第五章  グラウコーピス軍、出陣す

 

 

九月六日。

 私、アティナーデがヘルメスとの結婚式を済ませた翌日のことである。

早朝から私に出撃の王命が下った。というのも、ジュピネル軍の不穏な動きがとうとう確認されたというのである。その動きはまだ明確ではないものの、それを警戒するべく、私たちグラウコーピス軍は他の部隊と連携して国境付近を警備することになった。

両国の架け橋になるために婚姻したのに、その翌日には戦争直前の状態。悲観にくれる国民も多くいることだろうが、私にしてみれば、喜ばしいことこの上なかった。

 腕が鳴る。

 久しぶりに真っ赤な鎧に身を包んだ私は、誇らしげに自らの剣を腰に差し込んだ。普通ならば傍仕えの侍女がやることだろうが、自らの命を預け、紅玉の剣士を誇示するための鎧だ。私が自身で納得の行くように着付けるのが普通だろう。

 栄えある出陣のため、夫となったヘルメスと私の夫婦部屋にて、着付けを済ませる私は相手の軍との交戦を楽しみにするあまり、笑みまで零していた。

国境付近に布陣ともなれば数々の戦いが私を待っているだろう。この手で父に反旗を翻し、何人でも何人でも傷つけて、痛めつけて、ぶっ殺してやる。私の鬼気がフワッと心に沸き、私は大きな声で笑っていた。

だがしかし、私の傍に佇む夫は、浮かない顔をして私の真紅のマントを手にしていた。

勿論、この男が言いたいことは私もよくわかっているつもりだが、戦場の行く末は生か死か何れかだ。甘っちょろいふざけた言動など今の私には興ざめにすぎない。その顔がだんだんに鬱陶しくなった私は

「ヘルメス、私の晴れ舞台だ。そんな顔しないでくれ」

 と彼の気持ちを和らげるためか、私が笑って言ってやると

「しかし……。ようやく夫婦になれたのに出陣なんて……」

「お前も私の部隊に配属になったじゃないか。夫婦生き別れなんてことにはなってないんだから心配するな」

 そう。ヘルメスは今日付けで私の補佐官に任命された。私の補佐官ということは、アルテミスの補佐官ということにもなる。あの小娘、まだ顔を合わせていないが、昨夜のことできっと疑いの顔を向けてくるに違いない。私はまだ処女を保ってはいるが、そのことを、果たしてあの小娘は信用してくれるだろうか。

「でも、国境といえば、もし戦になった場合は何回も何回も大勢の敵と戦わなければならないんですよ? 貴方が傷つく可能性だって……最悪、死ぬかもしれないし」

「わかってるさ。だが、私は死なない。死んでたまるか」

 そうさ、あの傲慢なジュピネルの国王を殺すまで。

「そんなの何の根拠もないじゃないですか……。戦ともなれば死は平等に与えられる。どんなに強い人間であっても数多く戦場に出ていれば、死ぬ公算もうなぎのぼりですよ。それなのに、なんでそんなに笑ってられるんですか?」

 さすがに私も胸の中にこみ上げてくるものがあった。

「なんで? そりゃあ、あの腐ったジュピネルに鉄槌が下せるからさ。私が何年、このチャンスを待ったと思ってるんだ? それがこうしてようやく叶うときが来てるんだよ。私は戦いたい。戦ってあのクソ親父の首を飛ばしてやりたい。それが堂々とできるとなると、私は嬉しくて仕方が無い!」

「アティナ様……そんなことをお考えになられてたんですか」

「行くぞ、ヘルメス。私の片腕としてしっかりと役目を果たせ。だが、決して邪魔はするな」

「…………」

 言葉を詰まらせたヘルメスを引き連れ、私は剣の柄に左腕を乗せながら部屋を出た。次この部屋に戻ってくるときは、きっとジュピネルという国は世界地図から削除されていることだろう。そして、私はジュピネルに眠る母の御霊とともに、この第二の故郷へと戻ってくる。そのときは、ヘルメスのよき妻となるよう努力しよう。

 着替えや安眠のお供である母手製のぬいぐるみを入れたバッグを肩から提げつつ、私は毅然とした態度で前へと進んだ。

「あ! アティナ様ぁっ!!」

 ヘルメスと共に廊下を歩いていると、前から白と蒼の甲冑を揺らして、天然ボケ娘が手を振りながら駆け寄ってきた。途端、私は顔を引きつらせる。

「あ、ああ……。おはようアルティ」

「おはようございます。準備がよろしいなら、一緒に行きましょ?」

「りょ、了解だ」

 引きつった表情を浮かべた私は素直に頷いてみせる。だが、そんな私の表情を、アルテミスは何やら目を半開きにさせて、じーっと見つめてきた。

「ど、どうした、アルティ?」

「昨日……ヘルメスと妙なことにでもなりましたか?」

「みょ、妙なことというと?」

「ベッドの上でくんずほぐれつなことですけど?」

「さ、さぁ、知らないなぁー」

 あははとから笑いを浮かべる私に、アルテミスはじーっと眼を向けてくるが、本当に昨晩は何も無かった。ええ、何もありませんでしたよ、こんちくしょうが。こんな美人が、色っぽい姿で寝てやってるのにヘルメスは一切合財襲ってきやしねぇ。今か今かと待ち続けてたら、このクソガキは寝息を立てていやがった。自分という存在が、ここまで無力だと思い知らされたことは人生においても指の数ほどにしかない。

「アルテミス様。昨晩は別に何も無かったですよ?」

 と、また急に新聞記者のアフロディテがアルテミスの背後に立って言った。

「ほんとですか、フロディアさん?」

 アルテミスは背後からの声に驚くことなく振り返り、彼女に尋ねた。

「ええ。普通は初夜ほど盛り上がるものはありませんからね。床に入られたのが午後九時前後。それから四時間ばかり部屋の前で張り込んではいましたが、アティナのあえぎ声は聞こえてきませんでした。ヘルメス様の興奮めいた声も同じく。そして、先程シーツをチェックさせてもらったのですが、アティナの蜜や血の痕は全くありませんでしたね。あーつまんない」

「なるほど。ではそう信じましょうか」

 おい、ちょっと待てやコラ。

 アルテミスのほうは、まぁ、許そう。だが、

「おいフロディア? ちょっと詳しい話を聞かせて欲しいんだが? 私の部屋の前で張り込んだ? シーツを確認した? 何言ってんだ、てめぇ」

「だってだってアティナ。両国の王子と姫君の子作りよ? 一般市民は楽しみにしていると思うの。だから私は心を鬼にして、親友のベッドシーンを調査していたのよ。別に、貴方がどんな体位を使うかなんて一切興味はないわ」

「ほぉー。親友の癖に、恥ずかしい一面を国中に晒して稼ごうと?」

「いやいや、私はそんな気はさらさら無いし。固定給だし。薄給なんだよぉ、こんなに頑張ってるのにぃ。社長ももうちょっとお給料上げてくれてもいいんじゃないのかなって思ってるんだけど、貴方から頼んでくれないかしら?」

「知るか、このクルクル頭」

「あぁ?! アルテミス様にアティナとヘルメス様の濃厚なベロチュー伝えるわよ?!」

「ば、バカお前?!」

 私が恐る恐るアルテミスのほうに顔を向けると

「あらあらまぁまぁ。で、ベロチューがなんですって?」

 全身から真っ黒な何かを吹き上げながら微笑みアルテミスがそこにいた。

「ええ。もう五日ほど前のことなんですけどね、アティナったら――」

「あ、あ、アルティ?! 早くしないと、出陣の時間過ぎちまうぜ。行こう行こう。な、な?」

 私が汗汗とアルテミスに提言すると、アルテミスは膨れっ面を浮かべて

「別にもうアティナ様とメイスは結婚したんですから、ベロチューぐらいはしてもいいですけどぉ。でもー、なんか釈然としないんですよねぇー。私にもベロチューしてほしいなぁー」

「それはやだ」

「プゥ!!」

 頬を思い切り膨らませたアルテミスは、尚怒り続けて

「大体、アティナ様! いつのまにフロディアさんに呼び捨てを許されたんですか?! おまけにタメ口まで?! 身分の違いを弁えてください!」

「いや、それもあるけどさ。私はフロディアとは親友の契りを交わしたわけで、親友だったらタメ口呼び捨てぐらい普通だろ? ほら、私だってお前のこと呼び捨てにしてるし、タメ口じゃないか。私はお前のこと、親友だと思ってんだよ」

「じゃあ、ベロチューしてくれてもいいじゃないですかぁ」

「それとこれとは話が違う」

「ぷぅ!!」

 また膨れっ面になるアルテミス。

 もう埒が明かないので、私は強引にアルテミスの腕を引っ張って廊下を歩いていく。ヘルメスも引きつった笑顔を戻すことなく、ドアホウな姉の背後を着いてきていた。そして、なぜかフロディアもまた私たちに着いて来る。

「えっと……アフロディテさんは、どうしてついてくるのかな?」

 私がアルテミスに付きっ切りなので、ヘルメスが隣を歩くアフロディテに尋ねた。

「フロディアとお呼びくださいヘルメス様。私は、社より番記者もさることながら、従軍記者も命じられております。よって、私は貴方方グラウコーピス軍と行動を共にすることになりました。ので、よろしくお願いしますね?」

「へぇー。でも、それならいいのかな」

 ヘルメスが私のほうを向いてそう言った。

「ん? 私は構いやしないよ。むしろ、フロディアなら歓迎さ。ヘルメス、そいつは元軍人で、腕も頭もいい。少しは刺激を受けろ。可能ならば教授してもらえ」

 と、私が言うとヘルメスは「へぇー」と感心したような声を上げてアフロディテのほうを見た。そのアフロディテは恥ずかしそうに後頭部を撫でながら照れているが、剣は振らぬ。政治には関わらぬを信条としている彼女が、そうやすやすと応じてくれるとは思えない。

「アルティも、少しはフロディアから戦の術を学んだほうがいいと思うぞ?」

「私はアティナ様より教わりますわ。手取り足取り、体も使って……ウフフ」

「ねぇから安心しろ」

「ぷぅ!」

 

 

 

 紆余曲折を経て、どうにか城の外へと出た私たちは練兵場へと馬車に乗って移動した。グラウコーピス軍はそこで出発準備を整えており、私たち司令官の到着を今か今かと待ち望んでいた。

 グラウコーピス軍は千二百の兵力ながら、騎馬隊二百、歩兵八百、弓兵二百の編成となっていた。高速機動部隊よりは劣るが、装甲騎士団のような重々しい部隊はなく、機動力が甚だ高い。特に歩兵部隊の足並みは非常に優れており、彼らの突撃は他の部隊以上の力を持っていた。私も、ジュピネルでは高速機動部隊を率いていたので、指揮を執るにはとても都合が良かった。戦術さえ間違えなければ、きっと国境での戦争にも負けることは無いであろう。もしかすると、そのままジュピネルの都イオリアまで攻め上っていくかもしれない。

 私たちがグラウコーピス軍と合流すると、軍団は練兵場に整列し、指揮官であるアルテミスの訓辞を受けた。私もまた副官としてアルテミスの隣に立ち、奴の演説を聞いてはいたが、まぁひどい。

「私たちは、これから国境へと向かいます! ひょっとすると、ジュピネル軍との戦争に突入するようなことがあるかもしれません! えーっと……も、もしそうなった場合、私たちは一命を賭して、ジュピネルの魔の手から祖国を護らなくてはならないのです! それで……えーっと……」

 きっと、部屋を出る前に訓示を必死になって覚えようとしたに違いないが、頭の回転がよくないほうのアルテミスにとっては、短時間での長い暗記は不得手だったのだろう。とにかく言葉を詰まらせ、考え込む姿が何度も見受けられたが、グラウコーピス軍の兵士にとっては慣れた光景なのか、皆、笑う素振りも驚く素振りもなかった。

「やれやれ……」

 私はアルテミスの横に立つと、彼女の肩に手を置いて

「代われ」

「い、いいんですか?」

「ああ。お前に恥をかかせるわけには行かない」

 私がそう言って微笑んでやると、アルテミスはペコリと一礼して後ろへと下がった。その代わりに私が前へと踏み出て、その大きくて太い声を空へと向けてあげる。

「諸君! ついに出陣の勅命が下った! 現在、ジュピネルとサトゥルの国境は実に不安定な時期に来ている! ジュピネルが戦争の影をちらつかせ、サトゥルの歩み寄りを軽々しく突っぱねようとしている! 何が対立緩和だ! 何が両国友好だ! それを実現するためにサトゥルはこれまで多くの労力を惜しまれた! だが、それら全てをジュピネルは無駄にした! 奴らが戦争に狂ったクズどもならば仕方あるまい! 私たちサトゥルの正義を振りかざし、降りかかる火の粉を払い落とす! 我ら、グラウコーピス軍! ジュピネルの悪逆非道を全て破砕し、奴らにコスモの名の下に鉄槌を下す! いざ、祖国の礎のために!!」

「「いざ、祖国の礎のために!!」」

 兵士たちは剣を抜き、鍔元を自分の口元に宛がい、腹の底からの大声を張り上げた。同時に、旗手がグラウコーピス旗とサトゥルの旗を空高々と掲げ、大きく振る。

「では、出陣っ!! 前へぇっ!!」

 私の渾身の大号令とともに、まずは騎馬隊が馬を歩かせつつ、練兵場から出て行くがその出入り口はサトゥル大通りに面しており、グラウコーピス軍の出陣を大勢の一般市民たちが見にやってきていた。これから出陣するのだろう別の部隊の兵士たちも駆けつけ、サトゥルでも特別な位置づけにある私たち、グラウコーピス軍の出陣を見送る。何人かは声を掛け、また何人かは花を投げてきた。

「よし! 私たちも行くぞ!」

 馬に跨った私がそう言うと、同じく白馬に跨ったアルテミス、茶色の馬に跨ったヘルメスがコクリと頷いた。

 私たちは、軍団の真ん中あたりを行く。護りやすいし、戦いやすいからだ。不意打ちを喰らっても、建て直しができる。まぁ、サトゥル領内においては多分不意打ちを受けるようなことはないと思うが。

 私たちが他の兵士たちと同様に練兵場を出て行くと、街中に駆けつけてきた民たちは更に大きな歓声を上げて私たちに声援を浴びせてきた。特にアルテミスの人気は凄まじいものがあり、皆が口々にアルテミスの名前を叫んでいた。流石はサトゥル一の美女剣士アルテミスだろう。私はアルテミスの右後ろを進みながら思う。彼女もまた、微笑を浮かべて、応援してくれる民たちに手を振った。

「いやぁ、流石は姉様です。晴れ晴れとしていらっしゃる」

 とヘルメスが私の隣で言うので

「浮気したら殺すからな?」

「あ、あるわけないじゃないですか! 俺の姉様ですよ?!」

「ありえるから言ってるんだ、馬鹿もの」

「ないですって!」

 石畳で作られた大通りを進みながら、私は新しい夫となった彼ととりとめの無い話などしながら進む。そこに愛が見えることは無く、本当にとりとめのない話題ばかりだった。

 タイタニアの南側にある正門。そこを潜って私たちは国境線へと向かう。国境線を守る主力部隊は大きく三つ。国境線中央、北、南に展開する。

もし、ジュピネルの大軍がやってきても、国境線は大河エリダヌス。流れは速く、ところどころ浅いものの、深みが多く、強引に渡れば大きな犠牲が出てしまうだろう。この前の国境紛争は、少数ながらもきっと大きな犠牲を払った上で渡ったのだろう。全滅必須の志願制ならばそれも可能だが、戦争を仕掛け、勝利をするためならばどうしても橋を渡らなければならない。その橋は全部で三つ。それが、中央、北、南の三つだ。

私たちはその中の北の橋を死守する任務に就くことになった。もっとも、まだ戦になるとは決まったわけではない。あくまで警戒任務だ。その上で戦争となったら死守することになっている。

 晴天が続く下、農地の間を走る道を行軍する私たち。話題もなくなったのか、その頃には私たちは口を紡ぎ、私は手綱を握りながら、ただただ右手のほうに広がるタルタロス山脈を見つめていた。

タルタロス山脈は、北の隣国でサトゥルの同盟国アースとの国境線。大小さまざまな山が連なり、タイタニアに近い山はピクニックや登山で人気がある。軍も冬の行軍演習などで小さい山に入ったりするが、深い山では遭難者が続出し、今では立ち入り禁止区域になっていたりもする。

「アティナーデ様!」

 私が山々に目を奪われていると、背後より騎馬に乗った兵士が駆け寄ってきた。

「どうした?」

「従軍記者アフロディテを名乗る女が、行動を共にしたいと参っております」

「ああ。知ってる。こっちへ寄越してくれ」

「はっ!」

 兵はクルリとターンし、私は私で親友の到着に気持ちを新たにして前へと視線を戻した。

「フロディアさんが来られたんですか?」

 ヘルメスが尋ねてくるので、私は頷いた。

「従軍記者だからな。戦線の状況を新聞にして国民に知らせるんだ。いい知らせができるよう、私たちも頑張らなければな」

「そうですね。特に王族が軍団を率いているのはグラウコーピス軍だけです。父上もきっと心配なさっているはずなので、新聞を通じて安心してもらいたいところですね」

「だったら城に篭ってろ。お前やアルティが無茶をやって陛下の心労が祟って見ろ。国民が迷惑するんだ。大体、世界政府の戦争行為における条文、お前も理解しているだろ?」

「ええ。勝利の条件は王位継承者がいなくなること。なので、王族は捕らえられれば全員が処刑される」

「お前たちが捕虜になること、すなわち死だ。そんな情報、陛下の耳には決して入れたくない」

 負ける気持ちはさらさら無いが、それでも、戦はどう転ぶかわからない。風向きが変わっただけで矢の飛距離は変わるし、味方の脱走で総崩れとなることだってありうる。私が予想できる範疇を越えることが十分起こり得るのだ。そうなったら、戦がどう進展するのか、迅速に正しい判断をしなければならない。そのためにいるのが参謀であろう。

「アティナ!」

 私がヘルメスとそんな話をしていると、右横に馬がやってくる。その上には金髪クルクルのアフロディテ。彼女は微笑を浮かべて手綱を握っていた。

「お待たせ、アティナ。準備に手間取って」

「別に待ってはいないさ。それより……」

 私は手綱を握るアフロディテの背後、また別の馬に跨っている少女に目が行った。茶髪にツインテールをしている彼女は、私の姿を見るなりペコリと頭を下げた。

「あれ? ティアじゃないか」

 そう言うのはヘルメス。すると、数メートル前を歩いていたアルテミスが顔をこちら側に向けて

「あら、本当。久しぶりね、ティア」

 と言った。だが、ティアとは誰だ?

 私が少女のほうに顔を向けると、ティアと呼ばれた彼女は私の隣に馬を着け

「初めまして、アティナーデ様。私はヘスティア=クロルリア。アルティ姉様やメイス兄様とは従兄弟関係にあります。現在はタイタニアタイムズで記者見習いをしています。よろしくお願いします」

 といってきた。なるほど。ヘスティアだからティアなのか。

「ああ。よろしく頼む。あと、私のことはアティナと呼んでくれて構わない」

「はい。アティナ様」

 ヘスティアはそう言ってにこやかに笑って見せた。なるほど。彼女の笑った顔はアルテミスが笑った顔にそっくりだ。聞けば、彼女の母がクロノスの妹で、クロルリアという中流貴族の家に降嫁したのだという。

「アティナ。これからは私とティアが記者として貴方方の行動を記事にさせてもらいます。よろしく」

「わかった。お手柔らかに頼むよ、フロディア」

 私はアフロディテとヘスティアの跨る馬を私とヘルメスの後方に入れた。私たちが進む

農道は馬四頭が並んで歩くにはゆとりがない。馬の操縦を誤れば、畑の中に落っこちるだろう。

「しかし、フロディア。お前の馬の右側にくっついているそれはなんだ?」

 私がアフロディテのほうを向いて尋ねる。というのも、アフロディテの乗る馬の右側に見慣れぬ大きな何かが取り付けられているのだ。ボロ布がグルグル巻きになっており、鎖でギュッと絞められている。

「ああ、これ? お父様が軍についていくなら絶対に持っていけって煩くって……。じゃないと着いていくのは許さんって……。はぁー」

「きっと、ケラドス様はフロディアさんの身が心配なんですよ。身を護る術は一つでもあったほうがいいとお思いのはずです」

「でもぉ、ティアー。私は二度と剣は振るわないって誓っているのよぉ?」

 え?

「お、お前……そのデカ物は剣……なのか?」

 私は唖然とさせられる。そのデカ物は長さ二メートルはある。縦は三十センチぐらいだろうか……。大剣を使う兵士は良く見るが、アフロディテの剣と言ったそれは、それよりも遥かにでかい。

「ええ。私が作った自作の剣。といっても、ほとんど斬るっていうよりは、叩き潰すが正解だけどね」

「是非陣についたら見せてもらいたいものだ」

「残念。二度と鎖は外さないって誓ってるの。私だって、この三年中を見たことは無いわ。もしかしたら、錆びちゃってるかもね」

「勿体無い……」

「ごめんね、アティナ」

 はてさて、賑やかになった私たちが目標としている北橋までの行軍ルートは、一つの砦を経由してから目標の橋へと辿り着くように計画されていた。

交通の要所などを守るための、砦には常時、数百の部隊が投入されて守っている。それを見たときは、さすがは錬度の高いサトゥルの軍勢が作った砦だと思わされた。

砦は方形周溝の形で、分厚い城壁が内側を、馬を突き殺す尖った丸太の馬防柵が外側を囲っていた。

さらには守備兵の兵科は弓兵が圧倒的に多く、また、投石用の丸い石や、城壁を登ろうとする敵にぶっかけるための湯沸かし器まであった。敵の侵入を許す前に倒す。それが戦訓なのだろう。まぁ、私の国でも同じようなことはしているが、錬度の低さから、どこかしか不安なところがあった。しかし、サトゥルの砦には何の不安もない。完璧としか言いようがなかった。

 その砦で一泊後、私たちはさらに北へと前進した。私として一番不安なのは到着までに大軍が橋を渡りきってしまうということである。橋の上で戦うのであれば、渡れる人間にも限りがあるので戦術も容易に立てられるが、大地の上での会戦となれば話は別だ。横幅無限大の大地で対峙したときは綿密に作戦を立て、さらには橋での防衛戦よりも遥かな数の人命が失われる可能性がある。兵力を出来るだけ失わないほうが好まれる現状況では、どうしても避けたいところであった。しかし、そればかりは運に任せるしかないだろう。

 私たちの進む道にはのどかな平原がどこまでも続いていたが、やがては私たちが守るべく橋が見えてくる。橋は石造り。幅十メートルで長さは百二十メートル。橋の中腹に石の塔が二つあって、それぞれサトゥルとジュピネルの番屋で、国境の出入りのチェックポイントになっていた。

もし、国境で何かあればその塔の天辺から狼煙が上げられ、その狼煙を見た砦や見張り小屋の兵士がまた狼煙を上げる。その繰り返しでタイタニアへと異常事態が伝えられるのである。他にも伝書鳩という伝達方法があり、従軍記者であるアフロディテの荷物の中にも伝書鳩が入っていた。

 橋の入り口付近に到着すると、アルテミスは陣を敷くように部下たちに命令し、部下たちはすぐに野営の準備をはじめ、橋の上には馬防柵をジグザグに配置し、騎馬隊による突撃を防ぐ。一方で、私は私で国境線へと向かって馬を走らせた。

 国境線の上には三人のジュピネル兵と、三人のサトゥル兵が立っており、両国を行き来する者たちの監視に当たっている。不思議な気分だが、私が駆けつけると両国の兵士たちが揃いも揃って私に膝を着いたのである。私がジュピネルの姫で、サトゥルに嫁いだからだ。

「面を上げろ」

 私がそう言うと、六人の兵士たちは揃って立った。

「国境線で異常があったと聞いて出向いてきたが、一見平和そうだな」

 私が馬から下りて訪ねると、サトゥルの兵が敬礼し

「はっ。こちらでは不穏な動きはありません。中央橋のほうで小競り合いにも似た争いがあったと聞いております」

「中央か……。じゃあ、こっちは外れなのかな?」

 私がチラリとジュピネル兵のほうを見るが、彼らとてそんなことは知らないだろう。

「いずれにせよ、国境での争いは最近激化している。いずれ、ここで戦闘が起こる公算は高い。気を引き締めて任務に当たれ」

「はっ!」

 私はサトゥルの兵士たち三人の肩をたたくと、今度は国境をわざと越え、ジュピネル兵三人の前に立った。

「父君はご健在か?」

 そう尋ねると、兵の一人が私に敬礼して

「はっ。陛下、皇后様お変わりありません」

「あのババアはともかく、そうか、父君は元気か。それは喜ばしい。」

 病気でぽっくり行かれたらそれこそ迷惑だ。私の復讐はどうすればいいのか。

「お前たちも最前線の任務は精神的に疲れるだろうが、国のため、陛下のため、十分な働きを見せよ。もし、私と戦うときがあったとしても遠慮はするな。私はすでにジュピネルの姫ではない」

「はっ!」

 彼らは揃って敬礼してみせた。私もそんな彼らに頷きと微笑をして見せ、改めて国境線を越えた。そのときである。ジュピネル側からこちらへ、馬を走らせてくる五人の兵士の姿が目に入ってきた。彼らは使者を示す旗を背中に取り付けており、装飾が成された馬に跨っている。彼らは私の前までやってくると、馬を止め、慌てたように馬を下りた。

「ま、まさかアティナーデ様でございますか?!」

 彼らは慌てて馬を警備兵に任せて跪く。

「ああ。この橋の警備を仕切ることになった。で、お前たちは使者のようだが何用だ?」

「はっ。陛下の命により、国境を守るサトゥルの兵に渡すものがありまして」

「構わん。私が受け取ろう。出してみろ」

 私がそう言うと、使者の一人が懐から書状を取り出して私に渡してきた。私はそれを受け取り、パラパラと広げて中に書かれている内容を確認する。その文書は高級な紙が使われており、王のみが扱える金印の印字もされていた。ジュピネルの正式文書ということが見て取れた。

「なるほど。では、二日後に開戦というわけか」

 開戦?!

 私の言葉を聴いたサトゥル、ジュピネル両側の警備兵たちが驚いて顔を見合わせた。

「はっ。アティナーデ様には、このことをタイタニアのクロノス様にお伝えしていただきたく思います」

「わかった。そのようにしよう。だが一つ聞きたい。中央橋、南橋のほうでも国書の受け渡しはしているのか?」

「はっ。どの橋でも国書を渡し、宣戦布告を確実なものにするよう命じられております」

「なるほど。わかった」

 それでは知らなかったではすまされないわけか。世界政府の条文にも宣戦布告亡き戦争は断罪する旨が書かれていた。もし私がここで国書を揉み消して、タイタニアに宣戦布告を伝えなかった場合、戦争が起きても宣戦布告なき戦争として、世界政府に訴えを起こせば、ジュピネルはおしまいだったのだが……。実際、そういうやり口で滅ぼされた国がいくつかあると聞いている。しかし、今回はそうはいかない。流石はあの男が指揮するジュピネル軍であろう。

「では、この国書は陛下に渡す。受け取りのサインとかしたほうがいいか?」

「ええ。お願いします」

 私は使者の出した受取書にサインすると、使者たちはすぐに馬に跨って、来た道を引き換えして言った。私も私で国書を懐に収めた上で馬に跨る。

「あと二日でお前たちは敵同士だ。それまで仲良くやれ」

 私は警備兵たちにそう言って橋を引き返していったのだが、その場に残された兵士たちは揃って顔を見合わせ、困惑しきった顔をしてうろたえていた。国こそ違えど、彼らは言葉も人種も一緒の連中である。友人関係になっていても仕方が無いところであったが、宣戦布告となれば、その友人同士で殺しあわなければならないかもしれない。そう考えると、複雑な思いが巡っていた。

 一方、橋の傍に築かれつつあるグラウコーピス軍の陣地に戻った私は、馬を兵士に預けてから、師団長専用のテントへと向かった。アルテミスを示す矛の馬印がテントの入り口に立てられてるので、アルテミスの居場所はすぐにわかる。

 私がテントの中に入ると、アルテミス、ヘルメスは姉弟で談笑しながら紅茶を飲んでいた。テント内は薄暗いものの、太陽のおかげで不自由は無い。

「戻ったぞ、アルティ」

 私がそう言ってテントの中に入ると、アルテミス、ヘルメス両名は揃って席を立った。

「ご苦労様でした、アティナ様」

 そう言うアルテミスに私は父からの国書を彼女に渡した。

「開戦だ。それも二日後」

「え? 二日後ですか……」

 唐突の私の言葉にアルテミスは眉を顰めた。ヘルメスもまた驚きに顔を歪める。

「怖いか?」

「え、ええ……。期間が定まっていると余計に……。そう覚悟してここまでやってきたはずなんですけどね」

「案ずるな。この橋さえ守りきればなんとでもなろう。それより、後方の部隊にもジュピネルの宣戦布告を伝えなければ」

「ええ。伝令を差し向けておきますわ」

二日後、本格的な戦が始まる。そうなればどちらかの国が崩壊する以外に終わる術はない。その崩壊国家はジュピネルだ。私がこの手で国王である父を殺し、その首を手に勝利の宣言をすることにしよう。そして、ヘルメスとともに幸せな家庭を築いていこう。きっと、私達の未来はきっと明るい。

 橋を守るための防衛拠点は一両日中に完遂でき、橋の側には馬防柵に物見矢倉などなどが見事に現れたのである。その防衛能力は極端に高い。

今回の橋の防衛戦では、恐らくは矢による殲滅戦になるだろう。幅が限られている橋の上では大軍で攻め込んではこられない。横列三段に弓兵を配置し、徹底的に矢を射掛けて相手の数を減らす。その後、私を含めた騎馬隊で一気に突撃する。こうなればきっと勝利を得られよう。だが、あくまでそれは防衛戦のみのこと。戦に勝利をするためには、敵の守る橋を渡りきって、ジュピネル首都イオリアを目指さなければならないのである。その作戦はタイタニアのほうで検討中だろう。いずれ、私のところにもどうすればいいのか、作戦指示書が届くはずだ。

「さて、陣の形成も終わったわけだし、テントの中で一服しよう。アルテミス、お前もどうだ?」

「ええ。お供しますわ、アティナ様。」

 土木作業で疲労した兵たちに休息を与え、進軍と陣地造営の疲れを残さぬようにさせたところで、私たちもテントの中へと身を引き入れていった。特別、やることもないのだが、そこはアルテミス。抜かりはないらしい。

 師団長専用テントの中に入った私とアルテミスは早速柔らかいパイプ椅子の上に腰を下ろして背伸びをした。重たい鎧を脱いでも良かったのだが、鎧さえ着ていればアルテミスの魔の手から体を守れるような気がした。アルテミスはアルテミスで私の真似をしているのだろう。鎧を脱がずに紅茶を淹れ始めた。私としてはクッキーがあってくれると嬉しいんだけど。

 ヘルメスはアフロディテやヘスティアのところに行っている。彼女らに、戦争が起こることを伝えに行っているのである。その上で、開戦時には彼女たちはどうすればいいのか、私の指示を伝えにも行っていた。

「いよいよだな、アルティ」

 紅茶に口をつけ、私が沸き立つ興奮抑えられない笑顔を浮かべて彼女に言うが、アルテミスのほうは浮かない顔をして紅茶の入ったカップに視線を落としていた。

「大丈夫か?」

「……はい」 

とてもそうには思えない……。

血の気の多い私と違い、アルテミスはただ私に憧れて師団長になっただけのこと。相手を傷つけ、殺すことや、自分自身が傷つけられることや、殺されることに恐怖を感じてしまっているようである。温室育ちのお姫様で、つい一週間前に初めて人が死ぬのを見た彼女にとって、まだまだ吹っ切れないものがあるのだろう。

「怖いんだよな」

 私がそう尋ねると、アルテミスは微かな笑みを浮かべて頷いた。

「そりゃ怖いですよ。戦争は大規模な人の殺し合いですもの」

「まぁ、それはそうだな」

「でも、殺しあわなければ見えてこないものもあるのなら、やるしかないでしょうね」

私に精一杯の暖かい天使様の笑みを見せてくるアルテミス。私も思わず感心させられた。これぞ、国王の娘の言葉であろう。こういう性格なら、きっと、必要なときに英断を下すこともできるだろう。

「ほぉ。お前にしては深い意味の言葉だな。感心だ」

 だが、やはりそこはアルテミスだった。

「貴方を得るために、メイスが戦死すればいいのに」

「おい!! 冗談でも殴るぞ、てめぇ!」

 こいつの腹黒さは絶対にサトゥル一だ。先ほどの英断を下すという言葉を撤回し、暗殺命令を下すことができるに変更する。こいつが女王となった暁にはきっと、混迷の時代が幕を開けるに違いない。恣に権力を動かして戦争に明け暮れる帝国の時代がやってくる。

「よし、決めた。こいつをここで殺すか」

 私は剣に手をかけた。

「はぅ?! な、なぜですかぁ! アティナ様ぁ〜っ!」

「てめぇの胸に聞いてみろ!」

 本当にこいつは考えが読めない。誰か、こいつの扱い方法を存じているなら私に教えてくれ。金ならいくらでも弾んでやるから。とにかく、私の天敵であるこいつを抑制しない限り、父を倒しても安息で幸せな家庭は得られないような気がした。

 私はウルウルしてこちらを見つめてくる馬鹿娘に背を向け、ズズーッと紅茶を啜った。

「やれやれ。義理の姉とは到底思えんな。いや、ヘルメスよりも年下に見える」

背後で不平不満のオンパレードを口から吐き出しているアルテミスを尻目に、私はジュピネルの兵が告げた二日後。つまりは九月八日を楽しみに待った。

 

 

 

 

 


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