第四章  永久の誓い

 

 

 九月五日。

 アルテミス率いる第七師団がグラウコーピス……輝く瞳を持った者という意味のネーミングに変わった翌日。

「はぁー。なんだか、気乗りしないなぁ」

 そう言うのは私アティナーデ。朝日が差し込む部屋は、ベッドの上にいた私は、浮かない顔をして溜息を零していた。というのも、ジュピネル軍による国境紛争のため、延期されていた私と、ヘルメスの結婚式を今日行うことになったからである。昨日の夕方に王命が発令され、城のシンボルである円形舞台場は結婚式のために急ピッチでセッティングがなされたという。

 正直なところ、私とヘルメスの間柄は微妙なまま。ヘルメスは私への警戒心を解いてはくれたようだが、未だに言葉を多く交わすようなことは無かった。昨日も、あいつを鍛えてやると豪語していた割には結局できず、城に帰ってすぐ結婚の王命を受けたから、奴と話し合うような時間は無かった。唯一のチャンスであった夜は夜で、ドレスの試着、式の流れ、諸注意などなど目まぐるしい忙しさで話をすることはできなかった。

「まだ知り合って一週間も経ってない上、数えるほどしか言葉も交わしてない」

 私は溜息をつき、ベッドの上に座っているクマのぬいぐるみを手に取った。

「なぁー。お前もそう思うよなぁー」

 などと言う。

 そのクマのぬいぐるみが昨日、アフロディテにからかわれた件のぬいぐるみであった。私はこのぬいぐるみともはや十年以上の付き合いになる。私の母が死ぬ少し前に作ってくれた宝物で、そのぬいぐるみがあるからこそ、母を失った悲しみを軽減できたりもして、非常に恩義を感じているぬいぐるみであった。

「ほんと、なにしてんのかねぇ、私は」

 私はクマのぬいぐるみを抱っこしながら、嘆声を零した。

「そりゃさぁ、結婚するつもりでこっちに来たわけだから、しなくちゃいけないのはわかるんだけどさぁ。なんていうか、それでいいのかなって思ってしまうんだよねぇ。まだヘルメスを夫の器と認めたわけでもないし、これからビシバシ扱いて男にしてやらないといけないし。その前に結婚して、本当に私が納得するのかなぁ」

 私はぬいぐるみに語りかけるように言いつつ、ゴロンとベッドの上を寝転がった。

「はぁー」

「そりゃ、不安ですよね」

「へ?」

 急に帰ってくるはずの無い返事が聞こえ、私は思わずベッドから上体を起こして背後を見た。すると、そこにはいつのまにか私の夫となるヘルメスが苦笑顔で立っていた。すでに正装を済ませた彼は真っ白な軍礼服に身を包み、参謀次官を示す肩章までつけている。

「な、なななな?! の、ノックぐらいせんか!! この大バカ者がぁ?!」

「し、しましたけど、返事が無く……ですが独り言が聞こえたので」

「な、なんだと?!」

 この私が、ノックの音すら耳に入らないような状態だったというのか?!

「でも、入ってよかったです。アティナ様の可愛らしい女の子の一面、見させていただきました」

 ヘルメスの視線が、私がお腹で抱っこしているぬいぐるみに注がれる。私は大切なそれを投げ捨てるわけにも行かず、赤面してそのぬいぐるみをお腹の上で抱っこした。

「い、いや! あ、あの、これはな?!」

「アフロディテさんからお話は伺っておりましたが、さっきまで半信半疑でした。でも、本当だったんですね? ぬいぐるみがないと安眠できないって……」

「あ、あのクルクル頭ぁ?!」

 次会ったら絶対に打ち殺す。裸にひん剥いて十字架に掛け、火あぶりにしてやる。

 私が右拳に力を篭めてあの金髪女に復讐を誓っている間に、ヘルメスは私の座っているベッドの上に腰を下ろした。

「両国の架け橋のために見ず知らずのこの国へ来て……俺みたいな、情けない男と無理矢理に結婚させられるのって、不安ですよね」

「別に貴様と結婚するのは構わないよ。だが、ちょっと時期が早いと思っているだけだ。なにせ、貴様は軟弱者だからな。まぁ、しかし、その軟弱者が私の部屋に入ってくるほどの勇気を見せたことだけは褒めてやろう」

「ありがとうございます……ハハ」

 苦笑いを浮かべるヘルメスは私の顔を見ず、木の床に視線を落としながら

「アティナ様は、あちらに想い人とかおられなかったんですか?」

 聞きにくいと感じたのか、ちょっと声のトーンを落としながら彼は尋ねてきた。

「ん? 恋した相手か? そりゃまあ、あれだけ男と関わってればありそうなものではあるが……。ああ、そういえば一人だけいたな」

「その御方とは上手く行かなかったわけで?」

「なに。くだらない話だ。私は十二歳でジュピネルの士官学校特別部に入学させられた。そこで武芸、戦術を教わったのだがな? その際に先輩指導員に胸ときめかせた時期があったんだ。まぁ、十四歳の頃だったし、そういうのに憧れを抱く年頃ではあったんだろう。そいつの名前はフォベロスと言ってな? 私の師匠の息子で、将来は参謀総長を見込まれるほどの人間だった」

「お、俺みたいに?」

 ヘルメスは参謀次官となった自分をアピールしているようだが、

「まぁ、系列としては似たようなものだがな? 奴とお前とではこの星と、月とぐらいの差はあるだろう。お前はまだまだヒヨッコだが、フォベロスは十五で戦術家として認められ、国境紛争で勝利を何度も挙げた。今は二十三歳になるが、尚いっそう腕に磨きをかけてジュピネル軍の中核にいる。そんな奴とお前で競争になるか」

「そ、そんなにはっきりと言わなくても……」

 ヘルメスはしょんぼりと肩を落とす。

「安心しろ、ヘルメス。私が鍛えてやる。私がずっとずっと貴様を叩きのめして、一人前の戦術家にしてやるさ」

「アティナ様……」

「まぁ、こうなっちまったんだからお前も受け入れろ。私は知ってのとおり厳しいぞ?」

「え、ええ……お願いします。こうなってしまったんだし……」

「不服か?」

「そ、そんな滅相も!」

 ヘルメスはあたふたしつつ立ち上がり、ペコリと私に一礼。ドタドタと部屋を飛び出していった。まったく、実に騒がしい奴だ。だが、以前よりは明るくなってはきているか。

「……さてと。式の準備に取り掛かるかなと……」

 私はベッドから出ると、ドレスの着付けや、化粧をしてくれる部屋へと向かって歩き始めた。廊下は長く、朝日が窓から差込み、白壁に反射して光り輝いていて、目も眩むほど眩しかった。

「まったく……。朝日にまで祝福されたら、行くしかないな」

 私はそう言うと、胸を張ってカーペットの上を前へと歩いていく。それはまるで、ヴァージンロードだ。神々の祝福を受けた、素晴らしい道標のようだ。

「では、その朝日に祝福されたアティナ様にインタビューを」

 またいつのまに、私の背後に立ったのか。清清しい気持ちをぶち壊す、空気の読めない声をかけてくる愚か者。苛立ちを隠せず、振り向く私の姿をアフロディテが笑って見つめてきていた。

「お前は本当に神出鬼没だな、クルクル頭」

「む。そういう徒名はおやめください、アティナ様。この髪型は、私のチャームポイントですぅ。遠くから見ても私ってわかるでしょ?」

「そうか。わかったよ、クルクル頭。それより、聞きたいことって何さ。時間が迫ってるんだ。早くしろ」

「えっとー……アルテミス様のお部屋はどこかしらねぇ。アティナーデ様のベロチューのことでお話が……」

「聞いてください、お願いします!」

「話が分かる人で助かります」

 どうせ結婚式でキスするのだから構わないだろうと人は思うだろう。だが、このアフロディテはほぼ間違いなく脚色してアルテミスに伝えるに違いない。ねっとりと、濃厚なキスの様をアルテミスに伝えたら、間違いなく面倒なことが起こる。天然でありながらも、どこかしか腹黒いあいつを怒らせたら、本気で怖い。

「えーっと、まずは式に向かっての意気込みを」

「成すがままだ」

「えっと、ヘルメス様のような素敵な旦那様を迎え入れられること、大変喜ばしく思いますっと……」

「おいコラ」

「そんな言葉、記事に出来るわけないじゃないですかぁ。貴方とヘルメス様の結婚の重要度、貴方は本当に理解しているんですか?」

 アフロディテがそう言うと、私は「うっ」とたじろぐ。政略結婚としか考えていない私に対し、アフロディテは珍しく険しい顔をして口を開いた。

「いいですか? ヘルメス様はいずれサトゥルの重要ポジションに付かれる方です。彼の性格や知識などどうでもいい。彼の血筋によってのみ、全ては決まっていきます。このまま行くと、先例どおりならば軍司令官でしょうね。そんな御方の妻になる貴方が粗暴な振る舞いを見せるとどうなると思います? 国民の彼に対する尊敬は少なくなり、果てはサトゥル王室の権威にも関わっていきます。また、貴方の祖国との関係にも影響が出るんです。貴方は少しご自分の立場をしっかりとお考えになられたほうがいいと思いますよ?」

「……分かった分かった。ご忠告ありがとうございますよ、アフロディテさん」

「私のことはフロディアとお呼びください。以前にもそう、お頼み申し上げたと思います」

「へいへい。アフロディテさん」

 私がそう軽口を叩いた瞬間だった。ほんの数メートル先にいたアフロディテの顔が、急に私の前にまで近づいてくる。その顔は普段の彼女とはまったく別ものの、見られているだけで凍りつくような冷たい視線を送ってきていた。

「そんなにアフロディテに会いたいのか、お前」

「なっ?!」

「フフ。いいぜぇ、会いたければ会わせてやるよ……。って、もぉ、会ってるけどな?」

そのとき、私はハッとなった。彼女のことをただのお転婆な小娘とばかり思っていたが、そのアフロディテの金色の瞳は戦士としての瞳をしていた。無意識に相手の行動を追い、分析する動きをしている。

「お前……ひょっとして、軍にいたことがあるのか?」

 私がそう尋ねると、今度は険しい顔をしていたアフロディテが驚く。

「え? ど、どうして……」

「お前の目を見ればわかる。私の目線や顔の動き、気持ち、次の行動を、お前の目は自動で追っている。戦場において、自分の命を護るための行動だ。それが刷り込まれているのを見るに、お前は歴戦の兵士だな」

 なるほど。ならば数日前に私の剣舞を軽々と避けたのも納得がいく。しかし、私の剣舞がこいつに通用しないとなると、こいつはどういう兵士なのか。そして、どうして新聞記者などしているのか……。

「……驚きました。貴方への見方を大きく変えなくてはならないようですね。ただのバカではなかったようです」

「おいコラ。貴様は私をそんな風に見ていたのか?」

「はい」

 即答だ。

「随分と堂々としていられるものだな。はぁー……お前といいアルテミスといい、その強さを私の夫にも分けてもらいたいよ。あの男は情けなさすぎる。軍司令官となる身の上なら、尚のこと、あの性格を矯正しないと不味いぞ」

「それは、これからの貴方の役目です。だからこそ、クロノス様は貴方の相手をヘルメス様にお選びになったのではないでしょうか。貴方の噂はアルテミス様や、この地にやってくる商人の口によって広まっておりましたし、年齢も近いことが選定の理由になったのでしょう」

「そうなんだろうかねぇ。そう期待されているのであれば、頑張らないといけないが。それより、お前の話を聞かせてはもらえないか? 同じ軍人同士なら、もっと打ち解けると思うが……」

「もう着付けの時間でしょ?」

「フン。一時間ぐらい問題ないさ」

「まぁ」

 私はそう言ってアフロディテを自室へ連れた。彼女は私の自室に入るなり、物珍しそうな顔をして、私の部屋を見回る。だが、彼女が思い描いているようなお姫様の部屋とは程遠い。広さは一般市民のマンションの部屋と同じぐらいで、豪華な調度品はない。ここは客間で、いずれはヘルメスの部屋へ移動することになるからだ。あっちは物凄いことになっているのを自分の目で確認している。

「意外に質素で驚きですね」

「まぁな。こっちに来る際の荷物はドレスとぬいぐるみだけだったからな」

「へぇー」

 とにかく、私はアフロディテを椅子に座らせ、私も彼女と向き合う形で椅子に腰を落とした。お茶でも出すべきであっただろうが、生憎、お茶を入れるような道具もなく、私は仕方なしにアフロディテとの対談を開始する。

「さて、フロディア。お前は軍にいたことは間違いないんだな?」

 と、私が問うと、アフロディテは素直に首を縦に振った。

「幾つからだ?」

「十二から二十歳までです。今は二十三になりますので、三年前に辞めました」

「お前……私より四つも年上なのか?」

 いや、意外だった。てっきり私と同じぐらいだと思っていたが。

「ええ。私のほうがお姉ちゃんですね」

「それは知らなかった……。軍歴も私より一年長いし……。しかし、どうして軍を辞めて新聞記者に? ケラドスの娘として軍に入隊したのであれば、きっと出世コースだったのではないか?」

 きっと、将来は勇猛な将軍クラスにでもなっていたことだろう。男尊女卑がほとんどないこの国において、男女隔たり無く出世する者は出世する。高級軍人の中にはそう言って上がってきた女たちが何人もいた。

「ええ。色々ありまして……。もう二度と剣は振らないと誓っております」

 そう言うアフロディテの顔は実に悲しそうであった。

「何かあったのか?」

「ええ。色々と」

 アフロディテはそう言って、それ以上の言葉は発しなかった。私も言いたくないのなら無理して聞くわけにもいかないし、彼女の古傷を抉るような真似は決してしたくは無かった。私にも、人には言いたくない過去の一つや二つ、あるものだし。

「私は、もう政に踊らされるのは嫌で、こうして事実をありのまま伝える仕事に就けたことを嬉しく思っています。大切な仲間もできたし、尊敬できる上司にも出会えた。それだけで私は幸せです」

「そうか……。私もそうありたいものだ。この国に来て、幸せと思える時間がすごせるよう、神々に祈りたい」

「それは、貴方の努力次第でしょう。ヘルメス様と愛を育むことができれば、きっと女としての幸せに気づけるはずです」

「女としての幸せ……か」

 果たして、そんなものが私のところにやってくるのだろうか。

「アティナーデ様ぁー。着付けの時間でございます。よろしいでしょうかー」

 まだ色々と話をしたかったが、メイドが部屋のドアをノックし、そんな声を発してきた。こう、お迎えに来られてはアフロディテと話を続けるわけには行かなかったので、私は仕方なしに席を立った。

「もっとゆっくり話をしたかったな」

「また機会はありますよ。アティナーデ様」

 そう言って笑顔を浮かべるアフロディテ。私はそんな彼女に微笑を向け

「私のことはアティナと呼べ。それに、もう敬語でも話すな」

「え? でも……」

「お前とはいい友達になれそうだ。友達に、王族も軍人も無い。これからは対等に話そう」

「い、いいんですか?」

「勿論さ」

 私がそう言ってアフロディテに手を伸ばせば、彼女はニッコリ笑って私の手を掴んできた。なるほど、以前は剣ダコが幾つもできていたのだろう。スラリとした手の割には表面は非常にゴツゴツしていた。

「よろしくな、フロディア」

「ええ。こちらこそよろしくね。アティナ」

 私たちはそう言って二人して部屋を出ると、一度その場で分かれ、私は着付け部屋に。アフロディテは結婚式の取材のため、他の場所へと向かった。おそらくはアルテミスか、ヘルメスのところであろう。アルテミスはきっと暴言を発するだろうが、どれだけ、彼女がそれを抑え込んで脚色するのか見ものである。

 

 

 

 結婚式は午前十時よりドームで覆われた円形舞台場の上で行われた。式典には王族と貴族が出席し、一般市民にはあとでお披露目式というものを街で行う。要するにパレードだ。私とヘルメスを乗せたカブリオレが通りを歩き、私たちの結婚を人々に見せ付けるものだ。それを午後から行う。

「ヘルメス、昨日は眠れたか?」

 ホール入場までの間、白いドレスを身に纏った私は、隣に立っていた同じく白の軍礼服に身を窶したヘルメスに尋ねる。彼は緊張しているようで、私の腕を組む手はガチガチに固まっており、足は震えていた。そりゃまぁ、今から大勢の人間がいる前を歩くのであるから、その緊張は大きなものとなっていよう。

「い、いえ……。あ、アティナ様は?」

「ぐっすり、寝かせてもらったよ」

「さ、流石は鉄の心臓ですね」

「そういうことじゃねぇよ……」

 まったく、情けない。

「いいか、ヘルメス。私に恥をかかせてみろ? お前との間のあることないこと、アフロディテに話すからな?」

「えぇ?!」

「フフン。実は、奴とは親友になってな。私のためなら、きっと脚色も都合よくしてくれるだろう。あとは、それをアルテミスが読めば……クックック」

「そ、それだけはおやめください。お願いします」

 うろたえるヘルメスに、私はクスクス笑いながらそのときを待った。やがて、場内から入場の声が聞こえ、扉付近に控えていた近衛兵たちが揃って扉を開く。同時に場内よりオーケストラの奏でる音楽が聞こえ始め、私たちはゆっくりとヴァージンロードを歩いて舞台へ向かって歩き出した。

 静かに、ゆっくりと……。

 円形に並べられた座席には大勢の観衆が座っており、拍手喝采を私たちのほうへ向けてくる。私はそんな彼らに目は向けず、舞台の上で待っているクロノスや、世界宗教の神父の姿を注視するようにしていた。彼らは舞台の上で拍手をしながら私たちの到着を待っている。

 おそらくはアルテミスやアフロディテも、この場内のどこかにいるだろうが、私の視界には二人の姿はどこにもなく、特に嫉妬の炎を燃やしているだろうアルテミスの顔を見なくて済むのは良かった。奴の顔が私の視界に入った瞬間、きっと、私のペースは大いに乱されていたことであろう。

 通路に敷かれたヴァージンロードを歩いて壇上へと上がると、私たちは組んでいた腕を解消し、ヘルメスは手をサイドに、私は股の前で重ねて、それぞれ神父とクロノスのほうを見る。私たちの前には花をあしらった壇があり、その後ろにクロノスと神父、更にその後ろには世界を見守る神の像が置かれていた。今から、その神に永遠の愛を誓うわけである。

 壇の前に私たちが立つと、鳴り響いていた拍手は止み、クロノスがまずはじめに口を開く。

「お集まりいただいた皆様に、まずは深い謝意を申し上げます。本日は、まことにめでたく、我が子息ヘルメスと、ジュピネル第三王女アティナーデの婚姻の日となりました。以前、緊張状態が続く我がサトゥルとジュピネルではありますが、この二人の婚姻をもって、きっとよりよい未来へと向かっていくことでしょう。私はそれを期待しつつ、新しい人生の門出を迎えた若人二人を心より祝福したいと思います」

 クロノスが大きな声で場内全ての人間に聞こえるよう言うと、場内からはまた大きな拍手喝采が沸き起こった。同時に、私とヘルメスは祝福の意を発したクロノスに頭を下げ、感謝の意を示す。その謝意のお辞儀の時間も角度も細かく決められており、私やヘルメスは必死に昨晩言われたことを思い出しながら、それに則って礼をしていた。

「では、続いて婚姻の儀を執り行いたいと思います」

 舞台下にいる司会者がそう言うと、クロノスは壇上を下りていき、世界宗教に所属する神父が前へと出てきた。まだ三十過ぎたばかりと見受けられる神父は、非常に整った顔をしており、神父をしているのがとても勿体無いくらいに思える男であった。

 世界宗教はこの世界唯一の宗教である。正式名称はなく、世界中で信仰していることから、世界宗教と呼称していた。その世界宗教はイースト大陸丸々支配している世界政府『コスモ』の認可と庇護を受けており、戦争になったとしても、神父や修道女たちはどんなことがあっても危害を加えてはならないと規定されていた。建物は戦災によって焼かれることは仕方なしだが、神父ならびに修道女は真っ先に救出の対象となる。結構、美味しい立場ではあるが、なるためには厳正な審査があり、一国における神父と修道女の数はほんの一握りである。そのため、両者は国民たちから大いに尊敬され、憧れの的になっていた。

 そんな世界宗教の神父は、壇の前に立ち、背後に立てられた神の像に一礼。また私たちのほうに振り返って、聖書を読み始めた。そこに愛に関する条文があり、それを神の使いである神父が発することによって、結婚する両名を祝福する。まぁ、私にしてみれば酷く退屈な時間ではあった。だが、決して顔には出さない。出したらそれこそ大問題だ。噂によれば、この最中に欠伸をしてしまった姫がおり、無礼と激怒した世界政府によって国ごと滅ぼされたことがあったらしい。恐ろしくて涙が出るよ。

 神父のありがたいお話が五分程度で終わりを向かえ、続いて私たちが誓いの言葉を発する。それについても、すでに決められており、私たちはそれに沿って神に誓った。

「私、ヘルメスは生涯に渡り、妻アティナーデを慈しみ、敬い、愛することを誓います」

「私、アティナーデは生涯に渡り、夫ヘルメスを慈しみ、敬い、愛することを誓います」

 両者、宣誓するために右手を軽く上げて神に誓った。これを破ると、死後、来世には向かえず、恐ろしい地獄に落ちて、その罪が晴れるまで苦しい責め苦を受けるということになる。まぁ、こっちのほうは、あまり信じていない。

「では、誓いのキスをお願いします」

 神父に言われ、私たちは静かに向かい合う。ここが一番の見せ場なので、ヘルメスは緊張で強張った顔をしつつも、ゆっくりと私の顔にかかっているヴェールを持ち上げていく。私は静かに目を瞑り、胸の高鳴りを抑えながら、ヴェールが取り払われるのを待った。終わりの合図は、後ろに廻ったヴェールが後ろ髪に触れること。その感覚で、私は目を開ける。

 顔の前にはヘルメスがいたのだが、顔をカチンコチンにさせて仏頂面をしており、私は思わず噴出しそうになったのだが、自らの足の甲を踵のヒールで踏みつけ、どうにか踏みとどまった。

なんとか、この情けない小僧を救ってやりたいが、この誓いのキスは男側からやらなければいけないため、私は黙って待ち構えていることしか出来なかった。以前私にやったように、意を決してキスしてくれればそれでいいのだが、大観衆に見守られる中のキスは相当恥ずかしく、緊張してしまうものである。特に、ヘルメスのようなガラスの心臓には耐えられないのではないだろうか。

 私が再度、目を瞑って唇を軽く差し出すと、ヘルメスはガチガチの手を私の肩に乗せ、ゆっくりと顔を近づけてくる。その瞬間のアルテミスやアフロディテの反応がわからないのは非常に残念だが、それは脳内で考えておくことにして、今は夫のキスを素直に待つことにする。

 彼の荒い息が私の顔にかかってくる。それによって彼の顔の距離がわかる。だが、そう時間を空けることもなく、彼は私の唇に自分の唇を重ねてきた。その際には、私の顔は仄かに赤く染まり、呼吸も乱れる。同時に、彼の口付けに私は頭の中が蕩けてしまいそうなくらいに熱を帯びた。このまま、ずっとこうしていたいかもとも思ってしまったが、ヘルメスは五秒ほどで私から離れていった。

「では、このキスを以って、両名は神の名の許に、晴れて夫婦となりました。これ以降、この夫婦に対し、異議を申すことは決して許されません。彼らは世界宗教の庇護する夫婦となったわけなのですから」

 神父がそう言って私たちに拍手をし始めると、場内にいた観衆は皆総立ちで

私たちに拍手を浴びせてきた。それに応えるように、私たちは振り向き、場内にいる観衆に向け、高く手を振ったのだが、その際、見てはならぬものを見てしまった。

「おめでとうございます、アティナ様」

 と口では言っているが、顔は強張り、黒い何かが全身からメラメラ沸き出ているアルテミスの姿であった。手には力が篭っており、一度の拍手の大きさが極めて大きい。その迫力ある音に驚き、左右の貴族たちは眼をぎょっとさせてアルテミスのほうに顔を向けていた。

「あ、あとで土下座でもなんでもしてやるさ……うん」

 私は故意に奴から視線を外し、皆々に手を振り続けた。また、隣では一瞬、ヘルメスが怯む顔をしたので、おそらくは怖い姉様の顔を見てしまったのだろうと悟った。まったく、これ以降が恐ろしくて考えたくも無いよ。

 

 

 

 結婚の儀はほんの一時間ほどで終了した。その次は場所を街に移動させ、私たちは盛大なパレードを行って、民たちに夫婦となったことを示した。民たちは私たちが乗り込んだカブリオレの通る道の至るところに控え、私たちが通ると大いに祝福をしてくれた。そんな彼らに私たちは手を振り続け、笑顔で応え続けた。その際に見た民たちの明るい顔は、私の祖国とは比べ物にならないほど素敵なものだった。

 この国を、この土地を、第二の故郷にできることを、私は大きな喜びで以って迎える。きっと、これからも楽しい生活が、明るい未来が、私たちを待っていてくれることだろう。

 その夕方。

「ふぅ……。やっと終わったよぉ。腕が疲れたぜ」

「お疲れ様でした、アティナ様」

 私はこの結婚式を以って、晴れてヘルメスと同室となることに相成った。よって、城に戻って通された部屋はヘルメスの部屋であるが、やはり私の部屋とは比べ物にならないくらい、大きなものだった。ところどころに見事な彫刻が施された調度品があり、金細工があしらわれたものも数知れず。私のベッドには天蓋がないのに、ヘルメスのベッドにはそれがあった。

「はぁーあ……」

「せっかくのドレスなんだから、寝転がるのはどうかと思いますよ?」

「ごめんなぁ、今はちょっと目を瞑って欲しい」

 私は純白のドレス姿でベッドの上に寝転がらせてもらった。

「でも、ちょっと安心したなぁ」

「何が?」

 私が訪ねると、軍礼服姿のヘルメスはお茶をカップに注ぎながら

「普段はきっちりしている貴方が、そんな顔見せてくれるんですもん」

「私だって人間だ。だらけるときはだらけるさ」

 私はそう言いながら鼻で笑う。

「しかし、こうも夫婦となったんだから、今日の夜はどうする?」

「はい?」

「だからー、夜だよ。初夜」

「ゆっくりお話でもしますか?」

 は? 何言ってるんだ、こいつ。

 私が起き上がってヘルメスのほうに顔を向けると、彼はぽかんとした様子で私の顔を見返してくる。どうやら、本気でこいつは夫婦の営みというものをわかっていないらしい。だとしたら、結婚はちと早かったのではないだろうか。

「お前、初夜にすることなんか、決まってんだろ?」

「だから、これからのことを話し合ったりするのではないのですか?」

「い、いや……だからな?」

 なんで私が照れなくてはいけないのか……。

 この天然アホ参謀はどうしてこうも知識に乏しいのか。

「俺は、アティナ様と仲良く暮らしていければそれでいいです。特に何も望みません」

 ニコッと明るい笑顔を見せてくる彼に、私は自分が一人で何考えてるんだろうと腹立たしくなった。それに、まだこいつは十七だ。まぁ、遅いといえば遅いが、そう言った知識をあまり持ち合わせてはいないのだろう。ちなみに私は軍学校の寮生活ということもあって、そう言う知識を取り込むのは凄まじく早かった。閉鎖された空間かつ、男たちばかりだったのでそう言う言葉は四六時中飛び交っていた。

「はぁー。私も、お前と仲良くやっていければそれでいい。いずれ、子供を産んで幸せな家族が築ければ、きっと母上もお喜びになられるはずだろう」

「そうですねぇ。きっと、アティナ様に似て、じゃじゃ馬ですよ」

「おいコラ」

「だって事実じゃないですか」

 ヘルメスはクスクス笑いながら、紅茶の入ったカップに口をつける。

「お前、初対面と比べると大分変わったな。私に遠慮しなくなった。いいことだ」

「慣れって凄いものですね。最初はアティナ様が随分怖かったのに、今では愛しささえ感じています」

「そっか……」

 私もヘルメスに対して、愛を持っていないといえば嘘になる。彼とのキスは心ときめく時間だったし、最初は毛嫌いしていたが、今ではすんなりとこうしてベッドに座って言葉を交わしているのだ。私もきっと、彼を愛し始めているのであろう。

「そういえば、この部屋ってテラスがあったよな? 出て見てもいいか? 城下の眺めを楽しんでみたい」

「ええ。どうぞ」

 私はカップを置いたヘルメスに案内されて、この部屋に備え付けられているテラスへと出た。テラスはテーブル一つ出してお茶を飲むぐらいなら出来る広さで、そこからは西のほうの景色が良く見えた。西側といえばジュピネルがある方向である。

 私はそれに気づくと、ヘルメスの見ている前でその場に肩膝を突き、両手を合わせて祈りのポーズを取った。

「アティナ様? どうしたんですか、急に……」

「あっちのほうにはジュピネルだ。そこで私の母が眠っている。せめて、母上に結婚の報告をと思ってな」

「なるほど……。それでは」

 すると、祈るポーズを取る私の横に、ヘルメスもまた肩膝を立てて祈りのポーズを取った。

「なんのつもりだ?」

「アティナ様の母上様は私の義理の母上様になられるお方です。俺もしっかりと報告をさせてください」

 それを聞くと、私は思わず笑みを零していた。

「ありがとう。母上もきっとあちらの世界で喜ばれるはずだ。もしくは、情けない男を夫に貰って、嘆いているかもしれないな」

「よ、喜んでもらっていますよぉ、きっと」

「おぉ? 言うようになったじゃないか、ヘルメス」

 私たちは互いに笑顔を零してジュピネルに眠る紅玉の戦乙女メティシアに対して祈った。もし、彼女が今も生きていたとすれば、私の晴れ姿を見せて差し上げたかった。それがどんなに悔やまれることで、どんなに母を見捨てた父への恨みが増幅されたか。

「きっと必ず、母上に報いましょう……」

 私はそう言って心の中で必死に母に対して祈りを捧げた。私の真意など、きっと隣で素直に祈ってくれているヘルメスはこれっぽっちもわかってはいないだろうな。でも、それでもいいとは私は思う。こいつを私の復讐に巻き込みたくは無かった。

「待ってろよ、クソ親父……」

 

 

 


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