第八章  新サトゥル国王アルテミス

 



 

タイタニア陥落後二日。九月十一日。

炎上するマーズトラス城の断末魔の姿が、未だに大勢の兵士たちの心の中にあった。そんな彼らを率いるのは私、アティナーデとアルテミス、そしてヘルメス。私は生き残った王族と共にとあるところへと向かっていた。それもできるだけ迅速に。

すでに田畑の景色はなく、四方は樹齢数百年を越える背の高い木々が生い茂る高地。馬を連れるのも厳しい斜面を登っており、可哀想なので近くの牧草地に放ってきた。騎馬隊の兵士たちの悲しみようには、申し訳ない気持ちにさせられた。

「アティナ様、本当に大丈夫なんですか? いくらサトゥルの同盟国であっても黙って越境すれば侵略と取られることになりますよ? ただでさえ、アースの態度ははっきりしないんですから」

 斜面を、息を上がらせながら登るアルテミスが不安げに言った。ちなみに、この山地に入ってから同じようなことを聞くのは三度目である。耳に胼胝ができそうだ。

「わかってる。だからこうやって見つからないように山の中を歩いているんじゃねぇか」

「うぅぅ、そっれはそうですけどぉ〜」

この作戦は私にとって、戦術の師であるアイレスへの挑戦状でもあった。

 

 

 二日前。

「では作戦を説明する。各部隊の指揮官たちは集まってくれ」

 燃えるタイタニアを見た直後の悲壮漂う雰囲気の中、私は涙に顔を濡らした男たちを呼び集めた。その輪の中にアルテミスとヘルメスの姿も勿論ある。また、私の姉であったアフロディテや、その後輩ヘスティア、一般兵達も興味があるのか指揮官たちの周りに集った。立ち聞きを禁ずるとは言ってないし、言うつもりもない。

「さて、これからのことなのだが、まずは今すぐに北へ向かうぞ」

「北? 何故そのような進軍をするのです? 敵は西ですよ?」

「アルティ……敵はマキュリウスを通ってきたんだ。だったら、私たちも同じようなことをしてやろうじゃないか。私たちはこれから北のタルタロス山脈を西へ横断し、ジュピネルの領土へ入る。あとはわかるな? 一気に南下してジュピネルの都イオリアに攻め上る! どうよ、この作戦!」

 私の短くも的確だろう作戦発案に指揮官たちはどよめいた。彼らが気にする一番の要因はタルタロス山脈という高山連なる僻地を縦断するということだ。

 標高千二百メートル。人の足で歩くには険しすぎる濃密な森林を持った山々で知られるタルタロス山脈。そのため、山脈を所有しているアースの王政直轄陸戦隊でもそこでの演習は自粛するほど。毎年のように遭難者を出し、反対運動が民間の間で起こったからである。

 だが、それは無能な指揮官が齎した犠牲だ。私ならば必ずや誰一人として失うことなく、あの険しい神の試練の具現を越えて見せよう。

「私の作戦の重要目的は、その山脈を越えることで、敵の視界から完全に姿を消した形でジュピネル領へ入ることだ」

「確かに、タルタロス山脈の中に入ってしまえばこちらのものです。ですが……」

「アルティ。私が信じられないか?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 難渋を示すアルティではあるが、私は頬杖をつきながら笑っていた。

「姉様、ここはアティナ様を信じましょう? きっと、アティナ様なら我々を導いてくださいますよ」

「ありがと、メイス」

 私がニッコリ笑ってやるとメイスはすぐに赤面して俯いた。本当、こいつは可愛い奴だ。だが、その隣にいるアルティは面白くないらしい。頬を膨らませて私のほうを睨んできた。

「わかりましたよ! アティナ様に従います!」

「嫌ならいいよぉ? ねぇ、メイス」

「是非とも従わせてください!!」

 ひょっとすると、こいつの操縦の仕方を私は見つけてしまったのではないだろうか。まぁ、やりすぎればメイスの身に危険が及ぶだろうから、氾濫だけは抑えよう。

「でも、ちょっとリスクが高い気もするわ。最悪、部隊が全員揃って遭難することにもなりかねないし、四方八方を山に囲まれたのであれば、自分の居場所もわからなくなりそうね」

 アフロディテが腕組みしながら言う。確かにその通りだが、それ以外にこの苦しい戦況を脱する術はない。

「不安もわかる。だが、タルタロス山脈なんかたやすく抜けきって見せるさ。ただし、敵将アイレスは策を何重にも張っている慎重な男だ。軍団が通れそうな道には対立しているアースといえど密偵を放っている可能性がある。なので、道には絶対に出ないよう兵たちに伝えておけ」

だからこそ、軍団が通れそうにない山々の中を歩くことにしたのである。密偵に発見されれば、早馬を使われてすぐにでもジュピネル軍に伝わる。そうなるとすぐにでも大軍が押し寄せてくるだろう。来たとしても軍事展開から察するに、数は互角だと思うが首都イオリアを攻めるに前にはできる限り兵の損失は避けたい。

「あ、それとアルティ。あとで私がお前の名で手紙をしたためておくから、志願者を募っておいてくれ。伝令兵としてここへ来る途中に立ち寄った砦に使いを頼みたい。人数は念のため三人で頼む」

「はい、承知しました」

 アルテミスは素直に了承し、私も安堵の息をついた。タルタロス山脈を越える前代未聞の行軍ルートではあるが、必ずや成功させて見せるさ。あのアイレスの鼻を明かしてやろうじゃないか。

とりあえず、今はタルタロス山脈を横断することだけを考えていればいいのだ。

 このすぐ後、私はとある書状を記し、アルテミスが募ってくれた三人の勇敢な伝令兵たちにその手紙を託した。その手紙は絶対に敵の手に渡してはいけない。もし敵に捕縛されるようなことがあったら、手紙を破り捨てた上で自害するように強く強く命じた。そのため、私は手紙に記されている内容についてをよく伝令兵たちに教えておいた。その重要性を思い知れば気も引き締まるというものだ。

 彼らを送り出したあとで我々は出発し、翌日には難所、タルタロス山脈へ入ることができた。演習をするたびに遭難者を出す死出の山なのだが、私には心強い助っ人がいる。

「こっちよ。この先に出れば細いけど人が歩ける道がある」

「わかった。助かるよ、お姉様」

「なんでこの私が登山ガイドをさせられるのかしら……」

 そうぼやきながら、アフロディテは馬鹿でかい物体を肩で担ぎながら前を歩いていく。二メートル弱のそれを器用に左右に動かして、彼女は大木の間を縫うようにして進んだ。

彼女を不幸にした十二月事件はタルタロス山脈内で起こった。それに出陣した特別A中隊長アフロディテはタルタロス山脈内を進んでいったわけである。つまり、ある程度は道に詳しいということだ。

「あのぉ……いつからアティナ様はフロディアさんをお姉様とお呼びに?」

「さ、さぁー。俺にもわからないよ姉様」

「つい最近急に呼び出したのよ。ま、まさか、私のフロディアさんとよからぬ仲に?!」

「な、なんですって?! で、では私もアティナ様をお姉様をお呼びすれば?! はぁ、はぁ」

「姉様もティアも頭おかしいって!」

「「お黙りなさい、小僧!!」」

 やはり、アルテミスとヘスティアは従姉妹同士だよ、ったく。

 

 

 

一方その頃、昨日私が放った伝令は、敵に遭遇することなく砦へと辿り着いた。

「なにっ、タイタニアが陥落した?! 確かな情報か?!」

「はっ! 私もしかとこの目で見ました!」

 強力な防衛を築いた砦には三百人足らずの兵力があった。しかし、この砦には未だにジュピネルの愚か者どもの軍勢は現れていない。見通しのいい塔から周囲を見回す監視兵もまた、ジュピネルの軍勢を確認はしていなかった。平穏豊か、軍事拠点とは到底思えないほどまでのどかであったのだ。

 戦線が一体どうなっているのか、一向に伝えられないで不安がっていたこの砦の指揮官の下に、私が送った伝令がようやくそれを齎した。

結果としては、三名の伝令は無事に砦へと到着した。だが、裏を返せばジュピネルの軍勢は首都を陥落させ、王を殺したことで完全勝利と解釈していたのであろう。まぁ、世界的な戦争規定によれば国王以下王族が戦死した場合、その国は敗戦国となる。勝利と考えてしまっても仕方がないといえば仕方がない。

「これは我がグラウコーピス軍の師団長、アルテミス様からの書状です。どうか、目をお通しください。反抗作戦に関する書です」

「アルテミス様から?!」

 兵からの書を受け取る指揮官。彼は王族直々の書状に一礼をし、大切に広げた。

「何々…………これは?!」

「はっ! 我らが王家はまだ死に絶えてはおりません。アルテミス様、アティナーデ様、ヘルメス様率いるグラウコーピス軍は現在、タルタロス山脈を西へ横断中です」

「タルタロス山脈を……。それはまた無理をなさる。」

「敵の密偵に発見されるのを極力抑えるためとお聞きしました。しかし、タイタニアを攻め落としたジュピネルの軍勢が戦勝報告に国へ戻るのは聊か厄介。挟撃される恐れが強く、そうなれば最後とのことです。そこで、このサトゥルに残る兵力を結集して押し留めてほしいとのこと。幸運にも、タイタニアは陥落しましたが失った兵は千。グラウコーピス軍を差し引いても残存六千。この全兵力で対抗すれば勝てるはずだとのことです」

 そう、私はそれだけサトゥルの戦闘能力の高さを買っている。彼らとの正面対決がどれほど脅威か。ジュピネルの軍勢もそれがわかっているからこそ、わざわざ迂回してタイタニアを攻撃したのである。

「なるほど……。この書状によれば、我らがお仕え出来る陛下も亡くなられていないということだな」

王族を皆殺しにした今、おそらくジュピネルの軍勢は各方面に展開するサトゥル軍に武装解除を進言するだろう。守るべきものを失った軍勢は意気消沈して解除に応じてしまう。その前に新王の即位を伝え、兵力を結集しなければ。

「できるだけ早く伝令を回したほうが良いな。その書状を預かってもよろしいか?」

「はっ。指揮官殿がそう申されること、アティナーデ様は予期しておりました」

「アルテミス様、ヘルメス様をよろしく頼みますと、アティナーデ様に伝えてくれ」

「いえ、我らはここに残ります。迂闊に追いかけて敵に見つかれば作戦が水の泡となりましょう。そのための志願制でありました」

 だからこそ、私は伝令兵を志願制にしたのである。ジュピネルの首都を攻め落とした際に成し遂げられる復讐のチャンスを失ってしまうのだから。伝令兵はジュピネル軍本隊と戦うことで復讐を遂げて貰いたい。

「ではすぐにでも各方面の部隊に連絡を取ろう。貴公らはここにて休み、我が隊に合流せよ」

「はっ!」

 深深と頭を下げる兵士に対し、指揮官は強くうなずいて、すぐにでも書状を他の兵士に託した。

新たに伝令兵となった彼らは馬に乗り、全速力で国境近くの川原に拠点を築いた軍団に向かった。

橋を守る部隊を集結し、そこに各砦を守る軍団を集結させることができれば、軽く六千を超える大部隊となるはずだ。それが真正面から戦いを挑めば、酒池肉林に励む愚かなジュピネル軍など赤子の手を捻るようなものだ。

 しかし、想像を絶するほどの恐怖を味わっているタイタニアの人々のことを考えると一刻も早いサトゥル大軍団の成立が望ましいのも事実だった。私の予測ではサトゥル大部隊がタイタニア奪還のために戦いを始めるときと、私たちがイオリア目掛け突っ込むのはほとんど同じ日になると予測している。

 

 

 

「はぁはぁ。ふぇぇ〜、も、もう疲れましたよぉ」

「おいおい。そんな声上げてねぇで、もう少しはしっかりしてくれよ、軟弱者。それでも私の正式な夫か? もっと力を出せるだろ? 男の子なんだから」

 急な坂道を上がったり、下ったり。それを繰り返してばかりいる現在、体力もない軍人成り立てのヘルメスは大汗を浮かばせながらへばっていた。すると、私の傍を歩くアルテミスがニヤリと笑って。

「そんなわけないじゃないですかぁ、アティナ様ぁ。メイスはひ弱な女の子ですぅ〜」

「アルテミス……お前、黒いぞ」

 薄暮の頃合。私たちは懸命に歩き通して、タルタロス山脈も後半へと差し掛かった。

標高千二百メートルを超える空気の薄いところを歩いていたのだが、やはり兵士たちの足も遅くなってきた。しかし、この辺も私の予測する範囲。よって足の速さを遅くし、休憩を多く取りながら行軍を続行する。

 どこまで行っても森、森、そして森。その木には今が旬の果実が多く実っており、休憩毎に、私は林檎やら葡萄やらを引っ手繰っては賞味していた。僻地で育っているためか、とても甘く、私は幸せそうな顔をして頬張った。

「やれやれ。疲れた体には果物は最高に良く効くな。」

「あ、アティナ様ぁ〜」

「愚か者め」

大きい棒を杖代わりに近づいてきたのがヘルメスだ。私の夫の癖に本当に体力のない小僧である。だが、そんな弱いところもまた、彼らしいといえば彼らしい。筋肉隆々の屈強なヘルメスなど私は想像ができずにいる。

「ほれ、ここに座れ」

「は、はい……」

息も荒々しく、汗をふんだんにかいた彼は、ドッと私の隣にある大石の上に腰を下ろした。

「ま、そろそろ野営の頃合だな。お前も疲れてることだし、今日はここまでにしよう。アルテミス! 兵たちに野営の準備をするよう伝えてくれ!」

 ヘルメスに遅れて、こちらに近づいてくる暴虐の姫君に私は強い口調で命じた。姫君は瞬時にしてその白金のレガースで覆われた歩みを止める。

「んもぉ、私もアティナ様に優しくて貰いたいのにぃ!」

兵たちに野営の準備を告げるべく、アルテミスは童顔様様の頬を膨らませて、すぐに振り返って立ち去った。そのしょんぼりさせながらも兵士たちのほうへ歩いていく彼女は、まるで罰ゲームに負けて強制告白を命じられた女学生のよう。本命は別の場所にいるのにと吹き出しも付きそうだ。

 一方、そんなアルテミスの指示を受けた兵士たちは大喜び。我先にと疲れた体を木々に横たえて眠りについた。飯も食わずに眠ってしまうのだから、その体は限界を迎えていたのだろう。ヘルメスもいつの間にか大石の上で眠りこけていた。

「やれやれだ。昨今の男は本当に体力がないのだな」

「ええ、左様です」

林檎をかじり終え、芯を投げ捨てる私の傍、嬉しそうに腰掛けたアルテミスがニコニコ顔で言った。すると、すぐに彼女は眠れる獅子の頭角を現した。この遅ばせの発情期雌獅子は私の肩と腹部に手を回し、その泥と汗に汚れた体を寄せてくる。

「あぁん、アティナ様ぁ。ようやく、我ら二人になれましたね?」

「な、なんだよっ! 近づくんじゃねぇよ、気色悪い!」

「そんなつれない貴女も素敵……」

 私は腹を空かせた獅子の檻に、裸一貫で投げ込まれた状況とさして変わらない場所にいた。私はゾクゾクと全身に走る怖気に鳥肌を立て、ごくりと唾を飲み込んだ。アルテミスはアルテミスで艶かしい上目遣いでこちらの顔を覗きこんでくる。気持ち悪いからやめてくれ……と言ったら確実に力任せで来るな。

 私は妥協中の妥協をし、腕だけはアルテミスの好きにさせてやった。

「あぁ、アティナ様の腕はたくましくて素敵ですぅ。ずっと、こうやってアティナ様と体を寄り添わせたいと考えておりました。だから、今はとても嬉しいです」

「…………」

 なぜだ? 男に言われたら嬉しい言葉も女に言われたら憤慨甚だしい。人間の脳はどうしてこうも巧みにできているのか。そして、このアルテミスの脳の中はどうなっているのか。ぜひ、斧で叩き割って調べてやりたい。そのあとは川にでも捨ててやるよ。動物が食べても可哀想だ。

「あのぉ、アティナ様? この戦が終わったら、貴方はどうなさるおつもりです?」

 急に、アルテミスは真剣な顔になって私に尋ねてきた。

「そうだな。まずはジュピネルとサトゥルを一つの国にしなければならないな。二つの国の中央部にタイタニアを移動して強固な都を築かねばならないかもな。ジュピネルの民たちは苦しい生活を強いられるだろうが、己の馬鹿国王がしでかしたこと、仕方のないことだな」

「ええ。同時に紛争も内乱も起こりやすい世の中となりましょう。人の恨みは今の私のように強く怖いものです」

「は? わ、私のように?」

「あ、オホホホホ。なんでもありませんわよぉ〜」

「あ、アルティ!? 黒いぞ、お前!」

 はぐらかすような笑みを浮かべるアルテミスに、私は思わず取り乱してしまった。そんな私も可愛いと、アルテミスはほざいた。要は、ただただ遊ばれただけだったのである。甚だ迷惑千万な奴だ。

「はぁー、丁度いい機会だ。アルテミス、お前にちっとばかり大切な話がある」

「え?! つ、ついに私とアティナ様が結ばれるのですか?!」

「んなわけねぇだろ?!」

「およよ……わかっておりましたよぉ、そんなことぉ」

 シクシク泣くアルテミスに、私は一抹の不安を覚えつつも、彼女の前に腰を移動させ、真剣な目つきで彼女の顔を見据えた。

「アルティ……。いや、アルテミス。お前に、サトゥルの新王になってもらいたい」

「え?」

 それは彼女にとって衝撃的な言葉であっただろう。彼女は聞いた途端にピタリと固まり、私の顔を見つめたまま動かなくなった。だが、それもすぐに我を取り戻し、

「わ、私がですか?! い、いや、ヘルメスのほうがいいと思いますよ? 男の子だし」

「駄目だ。あいつにはまだ荷が重過ぎる。それに、サトゥルの象徴たる国王には、お前のような存在こそ適任だ。見目麗しく、素直で可愛らしく、勇気があって強い。そんな人間こそ適任なんだ。お前はヴァージンクィーンとしてサトゥルの新時代の幕開けを担うんだよ」

「え? で、でも……」

 彼女は困惑した。いきなりサトゥルという国全ての責任を担えと言っているのだから、仕方が無い。だが、私は何もアルテミスが憎いからそんなことを言っているわけではない。アルテミスとヘルメス。天秤にかけた上でよく考えた結果、国民に大きな人気のあるアルテミスこそが王にふさわしいと判断したまでだ。勿論、私一人の考えではない。アフロディテから助言を貰い、さらにはヘスティアとヘルメスの意見も聞いたうえでの決定だ。

「頼む! お前が了承してくれれば私たちは安心して戦えるんだ。守るべきものが目の前にあるからこそ、私たち軍人は命を懸けて戦うことが出来る。王も、国も、都も、滅茶苦茶なまま戦いを前にしたところで士気は上がらない。お前という、サトゥルそのものになった人間を守ろうとするからこそ、私たち軍人は命をかけられるんだ」

「…………」

 しかし、それでアルテミスは納得するような素振りを見せてはくれなかった。彼女は不安なのだろう。その考え切れない大きな重責が自分の圧し掛かってくることが。その重みで潰れてしまうのではないかと考えると、恐ろしくてたまらないのだ。

「アルティ。私がきっとサポートしてやる。いや、必ずしてやる。お前を推した私の責任はきっと果たす。未来永劫、お前の傍で右腕となって戦ってやるさ。だから頼む。サトゥルの女王になってくれ」

 私はアルテミスの細くて冷たい手を両手で強く握り締めながら言った。なんだかんだある私たちだけれども、私はアルテミスが嫌いなわけではない。むしろ、ヘルメスやアフロディテのように彼女のことは大好きだ。彼女に厄災降りかかるときは、私が必ずそれを振り払ってやる。

「アティナ様……。約束、してくれますか? 私の傍にいてくれるって……」

「ああ。約束する。お前の傍にいて、お前が困ったときは助けてやるよ。絶対」

 私がそう言ってアルテミスの頭を撫でてやると、アルテミスは仄かに顔を赤く染めて笑みを浮かべた。目尻に涙まで浮かべて喜びを露にしてくれる。

「ちょっといいかしら?」

 すると、そんな私たちの前にアフロディテがやってきた。彼女はあの封印した大剣を軽々と肩で担いでいる。彼女は馬を失ってからと言うもの、ずっと重たそうな大剣を肩に担いでいた。しかも、それでもまだ疲れの色を見せない。そのタフさには私ですら驚かされる。

「フロディアさん?」

「お姉様……」

「タイミングわからなかったけど、今しかないと思ったからお邪魔するわ」

 彼女はそう言って大剣を太股の上に乗せた上で木の上に座った。そして、間髪いれずに彼女は眉を吊り上げ

「アティナ、アルテミス様。私決めたよ」

 彼女はそう言うと、私たちが見ている前で大剣に巻かれた鎖を両手で引きちぎった。

「えぇ!?」

「マジかよ!?」

 いくら錆びているとはいえ、鎖って手で千切れるものなのか?

 そう思う私の前で、アフロディテは千切れた鎖を遠くのほうへ放り捨てた。それから剣に纏わりついているボロ布を破り、中に納まっていたものを私たちに見せてくる。それは赤い金属で作られた刀身。峰部分は異常に大きく、刃の幅が小さい刀身だった。

「私はもうウジウジ悩まない。貴方たちのような可憐な女の子たちが、国のために必死になって戦おうとしているのに、年長者である私が、過去を引きずって何もしないのは、あっちの世界にいる皆にも申し訳が無いわ。私たちは国のため、民のために軍人になった。今こそ絶好の好機。この金玉の剣士アフロディテ。サトゥルの旗の下に返り咲かせていただきます!」

「お姉様……。本当によろしいのですか? 先日はあんなに……」

 私がそう言うと、アフロディテは満面の笑みを浮かべてくれた。

「ええ。大丈夫。もうお姉ちゃんの恥ずかしい姿を可愛い妹に見せるわけにはいかないの。母が私にしてくれたように、私は貴方たちを守る。どんなことがあっても、この身に変えて貴方たちを守って見せるわ!」

「……お姉様」

 私はその姿に母の面影を見た。私の母も、きっと同じことを言うに違いない。私のために、みんなのために、剣を取って命を懸けて戦いに赴くはずだ。

「あの、アティナ様? もう詳しくお話してくれてもいいのではないですか? 貴方と、フロディアさんの関係について」

「ん? ああ、いいよ」

 私は素直に、二日前に知った真実をアルテミスに話して聞かせた。

私の母メティシアと、アフロディテの産みの親ディオネは戦友だったこと。二人して我が父の魔の手にかかって子を孕んだこと。そして、その生まれた子供たちがこうして巡りあった事。それを話してやると、アルテミスは納得した顔をして笑っていた。

「フフ。そんな奇跡もあるのですね。納得しました。確かに、貴方たちはそっくりです」

「そうか? フフ。それは嬉しい」

「えぇー? 私ってこんなに無鉄砲かなぁー」

「ええ。そっくりですよ、貴方たちは」

 すると、アルテミスは後ろに手を回して自分の剣の片方を取り出してくる。彼女はそれを膝の上で抜き、その白い刃を彼女自身の顔に近づける。

「アティナ様。私、貴方の申し出お受けいたします」

 彼女がそう言った瞬間、私とアフロディテは揃って喜びの顔をする。

「ほ、本当か!?」

「ええ。こうして巡りあえたのも神々の導き。そして運命。そして奇跡。私はそれを素直に受け入れ、これからの未来へと向かいましょう! だから、お二方ともどうか私を助けてください! ようやく鳥篭を出られた雛鳥ですけれども、きっと大成して大空を羽ばたいて見せます!」

 アルテミスがそう言って顔につけていた剣を自身の斜め上へと突き出すと、それを見たアフロディテが同じく大剣を片手で持ち上げてその刃に合わせる。

「ええ! 金玉の戦乙女が一子アフロディテ! 過去の呪縛を絶ちて貴方の臣下となり、未来を築くお手伝いをさせていただきます!」

 よくもまぁ、お前らそんな恥ずかしいセリフが口々に吐けるものだ。

「ほらほら、アティナ」

「アティナ様」

 へいへい。

 私も傍に置いた剣を抜いて二人の交差する剣の上でさらに交差させた。

「紅玉の戦乙女メティシアが一子アティナーデ! 己の宿命を必ずや打ち破り、新たな安寧を齎す国家を築こう! 私たち三人の戦乙女! この誓いを以って契りと為し、未来永劫の絆とする! いかなるときも、私たちは三人で一つ!」

「ええ!」

「はい!」

 交差する剣三本。私たち、紅玉、白玉、そして金玉。それぞれの色を持った三人の乙女たちはここにこうして固い絆で結ばれることになった。そして、その絆は未来永劫、決して千切れること無いものになっていくだろう。

 私たちは揃って剣を鞘に収め、または膝の上に置いた。

「……プッ」

「アハハ。もぉ、恥ずかしいわぁ」

「フフ。そうですねぇ。こんなこと人前ではいえませんね」

 そう言って笑い合う三人ではあるが、

「あのぉー……」

 弱弱しい声が私たちの耳に聞こえてくる。その声のする方向に私たちが目を向けてやると、さも申し訳なさそうな顔をしてヘルメスが顔を覗かせる。あれ? 先程寝付いたのをしっかりと確認したのだが……。

「もうちょっと静かにやったほうがよかったですよ? 流石に煩いです」

 え?

「特にアティナ様……。声大きいから丸聞こえです……」

 えええ!?

「うわぁ、恥ずかしいアティナ」

「ご愁傷様です、アティナ様」

「お、お前ら酷い! お前らがやれって言ったんだろう!? って、私が困ってるんだから助けてくれてもいいじゃないか!! さっきの誓いは早速どこへ行ったぁっ?!」

「それとこれとは」

「話が別ですよ」

「お前らなぁっ?!」

 私が顔を真っ赤にして不満をぶちまけていると、その私の顔にアフロディテが手を置いて黙らせ、さらに彼女はアルテミスのほうを向いて

「アルテミス様。丁度いい機会です。王として民たちに即位の演説をお願いします」

「んん〜っ?! んんっ!! んんん〜っ?!」

「アティナちゃーん、ちょーっと黙ってようねぇ?」

 私は姉に強引に口元を抑え込まれ、恥ずかしさから来る不満の吐き出しを完全に抑え込まれた。彼女の腕っ節は、その細腕で大剣を軽々持っていることが証明するように、凄まじく強い。私が両手で取り除こうとしても全くビクともしなかった。この拳で殴られたら鎧も砕けるかもしれない。

「そうですね。丁度いい機会です」

 アルテミスはスッと立ち上がって、なんだなんだと集まってくる兵士たちの前に立った。

 本来であれば、即位の際には色々としなければならないことがあるが、今は戦時下だ。大臣のかったるい話やら、大勢の国民の前での堂々宣下やらはすっ飛ばし、アルテミスは大勢の兵士たちの前で声高々に宣言する。彼らはサトゥルの新しい歴史の一ページの目撃者となる。

「皆っ!!」

 いきなり鶏の雛のように高い声を打ち出すアルテミス。

「疲れているところ、ごめんなさい! 大事な話があるから出来るだけ、聞いてください!」

 以前のグラウコーピス軍命名承りの際や、出陣の際のときとは打って変わった様相だ。まるで王君のように、堂々と兵たちの中心に立つ白玉の剣士は、私の目にも非の打ち所がない女王として映った。

「残念ながら、私たちの都タイタニアは落ち、私の父や母、兄弟たちはジュピネル軍によって壮絶な最期を遂げたことでしょう。いえ、私の家族だけではなく、タイタニアにいた皆が悲惨な戦争に巻き込まれ、悉く命を落としていったことでしょう」

 あの黒い煙を轟々と空に昇らせながら燃え盛るタイタニア。そのタイタニアを思い起こして、家族のことを考えているのか、黙って聞く彼らの中にはすすり泣く者もいた。

「私は、あの日の屈辱を生涯忘れません! 必ずやジュピネルを破り、我が国を蹂躙した罪を償わせてみせます! 私は今ここでアティナ様、アフロディテさんと誓いを交わしました。私たちは未来永劫、サトゥルの繁栄のために命を懸けて戦っていきます! このアルテミス、本日を以って新サトゥル国女王となることをここに宣言します!!」

 彼女は目尻を吊り上げ、頬を強張らせて叫んだ。私も思わず心奪われてしまったほどの晴れ晴れとした宣言だった。弟であるヘルメスも私同様、ただただじっと姉の晴れやかな姿を見つめていた。アフロディテも錆び付いた軍人魂に火がついたのか、アルテミスに対して敬礼をしていた。

 ただでさえ、こうなった私たちなのだから、兵士たちはたまらない。彼らは新たに誕生したサトゥル国の王に大きな拍手喝采をぶつけたのである。敵に見つかるかもしれないから、私としては少し自重してほしかった。だが、彼らは新たに守るべきものをその寸前に目の当たりにすることが出来ているのである。その歓喜の程は天よりも高く、谷よりも深い。私の声など遠く及ばない。

「ありがとぉ。じゃあ、皆、今日は疲れたでしょうからお休み。明日も頑張りましょう!平和なサトゥルを取り戻すために!」

「「おーっ!」」

 どうやら、今までの私はこいつを完全に見くびっていたようだ。すっかり王としての風貌、頭角を見せ付けてくれる。兵たちの人気もかなり高い。近隣諸国の中でも異例の女王だが、こいつならやれるだろう。きっと、クロノス以上の政をこなし、領土を広げていくに違いない。帝国と名を改めなければ良いが。

「アルティ、良い宣言だったぞ?」

「えへへへ。もっと褒めてくださってもいいですよ? 撫で撫でしてくださぁい」

「ああ」

 私はニッコリ笑ってアルテミスの頭を撫でてやった。まるで猫の笑顔のように喜色満面し、頬も赤く染めて私の手を感じ取っていた。だが、それが甘かったのだ。こいつにしてみれば女王という立場を利用すれば何でも出来るとしか考えてはおるまい。その矛先は完全に私に的を絞っているも同じだ。

「それじゃあ、これからは夜伽をお願いしますね?」

「は、はぁっ?! こ、この崇高なる紅玉の剣士に伽をせよというのかぁっ?!」

「女王陛下の命令は絶対ですよ? フフ、楽しみだなぁ、アティナ様に攻められるの。あぁー、それともぉ、私が攻めちゃおうかなぁー?」

「うん……私が女王になろう。今、ここでてめぇを殺す!!」

「フフ。そんなことすれば、ジュピネルの姫として殺されますよぉー? いえ、反逆者の烙印を押されるかも。それでよかったらどうぞ? 貴方のお母様にとっても不名誉なことでしょうけど」

「うっ?! お、お前黒すぎだぁー」

 私はヘルメスを国王にしたほうがよかったかもと、今になって後悔した。だが、後悔後に立たずである。私は確実に、このアルテミスの夜伽をさせられるだろう。あぁ、どうすればいいものか。想像するだけで気持ちが悪くなる。

「はぁ。アルティ、あとのことは戦いが終わってから―――」

 と私が苦し紛れの提案を言うが、横を向いてみるとアルテミスはスヤスヤと可愛らしい寝息を立てて私の肩を枕に眠ってしまっていた。全く迷惑この上ないな奴だ、と呆れ返る私に、アフロディテが腰を下ろして

「アルテミス様、本当に貴方のことが大好きなんだね」

「迷惑です。私は同性愛者ではありません」

「でも、そんな貴方はアルテミス様をこれからもずっと支え続けてあげるのね」

「そりゃあまぁ……約束しましたし」

「大丈夫。貴方たちはきっと上手くやっていけるわ」

「それはどういう意味ですか?」

「ん? 公的な意味でも、勿論、恋愛的な意味でも」

「ないですよ!! ないないないなぁーい!」

 全く、この姉上は私の反応を見て楽しんでいるようにしか見えないのだが。

「それじゃあ、アルテミス様をよろしくね。私はヘスティアのところに戻るから」

「はいはい。お幸せに」

「フフ、私がいないからって拗ねないの」

「拗ねてないですよ」

 アフロディテはそう言って私の前から立ち去っていった。私はそんな姉を見送った後で、肩に凭れ掛かって眠っているアルテミスの体を、ゆっくりと落ち葉のベッド上に寝かせた。兵に毛布を持ってこさせ、その上にかぶせた。

「まったく。サトゥル国王が葉っぱの上でぐっすりとはな」

 早く戦を終わらせてサトゥルに凱旋しないと。この誰が見ても上品で麗しいお姫様には、葉っぱのベッドなど全く似合ってない。彼女こそ、白いシーツと豪勢な天蓋のついたベッドがお似合いだ。

「ふぅ。そういえば……最近風呂にも入ってないな」

 もう何日になるだろう。最後に風呂に入ったのは私がタイタニアを出る前だから、もう一週間になるか。放置しておいても皮膚が病気になりそうなので、私は一人で森の中を歩いて、水場がないか探して見ることにした。

そろそろ水筒の水も切れる。飲み水があるかどうかも知っておきたいところ。暗闇でも月のおかげで十分に明るく、私はその明かりを頼りに山を歩いてみた。木々が生い茂っているのを見ると、この山には地下水は豊富にあるのだろう。それが滲み出ている場所がないものかと私は思った。

「ん?」

 あった。

 それは野営地から目と鼻の先。ほんの百メートルほど歩いたところである。周囲を大きな石で囲まれた泉で、透明度の高い水がふんだんに湧き出してきていた。空は抜け、大きな月がぽっかりと空に浮かんでいるのが見える。宇宙の雲もいつになく光っていて美しい。

「いい場所じゃないか」

 私がそう言って泉へと近寄っていくと、ふと、この泉が大河エリダヌスの源流なのではないかと思った。

「ひょっとして、この水溜りがエリダヌスの水源の一つか?」

 サトゥルとジュピネルを隔てる巨大な河エリダヌス。おそらくは他の山々にも似たような泉があり、チョロチョロとこぼれた清流がどこかで合体合体を繰り返し、果ては巨大な河へと成長していくのだろう。微弱な力も集まれば強大な力となる。私は心底それを痛感した。

「とにかく、入るか」

 私はポニーテールを振りほどき、土や汗で汚れた鎧を体から外した。重たい鎧が外れる瞬間、まるで重力というものがなくなってしまったかのように体が軽くなる。それから篭手やレガースなどを外していき、最後に服を脱ぎ捨てた。

「どうせならば洗うか」

 解けば腰の下まで伸びる真っ赤な髪の毛を全身に纏わりつかせながら、私は水の中へと足を入れていった。不思議と突き刺さるような冷たさではなく、少し生ぬるい温かさだ。その温かさに私も安堵して身を投じた。

「ふぅ……」

 鎧をつけたこともない人間にしてみれば無関係のことだろう。とにかく鎧はサウナのように蒸し暑い。定期的に洗わないと皮膚炎になってしまうことも多々。とりわけ、私は女。肌は繊細であるから余計に性質が悪い。

「全く、移動式浴室でも誰か開発してくれねぇかな。開発してくれたら私がじきじきに警護についてやる。と、伽ぐらいしてやってもかまわぬぞ」

 と冗談を零して体を洗っていると、ふと誰かが枝を踏む音がした。音のするほうに顔を向けてみれば、三人の兵士たちが談笑しながらこちらへと近づいてくるのが見える。どうやら用を足しに野営地を離れていたようだ。

「ああしてみると、兵も普通の人間なのだがな……」

彼ら三人が自分の寝床へと戻っていくのを確認し、私はクスリと微笑した。

「さてと服も洗ってしまおう」

 私は手を伸ばし、服を引っ手繰って水の中で洗濯する。

紅玉の剣士の使っている服は汗と、泥と、とにかく汚れていた。仕方がなかろう、私は行軍し、戦をし、人を殺める職業に就いているだから。しかし、その職業に私は誇りを持っている。人を殺すことに対しても恐れも同情もない。

だからこそ、私は女であることを呪ったことは今まで何度もあった。力では男に適わないと何度も言われ、私は男として生まれ変わりたく、城のてっぺんから飛び降りようとさえした。また、戦で死ぬことは軍人の本望だが、女兵士ともなれば捕らえて辱めるのが普通だ。戦場で死ねず、もしも敵の慰み者にでもされたら……やはり、女である身の上が憎い。

 だが、そんな私を慰めてくれたのが、誰であろうアイレスである。本当、彼には感謝でいっぱいの反面、敵として本気でぶつかってみたい気持ちでいっぱいだ。

 服を洗いながら、懐かしい日々を思い返す私であったが、勿論、祖国との戦いに躊躇いを持つつもりはなかった。私はサトゥルの人間であり、彼らは敵。生きるか死ぬか、二つに一つの道だ。

「やれやれ……」

私は洗濯物をギュッと搾って水気を外へ追い出すと、それを暗闇に応じてアルテミスたちの下まで持っていく。アルテミスの傍に野営テント用のロープがあり、それを使って洗濯物を干したかったからだ。

「頼むから、起きてくれるなよ?」

 すっぽんぽんでなにをやっているのか。と誰しもが思うだろうが、私は羞恥心もなくうろついていた。別に兵士たちが眠っているからとかいう理由ではない。私は男に裸を見られたところで恥ずかしいとも思わない。しかし、アルテミスの場合は別だ。こいつは私の裸を見た途端に発情した雄犬のごとく襲い掛かってくるのだ。剣もない今、掴まれば最期だ。

「もう……ちょい……ちょい」

あと一寸。中指をぴくぴくと動かしながら、ロープが仕舞ってある布袋へと手を伸ばす。

「よし、あと少し……」

しかし、ここで神の気まぐれによる最悪の出来事が起こってしまう。私の長い髪の毛が水を含んだ重さでスルリと肩から落下。そのままアルテミスの顔面に命中したのである。

「ひゃあああ!」

 アルテミスは途端に目を覚まして飛び上がった。しかも、鶏顔負けの目覚まし作用のある大声によって、警戒心を強く抱いて眠っていた周囲の兵士たちや、なんと疲労困憊であるはずのヘルメスまでもが目を覚ましたのである。まことに持って最悪の事ながら、ランプの灯火が私の全てを曝け出した。

「げっ?!」

「うわああああああああああ!! あ、アティナ様ぁ〜!!」

 目を点にして驚天動地にいる全裸の私に、ヘルメスたち、心ある男どもは慌てて顔を背けた。別に恥ずかしくないから見てくれても構わないのだが、その紳士の心に敬礼を心の中でしておいてやる。しかし、やはりこの小娘だけは違ったらしい。

「アティナ様ぁあん!」

 と、アルティは私にいきなり飛び掛ってきたのである。私は全裸でこいつとの相撲になった。押し倒されれば最後。私は無我夢中で腰に力を入れて奴の体当たりを受け止めた。

「な、なにしやがんだ!」

「やっとその気になってくれたんですねぇ?! 嬉しいですぅ! 私も脱ぎます!」

「ぬ、脱がんでいい!! 私は水浴びをしてただけだぁあっ!」

「んもぉ、こんな山の中でそんな良い場所があるわけがないでしょぉ? 恥ずかしいから隠しているんですよね? いいですよ! どーんと来てください!」

「私の体は濡れてるだろうが! もういい、来い!」

「あーれー」

 これ以上説明しても時間の無駄だ。私はアルテミスを連れて近くの水場まで歩いた。

私たちの姿が暗闇に消えると、眠気を吹っ飛ばされた兵士たちは赤面状態で私の裸のことについて色々と議論をした。詳しくは知らぬが、男勝りの癖に見事なプロポーションだったとでも語り合ったのだろう。抱きたいと考えた人間も少なからずはいるはずだ。ヘルメスはヘルメスで初めて女の裸を見てしまったのだから、鼻血が止まらなかった。

三十分後、私は濡れたままの服を着て野営地へと戻っていた。アルテミスはアルテミスで、頬を赤く染めながらニコニコ笑っている。別に一線を越えてしまったわけではなく、私は無我夢中でアルテミスに事情を説明をし、その間、アルテミスはまじまじと私の裸を堪能したというわけだ。

 はぁ……こんなことでイオリアを奇襲できるのだろうか。

「まぁまぁ、アティナ様。姉様も本当にアティナ様のことが好きなだけですから」

「それが問題なんだよ、たわけが」

 濡れた髪の毛にタオルを巻き、びしょびしょの服を着たまま丸太の上に腰を下ろす私に、ヘルメスはクスクス笑う。お前は笑っているが、もしこのままの状態が続くのであれば、私の処女を奪ったと知れたら、死よりも恐ろしい時間がこいつに襲い掛かってくるであろう。その恐怖に、果たしてこいつは耐え切れるのか。

「あぁーあ。奴のおかげで、お前にはあられもない姿を見せてしまったな。嫌いになったか?」

「いいえ。アティナ様はおっちょこちょいなところがありますから、仕方がないでしょうね」

「ムカツクんだけど、言い返せないのが悔しい……」

「フフ。それじゃあ俺も水浴びしてきますね? 汗臭いとアティナ様に嫌われちゃう」

「別にそんなことはないけど。んまぁ、行くというのなら私もついていこう。暗闇で気を許したら転落するからな。私が見ててやる」

 ヘルメスが一瞬、目をギョッとさせて驚いた傍ら、私も私で少し照れていた。私は少しでもヘルメスと一緒にいたい。その気持ちのままの発言だったのだが、捉え方によっては不適切な発言にも聞こえるな。

 柄にもなく、手まで握り合った私たちは月明かりさえも阻む濃密な森の中、すぐそこの水場までデートと洒落込んだ。泉付近は観光で来たいほど美しく整っており、透明度の高い清流が地下から湧き出てきていた。水面に月が映りこむ姿はとても美しく清らかで、女心を久しく忘れていた私も、その気持ちを取り戻してしまう。

「うわぁー。本当にこんな場所があるんですねえ」

 開口一番にヘルメスはそう言って岸に飛び出していった。

「そうだろ? 私はここで水浴びをした。決して疚しい気持ちがあったわけじゃない」

「わかってますって」

「本当にわかってんだろうな?」

「疑り深いですねぇ……」

「お前があのアルテミスの姉だからな。まぁいい。とにかく脱げ」

「えぇ!?」

「脱がなきゃ入れないだろ……」

「で、でもでも!」

「私も脱げばいいのか?」

「そういうことじゃなくてですね?!」

私は半ばヘルメスの鎧や服を預かり、慣れた手つきで洗濯をしてやる。一方で、ヘルメスはパンツ一丁で水の中に入っていった。

「安心しろ、メイス。私にしか見えん」

「そ、それが恥ずかしいんですって。ってか、なんでアティナ様は冷静でいられるんですか?!」

「なんでってそりゃあ……男の裸なんて軍学校時代に見まくったしな。お前みたいなヒョロい奴から、筋肉隆々の奴まで色々と。もう慣れちまったよ。だから別に恥ずかしがる必要は無い」

「うぅぅ……」

 ジャブジャブと彼の服を洗濯してやりながら私は笑った。こういう洗濯も軍学校ではやらされた。あそこでは私は王族の娘とは扱われず、一人の兵士として扱われ、軍における平等の名の下、洗濯や炊事、掃除などを徹底的に仕込まれた。王族に戻ってからはそれをすることもなくなったが、何年経ってもやると体が思い出す。

「そういや、百人分の服を二人でやれなんて言われたときは、その先輩兵士を打ち殺そうかと思ったよ。まぁ、結局はやってやったんだけどな。学校ではクラス唯一の女だったから、色々と気を使ってもらったりしたっけ。懐かしい」

 私が、そう独り言を溢しながらヘルメスの軍服を洗ってやっていると、ヘルメスは少しつまらなそうに私のほうに顔を向けてきた。泉の中に肩までつけた彼は

「何人の人が、貴方に想いを抱いたのでしょうかね」

「さぁな。でも、私は王族だったから、どんなことがあれ結ばれることは無かったさ。それに、あの頃の私は母のために早く一人前になりたいと我武者羅に訓練に取り組んでいたからな。恋愛など、邪魔な存在だと思ってたよ」

「そう……ですか」

 ちょっと安心したような顔をする彼に、私はニタリと笑って

「焼餅を焼いてくれるのは嬉しいよ。間違いなく、私の初めての相手がお前だ」

「えへへ」

「ヘラヘラするな。男の癖に」

 私はそう言って、ヘルメスのズボンをパンパンと払って水気を飛ばす。それらを大きな石の上に横たえて月の光での乾燥を試みた。大きな月のおかげで、光を当て続ければ結構乾く。おまけに今は秋で乾燥しているからいつも以上に乾くのは速い。まぁ、二時間ぐらいだろう。一時間もすれば着ても問題は無い。

「ふぅ。メイス、ここにおいて置くからな?」

「あ、すみません」

 水浴びをするメイスを横目に、私は大石の上に腰を下ろして月を眺めた。やはり、その場所からの夜空はとてもよく見え、巨大な月が光り輝く様が良く見えた。私たちの星はあの月を中心にグルグルと廻っているらしい。かつてはこの星が宇宙の中心であると考えられていたようだが、宇宙科学の発展によって、どうもそうではないことがわかってきた。詳細なところは私にもわからないのだが、私たちの星はあの月の強大な引力というものに引っ張られて、グルグルグルグル廻っているらしい。

「あの星にも人はいるのかな……」

 私はそんなことを呟きながら、ヘルメスが水浴びをしている間、夜空を眺め続けた。

「きゃあ!!!」

 そんな中、唐突に響く女の悲鳴。このロマンチックな空気をぶち壊して悲鳴を上げたのは誰だ? ああ、声色で分かるさ。

「な、なな何をしているのです、メイスぅっ!!」

「ね、姉様っ?! な、なんでこんなところに?!」

「あ、貴方こそ何をしているのです!! 早くそこを退きなさい! 今から私が水浴びをするのです!」

「い、嫌だよ! まだ服が乾いてないのに!」

「そんなこと知りません!」

 ほぉ。あのアルテミスが強い口調でヘルメスを攻め立てている。これはこれで珍しい。

だが、そうも言ってはいられない。

 私は重い腰を上げて地面に飛び降りると、傍迷惑なことこの上ない姉弟喧嘩を諌めるべく、彼女たちのところへ歩いていった。

「おい、お前ら。今は喧嘩するようなときじゃないだろ?」

「あ、アティナ様までいらっしゃったのですか?! ま、まさかこれから夫婦でどっぷりと!」

「ねぇよ!」

「ほ、ほんとですか?! 体を洗っているのは、この地で純潔を散らすお覚悟があるからではないのですか?!」

「ねぇよ!!」

 こんな場所でしてたまるか。兵の目だってあるのに、こんなことでそんな馬鹿なことをしたら私に対する信頼が一気に失墜する。ジュピネルを攻める前に兵たちとの信頼関係がガタガタになったらおしまいだ。

「メイスが水浴びしたいってんで、道案内してやっただけだ。あとは洗濯を少々」

「そ、そうやって貴方はメイスにばっかり尽くすんですね?!」

「別にそう言うわけじゃ……。なんなら、お前の服も洗ってやろうか? 水浴びするんならどうせ脱ぐんだろ?」

「え? ええ……まぁ」

 そういうと、アルテミスはおもむろに鎧を外し始めた。

「ちょ、ちょっと待ったぁ!!」

「なんだよ、ヘルメス」

「お、俺の目の前で脱がせないでください!!」

「別に姉の裸見ても何も起きないだろ? なぁ?」

「い、いえ……メイスには出て欲しいなと思うのですが……」

「なんだ? 二人とも恥ずかしいのか? 姉弟で発情すんなよ」

「「してませんっ!!」」

 そう叫ぶと、ヘルメスは泉の中から外へと出てくる。だが、服は乾かしたばかりだからまだまだびしょびしょである。下手に着ると、ひ弱なこの小僧はきっと風邪を引いてしまうだろう。中秋の寒い晩。生ぬるい水の中のほうがあったかいといえばあったかい。

「メイス、今出ると風邪引くぞ。そんなに姉の裸が見たくないなら逆方向向いてればいいさ。水の中に体を沈めちまえばアルテミスの裸も見えん。それまで向こう向いてろ」

「で、でも……」

「風邪引かれたらこっちが困るんだよ。進軍スピードも落ちてしまうしな。この山の中に置き去りにしてもいいって言うんなら風邪引いてもいいけどさ」

 私がそう言ってやると、岸に上がりかかったヘルメスは黙って水の中に戻っていった。そして、何も言わないまま私たちに背を向ける。

「ほれ、アルティ。弟は向こう向いたぞ」

「い、いや、でも……」

「いいから脱げ! そして早く寝ろ!」

「は、はひっ!」

 アルテミスはそう言うと顔を真っ赤に、背後にいるヘルメスを気にしつつ、服を脱ぎ始めた。私はそんな彼女の傍に近づいて、彼女が脱いだ服を受け取ると再び洗濯作業に入る。上質な布地を使っているアルテミスの服は、一旦汚れると洗うのが非常に面倒くさい。極め細やかな織り方をしているため、泥などが隙間に入って取れにくくなるからだ。まぁ、すぐ汚れるのだから大雑把な手洗いでも問題は無いだろう。

「ん?」

「ど、どうしましたか?」

 下着を脱ぎ、月明かりの下、全裸になったアルテミスは、顔を赤らめた状態で私に顔を向ける。

「いや、お前って香水とか使ってるのかなって思って……」

「え? い、いいえ。お城ならともかく、こういうときには使いません」

「そうなのか?」

 私がアルテミスのロングスカートをクンクン嗅ぐと

「いい匂いがするから香水なのかなって思って……」

「あ、アティナ様が……私のスカートをクンカクンカと……」

「発情すんなよ」

「し、してません……今は」

 アルテミスは手で水を掬い、それを体にバシャバシャとかけた上で水の中に入っていく。そのすぐ後ろにはヘルメスがおり、彼はなにやら必死になって月を眺めていた。一方で私は私で、いい匂いのするアルテミスの服を水に浸し、それから手馴れた手つきで服を洗った。だが、流石にロングスカートは洗うのに骨が折れる。

「アティナ様が私のスカートを丹念に洗って……」

「ね、姉様……。目を輝かせないでください……」

「お黙りなさい、メイス。って、こっちを向かないで」

「向いてないよ。姉様の声だけでわかる。姉様単純だから」

「そ、そんなことはないよ! 私は思慮深く、聡明なのです」

「アティナ様を見るとすぐ飛びついて、アティナ様のことになると暴走する姉様が、思慮深くて聡明……ねぇ」

「女王を侮辱するの?」

「またそうやって……」

 私が洗濯に励んでいる間、そんな言い合いが私の耳に入ってきた。だが、あえて私は何も言わない。こいつらはこの世界でたった二人になった家族なのだ。どちらかが死ねば天涯孤独になり、両方死ねばサトゥル王家の血は完全に途絶える。そんな究極の状態にあるのだから、二人で解決すべきことは二人で解決して欲しい。

「姉様は俺のこと嫌いなんでしょ? 姉様の大好きなアティナ様を娶ったから」

「別にそんなことはないわよ? ただ、貴方が憎いだけ。よくも私のアティナ様を寝取ったわね? この恨み、晴らさずおくべきか」

「まったく姉様は……。父上はさぞお嘆きでしょうね。わっ!」

「黙って聞いてれば、この子はぁっ!」

 アルテミスはヘルメスの後頭部に手を当て、強引に水の中に突っ込んだ。

「ちょ、ちょっと姉様っ?!」

「そんな軽口叩けないよう、みっちり躾けてあげるわ!」

 バシャバシャともがくヘルメスと、笑顔のアルテミス。ふむ。度が過ぎたら止めようとは思っていたが、どうやらじゃれあっているだけに見える。アルテミスの手に本気さは見えないので、私は無言のまま、洗濯を続ける。

「しかし……。あれだけ恥ずかしがってたのに、アルテミスの奴、ヘルメスの頭に思い切りデカ胸乗っけてるんだが……いいのか?」

 おそらく、本人は気づいていないだけだろう。

「ちょ、ちょっと苦しいって姉様っ!」

「きゃあ!」

 ヘルメスが身を翻すと、アルテミスは滑ったのか、そのまま水の中に没した。が、ものの数秒で姿を見せる。その姿はまるで川の妖怪のごとし。大量の水をダラダラと溢しながら立ち上がった。

「ぷはぁっ! もぉ、何するのよぉ!」

「ね、姉様?!」

「何よ……って……」

 おー。やっちまったな、姉弟よ。

 私が思わず噴出しそうになるのを必死に堪えながら注視する。ヘルメスとアルテミスは向かい合っており、かつアルテミスは立ち上がっているので、彼女の恥ずかしい部分がヘルメスのすぐ目の前にあった。ヘルメスの視界には、姉の恥ずかしい部分のみが入っているだろう。

「ね、姉様……」

「い、いつまで見てるのよ!!」

 アルテミスの膝蹴りがヘルメスの鼻を完全に捉えると、直撃を受けた彼はそのまま泉の中に沈んで行った。見た感じ、モロに入っていたのだが、果たして大丈夫か?

「ぷはぁ!」

 ああ、大丈夫だったか。

 鼻を強打したヘルメスは、蹴られたところを押さえながら顔を出す。だが、その顔は真っ赤っか。夜でもそれがわかるのだから、相当な赤みを帯びていたのだろう。まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。流石に姉のものであっても、女の秘部を至近距離で見てしまったのだから。

「もぉ、メイスのエッチ!」

「ね、姉様が悪いんじゃないかっ!!」

「し、知らないわよ、私は何もぉっ!」

 おいおい、今度は胸が丸見えだぞ。そしてヘルメスがまた顔を真っ赤にしている。

「天然姉弟。面白い」

「何言ってんのよ、アティナ」

 背後から声を掛けられ、私が振り向くとアフロディテが頭を抱えながら立っていた。

「騒がしいからやってきてみたら、何してんのよ……あの二人」

「姉弟喧嘩らしいです」

「止めなさい。兵たちが見たらどうするの?」

「ズリネタにでもさせれば……あいたっ!」

「一国の女王をそんな馬鹿なことに使わせるんじゃないの」

「うっ……すみません」

 すると、アフロディテは腰に手を当てて泉の中に入っていく。密閉性の高いブーツを履いているので、ある程度のところまでは入っていけるようだ。

「コラ! アルテミス様も、ヘルメス様も、少しは落ち着きなさい! 年頃の男女が裸で喧嘩しあうなんて、おこがましいことこの上ないです! ほら、さっさと出た出た!」

 流石は私の姉上。相手が王族だろうが関係なしだ。

 ということで、アフロディテの仲裁もあって二人の面白い痴話喧嘩は幕を閉じた。ヘルメスは生乾きの服を着用させられ、アルテミスは私が洗ったばかりの水びだしのドレスを着用させられた。風邪引かないだろうな、あいつら……。

「服を着たら、さっさと陣地に戻って寝てください! 明日は早いんですからね!」

「「は、はい……」」」

 あの王族を屈服させるアフロディテ。うーむ……、凄い人だ。

「アティナも、早く寝なさい」

「はい」

 別に抗う理由も無いので、私はびしょびしょのアルテミスとヘルメスを引き連れて陣へ戻った。アフロディテも皆の姉というよりはお母さんみたいな仕種で、私たちとともに陣へと戻った。

明日はまた山の中を行軍する。なるべく、疲れを残さないでいて欲しいところではあるが

「うぅぅ……寒くて眠れないですぅ」

「つ、冷たい……。動くと冷たいよ、姉様ぁ」

 二人の王族は水が冷えたせいで夜遅くまで眠ることができなかったようである。果たして、明日はどうなるのか……。

 

 

 

 


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