の群れは無抵抗のままに柵を飛び越え、陣地の中へと殺到していったのである。

 それはもう、狼の群れが寝ている羊の群れの中に飛び込むようなもの。一方的すぎる蹂躙の始まりである。

 とあるテントの中へと飛び込んだサトゥル兵士の目は、中で年端もない清楚な少女に手を出そうとしている三人の敵兵を捉える。すでに衣服を破かれて必死の抵抗を泣きながらしている彼女の姿に、この兵は爆弾のように心を大爆発させる。

「貴様らぁ!!」

 敵兵が怒号に驚いて振り向くがもう遅い。兵はまるで私のように俊足の剣を振るって、あっという間に三人の敵兵を切り刻んだ。絶命を免れて、重傷を負いながらも逃れようとする敵兵に対して背後から力任せに一突き。あたり一面、血の湖ができた。

 剣を敵兵の体から引き抜き、血糊を飛ばしてから鞘に収めると少女に駆け寄った。

「大丈夫か?! 助けに来たぞ!」

 見たところ、まだ危害は加えられていないらしい。少女は泣きっ面で兵士の顔をじっと見つめていた。

「はい!!」

 これぞ天命。娘は服を剥ぎ取られた胸部を隠しながら、来ないと考えていながらも来てくれた兵士に嬉し涙を零しながら抱きついた。

「よしよし。俺たちはジュピネル軍を殲滅している最中だ。もう大丈夫。ほかの皆も仲間たちが救出してくれているよ。君が悪さをされる前でよかった」

「本当に……ありがとうございます!!」

このような光景がテントのいたるところで起こっていた。その都度、隙を突かれたジュピネルの兵士たちはなぎ倒され、例え、死ななかったとしてもテントから表へと転げたところで、駆けつけた別の兵士たちによって止めを刺される。

 壮絶な白兵戦ではなく、これは一方的な蹂躙。油断し、酒を大量に飲んでしまっていたジュピネルの兵士たちは、突如として現れた大軍に、生命の本能だけに任せて剣を振り回すしかできなかったのである。しかも、サトゥル軍は無駄に死者を出すのを防ぐために三人がかりで一人を相手にしていた。勝てるわけがない。

 私もその場にいたら感心していただろう。それほどに連携の取れた戦術で確実に敵を仕留め、囚われていた者たちを救い出した。捕まっていたのがほとんど女だけだということに嘆く兵もいたが、それでも彼女らが殺されていないだけマシだったのかもしれない。

「くそ! タイタニアに逃げろ! 篭城するんだ!」

 意識のしっかりしているジュピネル軍の何割かは、野営地よりは防衛のしっかりしているタイタニアの中へと逃げ込んだ。

すぐにでも城壁へとよじ登って矢を射かけようとするのだが、彼らが城壁に寄りかかった瞬間、高熱で焼かれたレンガが砂のように崩れて一気に下へと落下。兵はそのまま十メートル下の硬い地面に落ちて砕け散った。

「一気に殲滅しろ! 情けはかけるな! 皆殺しにするのだっ!」s

オリエリスは怒涛の追撃を敢行する。そう叫ぶ彼の腕の中には薄い毛布一枚を纏ながら泣きついている彼の娘がいた。まだ十四になったばかりの、ボロボロと大粒の涙を零している愛娘。まだ嫁入り前だというのに味わった屈辱と恥辱と恐怖。それに体を震わせる彼女に、オリエリスも冷静な感情をふっ飛ばしていた。これが本来の父親の感情なのだろう。私の父とは全く違う。

私の父は自分の命を守るためなら喜んで娘たちを差し出すだろう。娘たちが、例え何人もの男たちに輪姦されたとしても、自分の命だけを考えるにちがいない。

不意打ちに近い怒涛の攻撃を受けたジュピネル軍は、もはや正常な軍としての機能を失っていた。兵士たちはただただ自分だけを守りたいがためだけに逃走し、我先にと、城塞都市としてはすでに防衛能力がほとんど失われたタイタニアの都へと逃げ延びていった。

本来ならば敵の侵入を防ぐための強固な門があるはずなのだが、すっかり炎で焼け落ちてしまった。それをやったのは他ならぬ自分たちである。まさに自業自得であろう。

野営地をたやすく突破したサトゥル大軍団の兵士たちは、ほとんど無抵抗のまま、我先にと故郷のタイタニアへ入っていった。ジュピネル軍も矢を射掛けはするのだが、倒した兵士はわずかばかり。大津波に小石をぶつけるようなもので、たいした足止めにはならず、逆に雨のように矢を浴びて城壁から転落する運命にあった。

「者ども行け、行くのだぁっ! 我らが祖国を踏みにじった奴らに死の鉄槌をぉっ!!」

 オリエリスも年甲斐にもなく騎馬に乗ってタイタニアへと突っ走った兵士の中の一人であった。娘は人質を保護するための部隊に委ね、心置きなく親としての復讐ができると盛っていた。

それと同時にタイタニア西部に設けられていた捕虜収容施設もサトゥルの兵士たちが強襲。簡単に警備兵を皆殺しにしたあとで、隔離されていた子供たちを救い出した。この子供たちは奴隷として高く輸出できるので、丁寧に扱われていたことが幸いし、誰一人として怪我は負っていなかった。

タイタニア街中での戦闘はしばらく続いたものの、防衛戦争はジュピネル側の圧倒的不利であった。確実に包囲され、一人、また一人とサトゥルの優秀な剣術によって殺されていった。最後の一人が倒されたのは戦闘開始のわずか二時間後である。

「よろしい! では、ジュピネルの旗を落とし、サトゥルの国旗を翻させよ!」

オリエリスの声を受け、再びタイタニアのマーズトラス城にサトゥル国旗が翻るのであった。それを眺める兵士や解放された人々たちは大歓声を上げて祝福した。サトゥルの威信にかけてのこの作戦は見事なまでに成功したのである。

結果、サトゥル側の戦死者は百四十三名。ジュピネル側は五千四百名あまり。まさに圧倒的な戦闘結果である。それとともに、ジュピネルの総兵力は完全に従来の三分の一にまで低下してしまうのだった。圧勝という言葉が今回の戦いにはふさわしいだろう。

 

 

 

 はてさて、タイタニアがこのようにしてサトゥルに奪還された数時間後のこと。

 カラスの編隊が橙色のペンキをぶちまけたような空の彼方へと向かっていく下、私たち、グラウコーピス軍はタルタロス山脈を駆け下りていた。この先数キロに渡っては草原が続く。夜を迎えるころには田畑の広がる農村地帯へと抜ける予定だ。現地点からイオリアまでは十五キロ。一晩走り続ければ余裕で到着できよう。

 いよいよ、決戦のとき。今まで蓄えてきた復讐という力をふんだんに爆発させてよいときが来たのだ。私が振り返って兵士たちの顔を眺めると、彼らはとてもいい顔をしていた。

誰一人として恐れを抱いている兵はいない。彼らはこんな小娘に本当によくついてきてくれた。きっと、満足のいく結果が出よう。いや、私、アティナが出させてやらなければならない。

「アティナ様、貴方にこれからは全て任せます。グラウコーピス軍とサトゥルの命運を全て貴方に託します」

 全知全能な天使のような目をしたアルテミスが私を見つめていた。時折、フフフと口を押さえて上品に笑いながら告げたこの小娘は、師団長の証である金色の認識番号札を私に手渡した。これが師団長の証となる。

「今より、貴方がグラウコーピス軍の師団長です。きっとよい方向へ導いてくださいね?」

 私は彼女の細い手が差し出す金色のそれを力強く引っ手繰る。頬筋を上げて、白い歯を見せる私は首をすばやい動きで縦に振った。

「ああ、任せろ。絶対に私がお前たちに仇を討たせる機会をくれてやる。私自身もあのクソ親父の首を吹っ飛ばせるんだ。こんなに嬉しいことはない」

 その私の発言に、隣にいたヘルメスが何か言いたげな素振りを見せたが、戦いの前に喧嘩になるのを避けたかったのか、糾弾を避けた。しかし、もはや糾弾の必要もなかろう。メイスは私に父を殺してほしくなかったのだ。宗教的にも父親殺しはご法度とされている。無限地獄への転落ともなる。

 だが、私はそれでも父をこの手で殺す覚悟だ。娘が父の暴走を止めずして誰が止めるのか。たとえ、この身が地獄にて灼熱炎舞を踊らされるようなこととなっても、私のこの覚悟と行動は、きっとこの世に救いを齎すと信じている。その証明のように憎むべき敵国の姫である私にアルテミスやヘルメス、アフロディテ、ヘスティア以下大勢の兵士たちが従ってくれているのだ。

 彼らのために戦えるのであれば……彼らのために地獄に落ちるのであれば……それもまた、私の運命なのだろう。神の裁きを受ける際にも、私は胸を張って言ってやる。

 私は暫くの間、金の認識番号表を手の中で握り締めていた。その手をアルテミスがそっと自身の手で優しく包み込む。それに間髪いれず、ヘルメスも男ながら細い指で私の手を包んできた。

「アティナ様、私は貴方を信じております。どのような結末が待っていようと私は貴方の傍で貴方を見つめております。きっと神もご容赦してくださるでしょう。いいえ、神もそうしなければならないはずです。そうならないのであれば神なんてこの世界にはいないのです」

「アティナ様。あまり無茶はしないでくださいね? 遠慮なく俺や姉様を頼ってください。何ができるかわからないけれど……でも、俺はアティナ様を守ります! どんな兵士が俺の前に現れようと、きっと倒してアティナ様を少しでも楽にします!」

 アルテミス、ヘルメス。いつのまにか大きくなったこの二人に、私は自分でできる最大限の笑みを浮かべた。喜色満面となった私にアルテミスもヘルメスもそれぞれ、私の適うところではない笑顔を浮かべた。これからもこうして笑っていられればいいな。

「アティナ。私もいるわ」

 そう言ってくるのは我がお姉ちゃん、アフロディテ。

「貴方の母のように、デウシウスは私の母を穢した。その償い、娘である私がきっとさせてみせる。そして、戦いが終わったときには、二人揃ってメティシア様の墓前に参りましょう」

「はい! 約束です、お姉様!」

「ええ!」

 私はアフロディテに微笑み返すと今度は剣を抜いた。笑顔が消えるその前に、私はそれを南のほうへと突き出す。

「いざ行かん! イオリアへ!!」

 私の掛け声とともに、グラウコーピス軍は一斉に森影から飛び出して、背の高い草原の中へと入っていった。そこからイオリアまでの十五キロを駆け足で前進した。

 

 

 

 

 


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