第七章 炎上する都、タイタニア

 



 

翌日、九月九日午後。

 私たちは早朝からアポリオンの森を出た。

 昨日の雨が嘘のように、今日は真っ青で雄大な空が広がっている。突発的な大雨によってそのエネルギーを尽くしたか、昨日の曇天は雲一つない晴天となっていたのである。

私たちは敵を警戒して森のすぐ傍を進んだ。できるだけ目立たないようにするために、国旗や団旗は下げた。

「ん?」

「どうかなさいましたか、アティナ様」

「見ろよ、アルティ」

気になる黒い煙が山一つ向こうから上がっていた。

 両親や兄弟たちが心配なのか、いつもは明るくぶっ飛んでいるアルテミスも、さっきの一言を聞くまで、口を利いていなかった。各隊の隊長もまた覇気のない顔をして馬に跨っていた。馬は馬で疲れているのか、その筋肉まみれの足はおぼつかない。

 黒い煙が向こうに見える山に足を踏み入れると、指揮官やアルテミスたちはまるで何かに背中を押されているかのように、我先にと標高百五十メートルの山頂を目指した。敵がいない保証はどこにもないが、私は止めはしなかった。そして見るがいい、戦争の現実を。敗者の残酷な行く末を……。

「諸君らに告ぐ。これより先、諸君らにとって心に大きな傷をつける光景が待っていよう。だが、愚かな行動には出るな。私が必ずや、仇を討たせて見せよう」

 まだ何も知らない一般兵たちにそう告げ、私は馬を操って斜面を上がっていった。

 無造作に草が生える地帯を進みながら、私たち一同、皆が皆、顔を険しくさせていた。

兵士たちは私の意味深な言葉に警戒心を抱いているらしく、周囲をキョロキョロと休むまもなく見回していた。どうやら、私の発言に対して周囲に敵がいるのではないかと考えたようだ。その考えは実に惜しい。敵がいるのはタイタニアだ。それもこちらの何倍もある兵力で。

 一歩、また一歩。わずか百五十メートルの高さの山を登るのに二十分も時間はかからなかった。ゴクリと生唾を飲んで私たちの軍が登頂を成し遂げると、そこから見えた下界の姿は地獄そのものだった。

「あ、あぁぁぁぁ!! お、俺たちの街が!!」

「も、燃えている……燃えてるぞっ!!」

兵士たちは口々に喚き、叫んだ。その絶叫を前に私は思わず目を背けた。

私たちが数日前まで訓練に励んでいたタイタニア。その丘陵地に聳え立つ真っ白な城と数千の家屋は、紅蓮の炎に完全に飲み込まれ、未だに勢い衰えずに燃え盛っていた。空は赤と黄色で染まり、黒煙がその上を行く。そして、タイタニアの周囲には数千のジュピネルの兵士たちがいるようだった。目のいい私でもそこに人がいるとしかわからず、詳細の状況は皆目見当がつかなかったが、何千もの粒が蠢いている。戦は当に決したのか、野営テントまでタイタニアの周囲に展開されていた。

「やはり、遅かったか……」

 私の声にアルテミスが目尻を吊り上げて叫ぶ。

「どうします?! 攻めますか?!」

 今のアルテミスは私をも凌駕しそうに奮い立っていた。おそらくは自分たちの父母兄弟たちが受けた仕打ちを思い浮かべてキレたのであろう。私とてそれは同じことだ。ここで一気に山を下って攻め掛けてもいい。だが、奴らの軍は圧倒的に多い。勝てる見込みは全くない。

「いや……ここは作戦を立て直すべきだ。皆も良いな? 私たちがこの山に篭っていることは敵とて知らぬ。だが、迂闊にも攻め出ようなどとは絶対に思うなよ? こういうときこそ冷静な作戦が必要なんだ」

 私の発言に兵士たちは地団太を踏む。本当に私の国が酷い事をしてしまって申し訳ない気持ちだ。だが、今こそは耐えてほしかった。私が必ずや皆に敵を討たせてやる。

「アルテミス、一時間ほどここで休憩する。皆のもの、あの光景を殊更に脳裏に焼きつけよ! 私が必ずやお前たちに身内の仇を討たせてやる! だから、今はこの光景を忘れぬよう心がけよ! あの鬼畜ジュピネルの兵士どもの屍の山を築いてやるのだ!!」

 私は血まみれの拳を振り上げて叫んだ。兵士たちも大粒の涙を零しながら、必死の思いで拳を黒煙に汚される空へと向けた。彼らの悲痛な気持ちは限界点を越えて、叫び声にすらならなかった。

 私も後々のことはアルテミスに任せ、馬を下りて人知れず斜面を下った。私とて、悲しみがないわけはない。あの燃え盛る城の中で、悲痛な叫びをあげて殺されていったであろう人達のことを考えると、悲しくて仕方が無い。

 陛下や、それに順ずる人々、貴族にメイド、町の人々。その全てがあの煙の中で凄まじい苦しみに遭っているのだ。それを考えるだけで胸が締め付けられる思いだった。

私は、斜面に逆らうように聳え立つ大木に手をつくと、思わず目尻から涙をポロポロと零していた。胸が凄く痛かった。嗚咽も交えながら、私は必死に声だけは上げまいと堪えていた。だが、冷酷かつ無慈悲な私にも、それは不可能だった。

「うっ……うっ……うぁぁぁあああああああああああああああ!!!」

 私は鳥が驚いて羽ばたくほどの声で泣いた。きっとどの兵士の泣き声よりも私の慟哭の方が大きかったに違いない。その大地を揺るがす咆哮は、山の頂にいた兵士たちも思わず目を向けるほどだ。

「アティナ様?!」

 ヘルメスが即座に馬を下りて斜面を駆けた。

「なんで?! なんでこんなことになるんだよっ! あの人達が何をしたって言うんだよ! 私を暖かく迎え入れてくれた、あんなに優しくて一生懸命な皆がどうして死ななくちゃならない! 神よ! なぜ、貴方はこうも気まぐれなのか!!」

 空に目を向け、両手を広げて叫ぶ私。溢れ出る涙で視界は揺らいでいた。

「答えてください!! 何故、人を作られた貴方ほどの方が人同士で争わせるのですか?! 神よ、なぜなのですか!!」

 私は無意識的に剣を抜いていた。それを振り上げ、力任せに眼前の大木めがけ振り下ろした。樹齢千年を超えるであろう大木の分厚い表皮が瞬く間に傷つけられていく。樹液も漏れ、まるで血のように滴った。「痛い、痛い」と私に訴えかけてくるように、樹液は大量に零れ落ち、私が剣を振るうたびに飛散して、頬や衣服にくっ付いた。

「くっ……うっ……」

 二度、三度斬りつけ、力なく剣を落とす私は、樹液が零れてくる大樹に頬を擦りあて、咽び泣いた。この世の無常、そして非常を怨んで……。

「アティナ様!」

 そんな嘆きの中にいる私の傍に、あのひ弱で情けない少年が、珍しく眉を吊り上げて駆け下りてくる。彼は私の傍まで来ると、大樹に凭れ掛かる私を引っ張った。

「大丈夫ですか?!」

「馬鹿ヤロウ……。これが大丈夫そうに見えるのか? このアティナ様が泣いてるんだぞ? こんなこと……未曾有の屈辱だっ!」

「アティナ様……」

「あのクソ親父! 絶対に……私が絶対に許さない! きっと、きっとブチ殺して、クロノス様に土下座させてやる! そのあとで地獄でも何でも堕ちて、神に許しをこいやがれっ!」

 そう叫んでから剣を拾い、鞘に収める私の体を、ヘルメスは何を思ったのか、眉をキリッと吊り上げたまま抱きしめてきた。私の鎧で包まれた硬い体を、その細くて非力な腕で締め、同時に私の顔をその胸で抑え込み、強く強く抱きしめた。

「落ち着いてください、アティナ様。冷静であるべきと言ったのは、他ならぬ貴方ですよ?」

「ヘルメス……」

「貴方は何も悪くありません。貴方が何かで罪悪に浸る必要は無いんです。だから、冷静に。冷静になってください」

 私の後頭部を優しく撫でつつ、ヘルメスは優しい声で私の耳に直接聞かせてきた。この暖かい温もり。私は、その温もりに覚えがあった。そう……あの母に抱かれたときに感じた暖かい温もりだ。

「俺も、姉様も、経験不足で戦に対しては何の役にも立てません。貴方だけが頼りなんです。そんな貴方が暴走してしまって、誰がサトゥルを未来に導くというんですか? 俺は、貴方を信じてます。貴方の夫だし……貴方を、愛してしまったから」

「ヘルメス……」

 私は彼の服にしがみつきながら大粒の涙を零していた。

「……ありがとう。私も、貴方を信じてる。だからお願い……私を助けて……」

「ええ。勿論ですよ、アティナ様……」

 全く。ほんの少し前までは非力でひ弱で情けないバカものだったのに、いつの間にか、こいつは目を見張るほど急成長を遂げたものだ。私は、そんな彼に心からすがり、抱擁の中で安寧を得て行った。彼の腕の心地よさに心がすっかり洗われる気分であった。

「むぅぅ……メイスぅ、それ私の役目ぇ〜」

「まぁまぁ、アルティ姉様。今はそっとしておきましょうよ」

「ティアの言うとおりですよ。にしても、なんだか羨ましい。ああいうの見ると、私も……また恋がしたくなっちゃった」

 山頂からこちらを見下ろす三人はそう言い合って、タイタニアのほうへと向かって歩いていった。他の兵士たちも空気を読んで、私たちの周りからどんどん離れていった。

 そのまま、何分も時間が経った頃、私はようやく落ち着きを取り戻して、彼の胸から頭を離した。そして、潤んだ瞳と赤く染まった頬で彼を見やって

「ヘルメス……。キス……してほしいな」

 と言うと、彼は何の躊躇いも無く、私に微笑みかけ

「はい」

 私がそっと目を瞑ると、ヘルメスは優しくキスをしてくれた。唇がまず微かに触れ合い、離れ、かと思えばまた唇が合わさり、艶かしい音を立てる。同時に、私は彼の首に手を回し、彼は私の背中と腰に手を回して体を密着させ、激しく抱き合う。漏れる吐息が更に体内に熱を帯びさせ、私の胸の中では心臓が激しい鼓動を打った。

 今まで味わったことの無い、幸せな時間……。私は、ヘルメスの優しさに心から癒されるのであった。

 やがて、キスを終えて顔を離すと、顔を赤く染めたヘルメスがニッコリ笑いながら

「アティナ様? そろそろ、俺のことは愛称で呼んではくれませんか?」

 と言ってきた。なので、私は彼の首に手をかけながら

「フフ。メーイースー」

「ありがとうございます」

「メイス、大好き」

 私はそう言って再び彼の胸に顔を寄せた。ヘルメスも笑いながら、私の頭を優しく、丁寧に撫でてくれた。その手がとても心地よくて、私は目を瞑ってその指先を堪能した。そして改めて、私が女であることを悟った。以前は男に生まれたかったと強く考えていたが、女で生まれてよかったと、このときは思っていた。

「メイス。絶対に……この戦勝とうね。貴方と、私が築けるはずだった幸せな未来は、ジュピネルが奪っていった。私たちはそれを取り戻さないといけないの」

「はい。アティナ様なら、きっとやってくれると信じております。微弱ながら、俺も貴方のお役に立てるように頑張ります」

「フフ。大丈夫。メイスは私の役に立ってるよ。貴方がいるだけで、私は戦える」

「なら、それ以上の役に立ちたいです。これでも俺は参謀として、貴方の傍に配属されたんですよ?」

「なら、ここぞと思ったら私に意見を頂戴。私だってまだ小娘で経験不足。見落としだってあるし、気づかない事だってあるんだから」

「貴方が気づけないようなことを、果たして俺が気づけるでしょうか……」

「もぉ。すぐそうやって自己卑下に浸るぅ。悪い癖だよぉ、貴方のぉ」

「そ、そうでしょうか……。って、アティナ様……さっきから妙に可愛いんですけど、声が」

「そぉ? えへへ」

 私は子供のような顔をしてヘルメスの胸にまた顔を埋めた。

「女はね? 幾つも顔を持っているんだよ? 好きな人の前だから、私はこうして素顔を晒しているの。こんな私じゃ……嫌だ?」

「い、いえ! そんなことないです! どっちのアティナ様も俺は好きです!」

「えへへ。じゃあいいじゃない」

 私はまた暫くの間、彼の優しい胸の中で気持ちを落ち着かせてもらった。ヘルメスもまた、そんな私に若干の戸惑いを見せながらも、そっと手を頭に乗せ、撫で撫でと撫で続けてくれた。

 が……。

「メーイースーちゃーん? そろそろ、離れてくれないとぉ、私ぃ、間違えて矢を射ちゃうかもしれないわよぉ?」

 山頂からこちら側を睨む般若のような女。ニタリと歯を全て見せる勢いで笑う彼女の、殺意が存分に篭められた声を聞いて、瞬く間にヘルメスの顔から血の気が引いていった。彼は、まだ甘えたり無い私から慌てて離れる。そうしないと、本気で矢が飛んでくるとでも思ったのだろう。

「も、もう大丈夫ですよね、アティナ様?」

「むぅぅ。もっと抱っこぉ」

 私が甘えたそうに上目で訴えるが、

「もう大丈夫です! で、では、失礼します!」

 ヘルメスは血相を変えて山頂へと駆け上がっていった。それとは入れ替わりに、般若のような女が斜面を駆け下り、私の前までやってくる。無論、それはアルテミスだ。

「アティナ様。どうぞ、私の胸をお使いください」

 と、彼女は鎧で覆われた胸をポンと叩くのだが、

「は? 何言ってんだ、お前……」

「えぇ?」

 さっきまでの可愛い少女アティナちゃんはどこへやら。完全にいつもの私に戻っており、アルテミスに対しては怪訝そうな顔を向けていた。

「さて。気分も元に戻ったし、次の作戦準備でもすっか。とりあえず、地図が欲しい」

「ぐすっ……アティナ様ぁ」

 涙目のアルテミスを横目に、すっかり立ち直った私は、笑みを浮かべて坂を上がっていく。その後ろを、シクシクと啜り泣きながらアルテミスが着いて来るのだが、その涙は燃え盛るタイタニアの街で消えた臣下たちに向けて欲しいものだ。

 山頂に再び上がった私は、改めて燃え盛る都タイタニアを見下ろした。多少なりとも怒りが沸いてはきたが、先程のような取り乱しは無い。その冷静な目で私はタイタニアにやってきたジュピネル軍の編成を確認する。

「誰か、遠眼鏡は持ってるか?」

 私がそう言って士官に尋ねると、ある仕官がすぐに遠眼鏡を持ってきた。私はそれを構え、レンズに目を近づける。

「師団旗が見えればいいんだが……」

 タイタニアまで三キロは離れており、遠眼鏡でも人の顔は愚か、その形までぼやけてわからない。だが、各師団が持っている師団旗さえわかればよかった。師団旗は国王デウシウスより直接受け取るものなので、酷く神聖視されていた。師団旗がもし敵に奪わられるようなことがあれば、その師団は玉砕せよ。そう、軍規に記されている。それぐらいに大切なものなのではあるが、同時に誇りであり、野営地ではその師団のテント群の真ん中に置くことが慣例となっている。雨の場合は違うが。

「誰か、私が読み上げる部隊番号をメモしてくれないか?」

「はっ」

 仕官がそう言って筆ペンと紙を持ってやってくる。

「読み上げるぞ。まずは第三師団、続いて第四、第五、第八、第七。以上だ」

 まぁ、そんなものだろうな。大国と違って私たちの国の人口は少ない。サトゥルで三万五千、ジュピネルで四万だ。その中で兵力は大体四分の一しかいない。全兵力で一万前後なのだから、弱小も弱小だ。世界政府『コスモ』の兵力は本隊で百万、予備役を合わせると百八十万になるという。しかも、私たちが見たことも無い武器武装で固められており、奴らと戦った国で勝ったものはこの千年の歴史の中で一つとしていなかった。

「あそこにいないのは第一、第二、第六師団だな。第一師団は近衛兵団だから仕方が無いにしても、第六師団は橋のほう。第二師団はどこにいるのだろう」

 考えられるのは、ジュピネルの砦にいる可能性だ。ジュピネルには四つの砦があり、勿論兵士たちが随時詰めている。サトゥルとの戦争に大兵力を割いたが、南のマキュリウスや西のエリス、北のアースと国はいくらでもある。そいつらに対して防衛を勤めるのが四つの砦だ。

 だとすれば、ジュピネルの兵力展開は攻め込まれる前のサトゥルと同じということになる。だったら、やることは一つしかない。私は思わず白い歯を見せながら、ほくそ笑んだ。成功したときの父の絶望した顔を思い浮かべるだけで、笑いが自然と溢れてくる。

「何か妙案が浮かんだようね」

 私がニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていると、呆れ返ったような表情を浮かべたアフロディテが私の隣に立って言った。

「ああ。とびっきりでスペシャルなアイディアがな」

「はぁー。無事、成功することを祈るわよ、アティナ」

 まるで子供を見るような痛々しい視線を私に送る。

「任せろ、フロディア。お前にはサトゥル勝利の記事を書かせてやる」

「……ええ。期待しているわ」

 短い間を置いてそう言うアフロディテは、そっけない態度を示した上で私から離れていった。

「フロディア?」

 何か悪いことでも、おかしなことでも言っただろうか。喜んでくれると思ったのだが、意外な反応を示されて気になった私は、遠眼鏡を傍の士官に返し、彼女の後を追った。いつも彼女に引っ付いているヘスティアは、従姉のアルテミスとなにやらお話中で、アフロディテは一人で坂道を下って行った。

「おい、フロディア。どうしたんだよ」

 兵たちからも離れたところで、私はアフロディテに声を掛ける。すると、彼女はゆっくりと振り向いた。その目は涙で溢れている。

「なんだ、泣いてるのか?」

 私がそう尋ねると、アフロディテは震える声で

「だって……貴方が記事を書かせるなんて言うから」

 意外な言葉だ。

「え? 何か悪いことだった? 必ず勝ってやるっていう意味だったんだけど……」

「ううん。そうじゃないの……。ただ、そう言われて新聞社のこと思い出しちゃって……。あの煙の下で先輩や後輩、上司がどんな目に遭っているのかと改めて思うと辛くなって……。きっと殺された人や、犯された人、傷ついた人がいっぱいいる……。戦争が終わって、サトゥルが勝っても、その人達とまた同じように仕事が出来るのかなって考えたら……思わず」

 アフロディテはそう言って朽ちて横倒しになった木の上に腰を下ろした。ポケットからハンカチを取り出し、涙が伝う頬を何度も何度も拭う。

「私……また皆を失っちゃうのかな……。また、あの苦しみを味合わなければならないのかな……?」

「ん? また?」

 気になることを言うアフロディテ。

「どういうことなんだ?」

 突っ込んで申し訳ないとは思うが、どうしても聞いておく必要があると私は思った。なので、私は彼女の隣に腰を下ろし、涙ぐむ彼女が少し落ち着くのを待ってから改めて聞く。すると、アフロディテは小さく、そして震える声で

「あのね……アティナ。私、軍にいたんだ……」

「うん……。それは知ってるよ」

「所属はサトゥル軍暗殺部隊特A中隊……。私はそこで隊長をしてたの」

「暗殺部隊……」

 そんな部隊聞いたことが無い。私の国にもそんなものはなかった。要するに、暗殺を専門とする部隊のことなのだろう。正規軍とは違い、裏で活動する組織。きっと、表の兵士たちが行えないようなことをしてきた部隊なのだろう。

「特別A中隊は三つある暗殺部隊の中でも最上の部隊だった。構成員は四十名。皆、腕に自身のある兵士たちばかりで気立てもよく、最高の部下であり仲間たちだった。でも、そんな彼らを、私は全員失ってしまったの。たった一度の戦いで……。それが、三年前の十二月事件だった」

「十二月事件っ?!」

 私は思わず目をぎょっとさせた。その事件なら私も良く知っている。アースで起こったクーデター未遂事件だ。

 その頃、北の国アースでは極右派の軍部大臣と、極左派の文部大臣が熾烈な抗争を売り広げていた。国民に大量の負担を強いてまで軍を増強したい軍部大臣と、国民の生活を守ろうとする文部大臣の考えの相違はついに、軍部大臣のクーデターとなって近隣諸国に衝撃を与えた。アースの軍から決起した五百名は、アースの都パンゲアを占拠しようと試みたのだが、ジュピネル、サトゥル、北東の大国ドラシルの三国の応援派兵を受けて敗北。南のタルタロス山脈に逃げ込んだ。ジュピネル、サトゥルは協力してこれを攻めたのだが、クーデター軍の守る砦は頑固で堅牢。効果を挙げることができなかった。だが、十二月末にどういう作戦かは不明ながら、サトゥル軍が攻撃を行い、砦は落城。クーデター軍は全滅した。

「その戦いに、お前たちが出陣してたのか……」

 私もアイレスの息子、フォベロスとダイモスに従って出陣した。が、戦いには一度も遭遇しなかった。私たちがタルタロス山脈近辺の砦に入った頃にはすでに勝敗は決し、クーデター軍は全滅していたからである。

「ええ。そこで私は部下を全て失ったの。その中には私が心の底から愛した人もいた」

「フロディア……」

 過去話をするアフロディテは、今にも大粒の涙を溢しそうだった。一言一言、声は激しく震え、聞いているこっちが泣いてしまいそうになる。

「私たちはね、クーデター軍を殲滅する目的で砦に乗り込んだ。そこで白兵戦となり、私たちはなんとかクーデター軍を殲滅させることができたのだけれど、仲間は全て討ち死に。私だけが負傷しながらも生き残ってしまった。でも、私は誇らしかった。五百人に対し、こっちは四十人で戦いを挑み、勝利したのだから。遺族たちにもきっとこの功績が伝わり、讃えてくれるだろうと思った。でも、結果は違った」

「なんだと?」

「遺族には、特A中隊はまったく別の場所で、訓練中に不慮の事故で全滅した旨が伝えられた。そして、その責任が全て私にあるように仕向けられていた」

「なぜだ? 功労者であるお前たちに、どうしてそんな……」

「特A中隊司令部は最初から私たちを全滅させたくて、あの戦いに突っ込ませたのよ。特A中隊はいわば影の組織。軍で出世するためには、どうしても正規軍のほうでの活躍が重要となる。だから、特A中隊司令部は、特A中隊を全滅させ、正規軍に異動する機会を得たかった……」

 耐え切れなくなったのか、アフロディテは目頭を押さえながらも、嗚咽の混じった声で私に話をしてくれる。

「酷い話だ……」

「ええ。全く酷い話。せっかくの戦いでの功労も全て正規軍のものになり、特A中隊はその命をかけて勝ち取った勝利の旗も奪われてしまった。遺族たちは訓練を指揮したことになっている私に対して責任を求め、毎日のように誹謗中傷を受けたわ。私は家に閉じこもり、毎日を怯えて過ごすようになった。でも、お父様が名誉回復に努められてね……。特A中隊の一件が全て明るみになり、陰謀を画策した特A中隊司令部は全員が極刑となり、遺族には改めてその功績が伝えられた。戦役墓地にも大きな石碑が建てられた。でも、私の心につけられた傷は大きかった。だから私は、剣を封印したの。もう二度と、あんな目に遭わないように……」

「そうだったのか」

 彼女は頑なに剣を封じているのは、過去の己に対する贖罪のためだった。彼女に責任はほとんど無いだろうが、それでも陰謀に踊らされて仲間を失ってしまった悲しみが、今の彼女に巨大な罪の十字架を背負わせているのである。その十字架のせいで、彼女は恐怖心から剣が震えなくなった。

「私がアフロディテと呼ばれて嫌がるのも、そう言う理由。アフロのお姉ちゃんなんて呼ばれたことは無いの。ただ、アフロディテと呼ばれると、あのときの私が戻ってきてしまう。だから、私はフロディアと呼んで欲しいと皆に言っているの」

 アフロディテはそこまで言って口を閉ざした。しばし待っても、それ以上の言葉は彼女の口から出てこない。彼女の顔はいつもの明るく知的な彼女と違い、暗く、悲しく、懺悔している暗闇に満ちた顔をしていた。

「そうだったのか……。すまない、軽々しくアフロディテと呼んで」

「いえ、。いいのよ。こっちこそごめんなさい……こんな話しちゃって」

「聞いたのは私だ。謝るのは私のほうだよ。けどさ、フロディア。お前がいつまでも気にすることじゃないだろ。私たち兵士は死ぬために戦ってるようなもんだ。いつ、どこで、死んでも私たち兵士は文句言わないよ。お前がそこまで皆のために悔いる必要は無い。兵士たちだってそう思ってるはずだ」

「憶測でしかないよ……」

 アフロディテは涙を必死に拭いながらそう言う。

「憶測なものか。兵たちは常日頃から死を胸に生活している。だからこそ、一瞬一瞬を大切にするし、死んだところで殺した相手すら怨まない心を持っている。そんな兵士たちが、どうして隊長を怨むんだよ」

「……それが、ただの無駄死にだったとしても?」

「ああ。そうさ」

 私がそう言うと、アフロディテはまた口を閉ざした。彼女はしばらく草が生い茂る地面に目を向け、やがてはその顔を静かに上げる。

「……ごめんね、アティナ。情けないところを見せてしまって」

「ううん。気にするなよ。私たちは友達だろ?」

「ありがとう。こんな私を、そんな風に言ってくれて」

 涙を拭うアフロディテ。私はその頭を、先程ヘルメスがしてくれたように優しく撫でてやる。さっきやってもらって、とても心地よかったから。女同士でも、心が安らいでくれればそれでよかった。案の定、アフロディテも気持ちよさそうに穏やかな顔を浮かべ、私の手を受け入れてくれる。

「気持ちいいわ……アティナ」

「そうか?」

「うん。お父様も、傷ついた私をこうやって撫でてくれたの……」

「ケラドスが」

 おそらく、ケラドスも生きてはいないだろう。国境防衛に出向いたのであれば別だが、タイタニアに残っていれば、間違いなく……。なにせ、あの男は軍の参謀長。生きて虜囚の辱めを受けるようなことも無いだろう。

「お父様は、本当の娘じゃない私を、心の底から溺愛してくれた……。だから、私もお父様に応えようと頑張ったけど、それはもう永遠に出来ないのよね……」

「…………」

 おいおい、また衝撃的なことをぽろっと言ったぞ、こいつ。

 私は頬を引きつらせつつ、声を作った上で彼女に聞いた。

「ケラドスが、お前の実の父ではない? どういうことなんだ?」

 尋ねると、アフロディテは私の手を受け入れながら

「私は施設で育ったの。生まれたときから、お父様に貰われる六歳ぐらいまで」

「そうだったのか……」

「お父様、お母様には子ができなかった。だから養子を貰おうってなって、私を選んでくれたの。本当は男の子が良かったんじゃないかと思うんだけど、目が合った瞬間、ピンときたって言ってた」

 それはまた凄く幸運だな。孤児から軍の参謀長の娘になるなんて、童話の少女も吃驚の大出世だ。そして、この娘は苦しみを味わいつつも、私やアルテミスと出会い、言葉は悪いがタイタニアの災難を上手くかわすことができた。この娘はきっと神に選ばれた娘なのかもしれない。将来、きっと大勢の人を導くような……。

「お前は、産みの母については何も知らないのか?」

「施設の人の話では、ある冬の日に施設の前で赤ん坊の私と、痩せこけた女性が横たわっていたんですって。女性……つまり母なんだろうけど、母はすでに死んでいたって言っていたわ。逆に私は痩せてもなく、むしろ太っていたって言っていた」

「お母様は自分よりも、お前を助けることを選んだんだな。いい母だ。まるで私の母のように。私の母も、全てを私優先で考えてくれた。優しくて慈愛に満ちた、素晴らしい母だった」

 私はすでに十年前に失った最愛の母を思い返しながら、アフロディテの頭を撫でていた。私たちは似たもの同士なのだ。歳は少し違えど、私たちは似た境遇で生き、こうして出会ったわけだ。そこに運命を感じざるを得ない。

「メティシア様ね……」

「ああ。紅玉の戦乙女メティシア。私の誇りであり、生涯の目標たる麗しき戦乙女だ」

「フフ。アティナはきっと、お母様を越えると思うわ。ええ。そう感じる」

 嬉しいことを言ってくれる。

「ありがとう。で、お前の母上の名は?」

「ええ。私の産みの母はディオネ。ディオネ=ティタン。それ以外は経歴も生まれも人生もわからない。かろうじて、身につけていたペンダントにそう刻まれていたんですって。でも、私は一生、この名前を覚えていようと思っているわ。私を、己の命を失ってまで守ってくれた人だから……」

「そうか。ディオネ殿か……」

 ん?

 私はふと気になった。このディオネ=ティタンという名前に聞き覚えがある。いや、けっこう強烈に覚えている。

『アティナ。強く生きなさい。我が友、ディオネのように……』

『お母様のお友達ですか?』

『そう。ディオネ=ティタンは私の親友。私の最愛の友。一緒に何度も戦ってきた戦友。今頃どうしているのかしらね。お父様の許から逃げ出して、行方知れず……』

『むぅぅ。お父様酷い』

『あらまぁ。そう言うことを言うものではありませんよ?』

 私は思わず顔を青ざめさせた。運命が恐ろしくなった。

『ディオネはその金色の髪から金玉の戦乙女と呼ばれてたの。本人は嫌がっていたけれど』

『なんでぇ?』

『え? えーっと……あ、あはは。お子様にはもうちょっと早いかな?』

『えー……。きんたまのお姉さんかぁ』

『ブッ! こ、コラアティナぁ!』

『ふぇぇ! 何で怒るのぉ?!』

 ああ、そうだ。

『え? 金玉の戦乙女について?』

『ああ。なんでもいいから教えてくれ。お前の親友だったんだろ?』

『ええ。紅玉、金玉、紫電……。三色の戦乙女は近隣諸国に名の通った戦乙女たちよ』

『それは知ってる。紅玉は母のことだから良く知ってるし、紫電は目の前にいるし、だが、どうしてもディオネ殿のことがわからん。母は親友だったと言っていたけど、どういう人だったんだ?』

『フフ。それはいずれ教えてあげるわ。でも、今はダメ。話すときは、貴方のお母さんいついても詳しく話をしてあげないといけないから……。ただ、ディオネもまた貴方のお母さん同様の屈辱を味わったことは教えておいてあげる』

『え?』

『ディオネはデウシウスの手篭めにされ、お腹に赤ちゃんを宿して出奔したの。もし無事に生まれていれば、きっと貴方ぐらいの年頃の子になっているかもね』

『ま、マジか?! で、で、それで?!』

『フフ。あとのことは、貴方が大人になったら、教えてあげる。ベッドの中で』

『ふざけんな!』

 ああ、間違いない。

 私は自分の目の前にいる人物に顔を向ける。金色の髪、どこか似ている私たち、そして強い。こんな運命があるのだろうか。話に聞かされていた、母の親友の娘。そして、私の……。

「ど、どうしたの、アティナ? そんなに怖い顔して……」

 そう聞いてくるアフロディテに、私は思わず噴出してしまう。そして、人目も憚らず下品にも大きな声を上げて笑った。なんという運命の悪戯だろう。なんという、神のお導きだろう。

「フロディア。私、本気で運命を信じたくなったよ」

「え? えぇ? 急に何? ちょっとヤダ……貴方まで女同士の恋愛OKとか言い出すんじゃないでしょうね?」

「そうじゃないさ」

 私はそう言って身構えるアフロディテの手を取る。

「私はディオネ=ティタンを知っている」

「え?」

「ディオネ殿は私の母やとある変態が良く話をしてくれた。私の母の友で、同じ軍人。凄腕の剣士だったんだ。金玉の戦乙女と呼ばれ、母には劣ったようだが、それでも軍の中では有名な存在だった」

「えぇっ?! い、いや待って! ってことはなに!? 私の母ってジュピネルの人なの?!」

 衝撃だろう。彼女の血はサトゥルのものではなく、ジュピネルのものなのだ。

「ああそうさ。そして、ディオネは私の母同様、父のお手つきになった。それがたまらなく嫌で、彼女は城から逃亡したらしい。話では、そのときすでに彼女は身ごもっていたそうだ」

「え? え?」

 彼女の目が焦点定まらない。理解が追いついていない。だが、私は待ってやるものか。

「お前の母がその金玉の戦乙女ディオネ=ティタンで、私が聞いた話が間違いないのであれば……お前は……いや、貴方は! 私の、腹違いの姉上ということになる!」

 私は声を大にして叫んだ。敵が間近にいるのに大声を出すのはバカ者のすることだが、私は興奮を抑え込むことができなかった。だって、そうだろう。親友が、私の……お姉様なんだから。

「ま、待ってよ、アティナ! そんなに捲くし立てられても理解が追いつかないわよ!」

「追いつかなくていい! 事実は変わらない! 貴方は、私がずっと会いたがっていた姉上なんだから!」

 私がそう言うと、アフロディテは顔を真っ赤にして俯く。なんて応えたらいいのかわからないような顔をしている。それはそれで当然であろうが、私は喜色満面。幼い頃、夢に描いた姉の困り果てた顔をじっくりと堪能させてもらう。

「あ、アティナ……。嘘……じゃないよね?」

「そんな酷い嘘を私がつくように見えるか?」

「う……。そう……だけどさ。でも、まだ信じられなくて……。貴方がその……私の妹で、私の母がジュピネルではそんなに有名な人だった……なんて」

「信じろ。信じるべきだ。貴方の母は、それだけ凄い人で、誇り高き戦乙女だったんだから」

「ううぅ」

 私が迫るので、アフロディテは思わず身を仰け反らせる。

「私は、とても嬉しいです。どんな形であれ、こうしてお姉様と出会えたこと。戦が終わったら、きっと母にもそう報告します。よろしければ、一緒に墓前まで参ってはもらえませんか?」

 なんという積極的なアプローチだろう。こういうアプローチをヘルメスに対してできないのはなんとも情けない。

「わ、分かったわよ! 分かりました! だから少し離れて! 近い近い!」

「ああ、すみません……」

 私がようやく離れると、アフロディテは額に浮かんだ汗をハンカチで拭い

「まったく。少しは落ち着きなさい。そう興奮ばかりしていると、大切なところでやらかすわよ?」

「はい。以後気をつけます、お姉様」

「まったくぅ。本当にこの子が私の妹なのかしら……」

「間違いありません! だって運命ですもの!」

「根拠になってないわよぉ」

 

 

 

 

 


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