第三章 編成、サトゥル軍七師団改め『グラウコーピス軍』 九月四日。 私がこのサトゥル国首都タイタニアに来て早三日が過ぎた。上洛とともにヘルメスと婚約した私、アティナーデであったわけだが、ジュピネルとの不明瞭な混乱により、ヘルメスとの挙式は未だ挙げられていなかった。 あの初日の夜の思いがけないキスから三日だが、あのときの強気な小僧はどこへやら。ヘルメスは相変わらずひ弱な男として生きている。が、やれば出来る男であることは確かなため、私の、奴に対する態度は少しは和らいだ。毎夜、あいつが部屋に来てもいいようにシャワーは念入りに浴び、体の手入れも欠かすことはないのだが、奴は一向に現れなかった。私も意固地になりすぎているのか、奴が来るまで何も言わないことを決め、毎日を過ごしている。 私はアルテミス率いる第七師団に配属されたわけであるが、立場上は副師団長というよりも、アルテミスの補佐官、助言役、参謀役であった。よって、私自身が軍を指揮するということはなく、あの天然娘アルテミスがいい判断を下せるようにしてやるのが私の任務となっていた。 が、それでは私にとっては物足りない。私はジュピネル王であり、父デウシウスを討伐することを最大の目標に、このサトゥルに嫁いできた。ならば、私が自由に動かせる部隊が欲しい。そいつらを育成し、戦える軍団にして備えたいところである。 「はてさて、どうしたものかなぁ」 普段どおり、私は鎧を身に着けた上で自室を後にした。朝ということで、起き出す王族たちの世話をするべくメイドが城内を奔走している。何人かはヘルメスの妻である私に深深と辞儀をしたが、忙しさのあまり、無視して駆け抜けていく者もいるが、事情は分かるため、別に不快にも思わない。 特に、この国のメイドは、私の知るメイドとは違っていることもまた、そんな気分にさせる一因だろう。私の国のメイドは貴族に媚び諂い、隙あらば股を開く、出世と金の欲望に塗れた女たちで構成されており、はっきり言えば汚らわしい娼婦だった。だが、この国のメイドたちは皆清廉潔白な姿で仕事に励んでおり、逆に、応援したくもなる。 そんなメイドたちを横目に見ながら城を出た私が、毎日のように足を運ぶ場所。それは城下の陸軍錬兵場である。 優秀なサトゥルの兵士たちはここで日々の鍛錬をしたあとで、都タイタニアや、それ以外の集落、軍事拠点を守るべく出兵される。アルテミスの第七師団千二百人はその錬兵場で次の任務に向けての、いわば準備を行っていた。 「あ! おはようございます、アティナ様!」 「おはよう、アルティ。今朝も早いな」 「えへへへ。アティナ様と一緒に指揮を執れるんですもの、早起きしますよ!」 サトゥルが誇る美人剣士アルテミス。今日もその真っ白な髪の毛を優雅に風に乗せながら、兵たちに訓練の指示を下していた。兵士たちの士気は上々のようだ。木剣を振り上げて懸命に稽古をしている。しかし、彼らは女の師団長の元で戦うことをなんとも思わないのだろうか。その辺の話は私も聞いたことがなかった。 「まぁ、拳で語れと言うからな。よし、私が稽古をつけてやろう。腕に覚えのあるやつ、前に出て来い。女だからって侮るなよ?」 専用ケースに突き立てられた木剣を一本拝借し、私は強気な笑みを表しながら、兵たちが稽古に励む中へと足を踏み入れていった。アルテミスが遠くから「危ないですぅー!」とかなんとかほざいているが、馬鹿ヤロウ、戦場に出ればどこにいても危険なんだよ。それを少しでも押さえ込むためには自らを鍛えなければならない。 私のこの意を察してくれたのか、手の空いた兵士たちは続々と私に稽古を頼んできた。その積極性は私の元部下たちよりも優れている。だが、それは私の稽古を知らないからだろう。彼らは相手の体に木剣を打ち込むということはしない。だが、私は紅玉の剣士。そんな世迷言など通じぬ。 「うらあああああああああああああああああ!!」 まるで獰猛な獅子の雄叫びのような、闘志満ち溢れる気合の声が平和な町の中に響き渡る。それと共に振り下ろされた木剣は容赦なく相手の肩を打ち、私の唐竹割りが脳天を直撃する。兜をかぶっていなければ間違いなく即死だろう。しかし、それでも与えられた衝撃は言語を絶する。その屈強な兵は膝を折り、薄茶色の地面に倒れた。 「おら、どうした?! さっきの一撃でお前は一回死んだ! 戦場じゃどんな相手がお前らを待っているかわからないんだぞ?! 私より強い剣士だっていくらでもいる! 気を引き締めてかかってこいっ!!」 気持ちが高ぶって木剣を地面に叩きつけるも、頭を打たれた兵士は起き上がることさえできず、慌てた仲間たちが彼を担いでいった。そんな様子に兵士たちの顔に険しさが宿った。特に私の周囲の兵士たちは、軍学校の鬼教官のような私にすっかり怯えてしまっている。 「どうした?! 私に挑んでくる骨のある輩はいないのかぁ?!」 そう叫んでも、兵士たちは皆、私から顔を背けてしまう。なるほど。これは徹底的に扱かねばならないか。そう思った私であったが、 「それじゃあ、お相手願います」 そう言って、臆した兵士たちの間から割って入ってくるのはアルテミスだった。さっきの私の剣舞を見た上で挑みがかってくるのだから私は呆れ果てた。だが、やりたいと申し出た以上は手を抜くつもりなどこれっぽっちもない。相手が誰であっても私は全力を尽くして倒す。むしろ、今までの恨み辛みをどれだけぶつけてやろうか、ウキウキもしていた。 「痛い思いをしても私は知らぬからな?」 「ええ。アティナ様に叩かれるのなら本望です」 ニコッと笑う白剣士。白と蒼で彩られた鎧から金切り音が上がる中、彼女は木剣を肩に担いだ。無属による万能の構えだが、速度にものを言わせればたやすく崩れる構えだ。アルテミスには悪いが怪我でもして大人しくしていて貰おう。 私はそれまでの中段の構えを止め、木剣を振りかぶり、切っ先をアルテミスへと向ける突きの構えを取った。すると、周囲の兵士たちは打ち込みの訓練を止め、私らのほうに目を向けて静かに観戦した。ちょうどいい。この師団の中で誰が一番強いのかをはっきりさせておこう。 私は風が横から吹き抜ける中、脱兎の勢いで飛び出した。 砂塵を舞い上げてアルテミスへと突きを繰り出す私。無論、これが命中するとは思っていない。太刀筋がわかりきっている突きを食らうのはよほどの鈍足だけだ。アルテミスも軽やかな身のこなしで私の突きを避けると、カウンターによる胴打ちを繰り出した。 「甘いっ!」 私はすぐに剣を引き戻し、その柄頭でアルテミスの木剣を叩き、その太刀筋を破壊する。 「っ?!」 アルテミスは咄嗟に背後へと飛んで構え直すが私がそんな時間を与えるわけがない。彼女が後ろに飛ぶよりも速い速度でアルテミスの懐に飛び込むと、左手で私は自分の木剣を上へと放り投げ、右手でアルテミスの鎧は蒼の首当てを掴む。 「はぁあああっ!!」 「え? え?」 再び獅子の咆哮に似た大音声が近隣周辺に轟いた。それとともにアルテミスの華奢な体がフワリと浮かび上がり、そのまま、何年にも渡って屈強な兵士たちに踏み固められた地盤へと叩きつけた。相当な衝撃が体に走ったのだろう、アルテミスは目を点にして口から唾液を噴出し、激しくのた打ち回る。それを見下す私は、そのまま彼女に背を向けて離れた。 「ま、まだ終わっていませんよ?!」 と上体を起こして挑発してくるアルテミスだったが、その彼女の脳天に、私が放り投げた木剣がゴーンと鈍い音を立てて直撃した。アルテミスは白目を剥き、そのまま動かぬ人形と化す。私が止めを刺さぬお人好しだと思っていたのなら、こいつもそれまでの人間だということだ。 「あ、アルテミス様ぁ?!」 何人もの兵士たちが師団長の周りに駆け寄ってくるが、そのアルテミスは白目を向き、ピクリともせず、気を失ってしまっていた。 「さぁ、次! 私にぶちのめされたいと願う兵は前に出よ!」 私の怒号に兵士たちは皆尻込みをした。絶対適わないという不安が彼らの足を石化しているのである。だが、それを理由に挑んでこないということが一番、戦場で戦わなければいけない兵士にとってはあってはならない。 もし、たった百名で砦の死守を任されたとき、相手が三千人もの大軍だったらどうするのか? 恐れて戦えないような腑抜けでは勝てる道も消滅してしまう。 私は最初からあきらめる人間が大嫌いだ。 「よろしい。じゃあ、ハンデをやる。お前ら全員でかかって来い!!」 こっちのほうが私としては面白い。 兵士たちは一瞬でどよめき、近くにいる仲間たちの顔を見つめた。婦女子相手に大の男が大勢で……。そんなことを考えているのだろうか? だが、奴らも私が実戦で、何十人もの人間たちを相手に渡り合ったことは知っているはずだ。私を女扱いすると痛い目を見るとどうしてわからない。 「どうした?! お前たちは揃ってでも私の首を取れぬ腰抜けなのか?! お前たちの師団長は私、ジュピネル第三王女アティナーデが討ち取った! その仇を部下である貴様らが取らないでどうする! さぁ、私に挑め! 私を倒して見せろ!!」 熱血剣士。まったく、私にはよく赤が似合うな。 だがしかし、私の剣幕に恐れをなし、木剣は一応構えて見せるものの、兵士たちはまったく間合いを詰めては来なかった。切っ先は震え、前進するどころかジリジリと後ろへ下がっているのである。優秀なサトゥルの軍勢が果たしてこれでいいのか。 「……お前たちの根性、叩きなおしてやるしかないな!!」 私は木剣を振り上げて彼らめがけ殺到した。一対千二百である。成り行きを知らない兵士たちも大勢いたが、私の大響音を聞いて事態を知ったらしい。私がスイッチを入れてやると兵士たちも私目掛け切りかかってきた。 「そうだ! それでいい! 私を討ち取れぇっ!!」 「はぁ! はぁ! お、お父様?!」 「む? どうした、フェルセ。そんなに慌てて」 「どうしたもこうしたもございませんわ! 錬兵場でとんでもないことがぁっ!」 「なに?」 長女フェルセポーネの報告を受けたクロノスは改定すべき法律草案をその場に残し、血相を変えた娘に手を引かれながら錬兵場へと向かった。うねったロールヘアが可愛いフェルセポーネは怯えたというよりは、興奮しきった様子で馬車に乗り込んだ。 「で、なにがあったのだ? わざわざ私を連れるなど……」 「あのジュピネルの姫君のことです! あの方、アルテミスの部下千二百人を相手にたった一人で立ち向かって、しかも、みーんな、あっさり倒してしまったんですよ! 私も途中から見ていましたが、思わず目を疑ってしまったほどですわ!」 「待て待て。少しは落ち着きなさい、フェルセ」 興奮して唾をはしたなく飛ばすゴージャス王女フェルセポーネに、実父クロノスは呆れ果てながらも、半信半疑で錬兵場のほうを見やっていた。 城を出て十五分のところにある錬兵場。そこにはすでに黒山の人だかりができていた。 柵が設けられて一般人は中に入ることはできないが、容易に中の様子を窺い知ることはできた。その彼らの視線の先で、私は木剣を片手に赤髪を靡かせながら佇んでいた。その足元にはなぎ倒されて気絶した兵士たちの体が無残なまでに横たわっている。しかも、辺り一面に。 「フフフ、さすがはサトゥルの軍勢だ。全部で四発食らったか」 腕にできた痣を嬉々として見つめながら、私は空を仰いでいた。 「こ、これは……」 「ねぇ?! 凄いでしょ、お父様!」 「あん?」 聞きなれた声がして私が視線を大地へと戻すと、そこには軍参謀たちに囲まれながら愕然と佇んでいるクロノスとフェルセポーネの父娘の姿があった。こんな泥臭い場所に正装した王と娘がご苦労なことだ。 「これはこれは陛下。このような場所まで見聞とは」 私は木剣を背中に隠して膝をついた。 「こ、これだけの人数をたった一人で倒したというのか? アルティに与えた軍勢は皆、選ばれた優秀な兵士であるというのに……」 ほぉー……あれで優秀だったのか……。うーむ。 「正直に申し上げますが、私が戦ってみたところ、まだまだ優秀と言うには及ばぬ錬度かと思います。打ち込みも浅く、隙が多く、何よりまだまだ精神に隙がありすぎです。これでは、ジュピネルの兵士たちに勝てるかどうかわかりませぬ」 「う、ううむ……。」 「剣とは即ち人の心。恐怖し、恐れをもった剣術など私の敵ではありません。ただ、義理の姉上であるアルテミス様を殴打したことは、心の底よりお詫び申し上げます」 「よ、よい。それはよい。アルテミスを鍛えてくれようとしたそなたの気持ち、わからぬわけではない。私は女人であるそなたが、大勢の男を相手に、ここまでやってのけたのが信じられぬだけだ」 「ありがとうございます。ひとえに、我が母メティシアの血によってのことでしょう」 私は誇らしかった。あのサトゥルの国王が私の腕を認めてくれたのである。我が愚の骨頂である父は私の腕など認めず、この国へ追いやったのだ。もしも、私をあのままにしておけば万が一サトゥルと交戦状態に陥ったとしても、最後の矢として活躍を報じられただろうに。 この人ならば、忠節を尽くして差し上げても良いだろう。 国王クロノスはしばらく軍参謀たちと何やら話をした後で、私に、その睫の長い目を向けてくるフェルセポーネを連れて現場を後にした。私は私でフェルセポーネの目を見ながら、鼻で笑って木剣を収めた。 「目が狸のような娘だ……。ま、腹黒のアルティよりはマシだがな」 私は静かに後ろを向いて、未だに目をグルグル渦巻きにして伸びている小娘に呆れた。 まったく、ほとほと軍人には向いていない小娘だ。 「まさか、アティナーデ姫にここまでの力があるとは思いませんでしたわ……。警戒する必要がありそうですわね」 立ち去り際、フェルセポーネがそう漏らしたのを、私は聞き逃さなかった。 そのあとは急いで医療班が呼ばれ、一応、怪我のないように殴っておいた兵士たちを一人一人丹念に治療していった。私は私で遅れて駆けつけた新聞記者による取材を受けた。勿論、取材に来たのはあの女だ。 「なるほど。そういうわけで、この死屍累々の男たちの図を築き上げたわけですね?」 「ああ。まだまだ鍛錬が足りん。まぁ、師団長があのザマだから仕方が無いといえば仕方が無いんだが……」 私は、取材にやってきたアフロディテにそう言ってやった。すると、アフロディテは苦笑いを浮かべながら、担架で運ばれていく情けないサトゥルの王女の姿を見る。 「しかし、女性でここまでやれるなんて、流石は紅玉の戦乙女、メティシア殿の娘です」 「ほぉ。我が母を知っているのか?」 すると、アフロディテは得意げに胸を張りながら応える。 「新聞社にとって、調査対象の情報は少しでも多く集めるのが鉄則ですよ? 貴方の経歴はよく存じております。アティナーデ様。年齢十九歳。ジュピネル第三王女で、母は紅玉の戦乙女メティシア。軍属で、第五師団師団長。主な任務は国境警備で戦闘経験はナシ。でも、その強さ、華麗さ、出自から、紅玉の剣士と呼ばれている」 「ほぉー。感心だ」 最後のほうの発言は、おそらくジュピネルにいない限りは知ることの無い情報ではないだろうか。私の軍歴に関しては、こっち側にあまり報告してはいない。報告すべきことでもなかったからだ。 「ま、そんないつもは強気な顔してるアティナーデ様でも、裏では女の子なんだけど」 「おいちょっと待て」 「何ですか? ぬいぐるみ抱えてないと落ち着いて眠れないんでしょ? 可愛いですねぇ」 「ま、待て?! どうしてそれを知ってる?!」 「情報は、どこから漏れるか、わからない。たとえそれが、王女であってもぉー」 「ふ、フロディア?!」 私はフザけたリズムを刻んで言うアフロディテに掴みかかろうとするのだが、彼女は軽やかなステップを刻んで私の手を避けた。 「こ、コラ! 情報源を教えろ!」 「情報源の秘匿は新聞記者としての鉄則です。だから、絶対教えませんよぉー。そういえば、アティナーデ様はつい最近、ファーストキスを済ませたようですね」 「なんでそんなことまで知ってるんだよ、お前はぁ?!」 私は思わず木剣を抜いてアフロディテに切りかかっていた。私にしても愚行としか言えなかったが、そのときは酷く狼狽しており、歯止めがかからなかった。だが、その一太刀も、アフロディテは軽やかに避けていた。 「フム。アティナ様は右手に力が入りやすいんですね。太刀筋が右に傾いてます」 「なっ?!」 私はアフロディテ目がけ、二の太刀を横なぎに払う。だが、アフロディテはスッと後ろに身を引いて紙一重で私の剣舞を避けた。 「またっ?! くっ!」 三の太刀は切り上げ。下から掬い上げるようにアフロディテに向けて放つ。 「よっと」 だが、その太刀は冷静な顔をした彼女のブーツの底で抑え込まれた。 「嘘だろ?! はっ!」 私が愕然としたその瞬間、眼前にアフロディテの綺麗な顔があった。彼女はニッコリ笑うと、驚きに顔を固めた私の額に手を伸ばし 「えいっ!」 デコピンを放ってきた。 「え? え?」 「勝負アリね。やったぁー。私の勝ちぃ」 「ちょ、ちょっと待て?!」 私は驚きを隠すことが出来ず、大声を張り上げる。なんだ? 一体なんなのだ今のは? 私は本気で彼女を叩くつもりで襲い掛かっていた。でも、新聞記者である彼女は身軽にそれを避け、あろうことか私から一本取ったのである。つまり、彼女は私に勝ったということだ。 「フフ。アティナーデ様もまだまだですね。感情的になりやすく、言葉攻めにも非常に弱いっと……」 アフロディテはそう言いながらメモ張にサラサラと何やら書き込んでいく。 「私は貴方専属の番記者ですからね? 貴方のことは良く知っておかないと」 「い、いや、待て! だったらお前のことを教えろ! なんで私の剣をそうたやすく避けられる?!」 私がそう尋ねるも、アフロディテはニッコリ笑って後ろへ飛び去り、そのままダッと駆け出していった。私が追いかける間もなく彼女の姿は、噂を聞いて集まってきたほかの部隊の兵士たちの合間に消え、私は顔を真っ赤にした状態で立ち尽くすほか無かった。私は、完全に敗北したのだ。 「あ、あのヤロォ……」 アルテミス以上の強敵が現れたと、私は覚悟しなければならなくなってしまった。 その事件の数時間後。 「うぇぇーん! 痛いよぉ、痛いよぉ!」 「なんだよ、上から木剣が当たったぐらいで大げさな」 「はぅ?! ひ、ひどいですよ、アティナ様あぁっ!」 「お前が一番軽い怪我じゃないか。ほかの兵士たちを見ろ、痣ができてるんだぞ? ま、優秀な私の剣舞によって痣だけで終わっているがな。」 城へと戻る帰り道。馬車の中でアルテミスは頭を撫で撫でしながら、その腹にたまった苦言を呈す。私は私で頬杖をついて、窓の外を眺め続けた。あぁ、夕焼け小焼けだ、明日も晴れるといいなぁ〜なんて考えながら。 「んもぉ! 外ばかり見てないで私を愛でてくださいよぉー!」 「ふざけんじゃねぇ」 たった一人の女にボコボコにされた師団。兵士たちはきっと自らの無力さを悟って、今後とも私を目標に訓練に励んでくれることだろう。そして、彼らこそがこのタイタニアをはじめ、サトゥルの国を守る礎となってくれるはずだ。私もこれからはよりいっそう、アルテミスとともに奴らを鍛えてやるつもりだ。 城へと帰って夕食後、私は寝室へと戻ったのだが、ほんの少しの時間を置く間もなくヘルメスが部屋にやってきた。彼にも私の伝説は知れていた。彼はアルテミスのように目をキラキラと輝かさせ、私の手をとって「凄いです! 凄いです!」と耳にタコができるまでに連呼した。 「俺、そんな貴方を妻にできて誇らしいです!」 どうやら、憧れの心が、私への遠慮を取っ払ったらしい。こいつのこんな顔を見るのは初めてだ。 「べ、別にこれぐらいで誇るなよ。ってか、お前……私を妻にしたければ強くなれって言っておいただろ? そうだ、明日、朝一で稽古しようか。一対一の真剣勝負で」 「え? えぇ?! い、いや……でもぉ」 「貴様は私の夫だ。当然だろ? 勿論、ハンデはなしだ。もし嫌だというのであれば婚約は破棄。貴様は私のファーストキスを奪った件で死刑だ。よいな?」 「そ、そんなぁ〜!」 適うはずがないなどと最初からあきらめてしまえば何もできない。 私はこの純粋無垢な少年に全てを叩き込んでやるつもりだ。なにせ、こいつは私の終生の夫。やがては私をリードできるほどの夫になってもらわなければ困るからな。容赦など絶対にしてやるものか。腕の骨がどうなろうと、足の骨がどうなろうと、頭蓋がどうなろうと知ったことではない。 「フフ。アルテミスよりも弱かったら、私はお前にキスされたこと、奴に話すからな?」 「えぇぇぇぇぇ?! そ、それだけは止めてください!!」 どうやら、ヘルメスもアルテミスが私に度が過ぎるほどの好意を寄せていることを知っているらしい。まぁ、あれだけ形振り構わずに私のことを好きだとかほざき歩いている人間だ。知らないものがいないというほうがおかしい。 「よいな? 期待しているぞ、ヘルメス」 「は……はい」 彼は可愛い声で了解した。 そのさらに翌日。 ぼろ雑巾になるまでヘルメスを鍛えてやるはずだった私は、早朝から衛兵に呼び起こされた。何でも緊急のお話とのことだったが、私は大あくびをかきながら部屋を出ていた。しかし、城の中は相変わらず平和な朝を迎えていた。別に緊急事態というわけでもない。 小首を捻る私だが、衛兵は詳しくは参謀から聞くように言った。 「やれやれ。せっかくヘルメスを目茶目茶にしてやろうと思ったのによ」 私は腕を組みつつも参謀本部へと歩いていた。城の三階にあるその部屋は、軍の作戦企画、指示などを行っている軍部の頭脳だ。そこにいる軍人たちは優秀な軍学校を首席で卒業した者達ばかり。そんな彼らが私に何の用があるというのか。 「アティナーデ、参りました」 衛兵の警護するドアの前。私は返事を待たずして部屋の中に入った。扉を開けた途端、鼻についたタバコの香り。私は咄嗟に鼻を押さえ込む仕草をしたが、すぐに戻した。 「おぉ、アティナーデ様。よく参られましたな。どうぞ、お席に」 肥えた参謀の一人が私にそう言った。 「はっ!」 目尻を吊り上げながらも、私は言われたとおりに席に腰を下ろした。参謀室には目の前に腰を下ろした太い参謀以外に五人いた。彼らは彼らで自らの仕事をやっているらしい。図面を広げてなにやら睨めっこしている。私を見ているのは目の前の男だけだった。 彼は書類を片手に淡々とした口調で言う。 「貴方も無駄な時間は過ごしたくないでしょう? 単刀直入に言います」 もうその時点で無駄だろう……と私は思った。 「貴方の作戦指揮能力、剣術の腕、卓越した身体能力。どれをとっても指揮官にふさわしい。よって、陛下のお言葉より、本日付でアルテミス様の第七師団を貴方の指揮下とし、師団名をグラウコーピス軍とします」 グラウコーピス……輝く瞳を持ったもの。フッ、滑稽だな。 「師団名はありがたく頂戴いたします。ですが、私は師団長になるつもりはありません。あの軍団はアルテミス様のもの。それを他国の姫である私が接収しては兵に示しがつきますまい。士気を下げないためにも私はこのまま、アルテミス様の配下にて指揮官指南役を勤めさせていただきたい」 一時、難色を示した参謀だったが、すぐにうなずきを見せて私に現状維持を命じた。ただ、グラウコーピスという師団名だけは受け取り、私は命名書を受け取って参謀室を出された。まずはアルテミスに伝えたほうがいいだろう。彼女がいる場所は錬兵場しかない。あれだけ私にこてんぱんにされたのだ、今頃、ハードな訓練をしているに違いない。 少しは頑張っているのか、あいつ。 私はクスクス笑いながら、大きな期待を胸に城を出て行った。 「そこ! 腰を入れて打ち込みなさい! もうアティナ様に笑われないようにね?!」 「は、はっ!」 私が物陰からこっそりと錬兵場を見てみると、そこには無我夢中で訓練に励む……兵士たちを叱咤激励するアルテミスがいた。私が瞬時にその場にこけたのは言うまでもない。打ち付けた鼻を抑えながら立ち上がる私だった。 「あ、あいつぅ……」 私の中に確かな殺意が芽生えた。一番頑張らなくてはいけないのは間違いなくアルテミスである。それがどうだ、奴はただただ汗と泥まみれの兵士達を叱咤するだけで、自らが訓練に精を出すことはなかったのである。この職務怠慢な女の下で果たしていいのかどうか。先程受けた参謀の話を断ったことを後悔しつつ、私は眉を顰めてアルテミスの傍まで歩いていった。 「おい、馬鹿娘」 もはや、こいつが国王の娘で私の義理の姉であろうがなんだろうが関係ない。 「あ、アティナ様ぁ?!」 アルテミスは私の甚だ鋭い声に目をギョッとさせながら振り向いた。 「お前……自分の訓練はどうした?」 「え?」 「え? じゃねぇだろうがぁあっ!!」 私はもはや止められない。自分の理性を吹っ飛ばした欲求がこいつを殴れと私の頭に命令してくる。無論、私の体もそれを可決した。よって、筋力に優れた私の腕が腰のバネに威力を増資して一気に拳を彼女の顔面にぶつけたのである。 アルティは宙で二度、三度と回転して硬い薄茶色の地面に背中を打ちつけた。兵士たちもまた昨日の再来かと恐怖に臆した。 「いったぁい! なにするんですぅ、アティナ様ぁ!」 見かけによらず、頑丈だな、こいつ。 「お前! 師団長でありながらに自分は訓練しないとか、意味のわかんないことやってんじゃねぇ! お前が率先して訓練に精を出さないでどうするんだよ、阿呆がぁっ!」 「ふぇぇ?! だ、だって痛いのやだもぉん!」 「だったら何で軍人になった、お前ぇっ!! 部屋の中で編み物でもしてろよなぁっ?!」 私の正論過ぎる正論に対し、アルテミスはテヘッとまるで無邪気な子供のように笑って見せた。もっとも、次の瞬間には私の膝蹴りがアルテミスの鼻を砕く勢いで直撃したが。 「はぅぅ、い、痛いれすぅ〜」 「もういい、お前も兵と混じって訓練だ! 参謀殿からお預かりした第七師団改めグラウコーピス軍は私が責任を持って鍛えてやるよ!」 「ほぇ? グラウ……はぅ?」 お茶目に噛んで見せるアルテミスだが、生憎、私は突っ込むつもりはない。突っ込めば突っ込むほど、こいつの術中に巻き込まれ、脱出不可能の大渦の中に落ちていくことになるからな。 「グラウコーピス軍だ。これが第七師団のこれからの軍名だと参謀殿はおっしゃった。ほれ、指揮官。いつまでも座ってないで早く立て」 私が手を差し伸ばしてやると、素っ頓狂な顔をした馬鹿娘は小首を捻りながらも私の手をキャッチした。私も力任せに手を引いてアルテミスの華奢な体を持ち上げた。 「早く兵に宣言しろよ。我らはグラウコーピス軍だって」 私がそう言いながら、周囲の兵たちへと視線を向けた。彼らはその逞しい肉体に汗をダラダラと流し、さらには激しく肩を上下させながらこちらを見ていた。その目が何を考えているのか私にはわからない。きっと、不安がっているものも少なからずはいるだろう。そんな兵士たちを真の意味で激励するのは私ではなく、師団長であるアルテミスだ。 私はにこやかに笑んでアルテミスの尻を叩いてやる。 「ひゃん!」 可愛い泣き声だ。もう一発叩きたいところだが、自重しておこう。 「ほれ。早く宣言しな。せっかく温まった皆の体が冷えちまうぞ?」 「は、はい!」 こういうことは初めてなのか、千二百もの兵士たちを前にしたアルテミスは、緊張に頬を強張らせていた。鎧姿でも下はロングスカートなのでわからないが、おそらく足も震えているだろう。だが、私すらここで手を貸すことはできない。師団長のみでしか、軍名を兵士たちに伝えることはあってはならないのである。 私が見ている前で、アルテミスは口を二回ほどパクパクさせてから、ようやくその柔らかい声を発した。 「え、えぇーっと! さ、参謀本部より本日付で我々第七師団はそれまでの名を改めることになりました! あ、新しい名前は……えっと……ぐ、愚弄コップス?」 「グラウコーピス! 栄えある名前を愚弄してんじゃねぇ!!」 「ぐ、グラウコーピス軍です!!」 まぁ、発言態度は問題だが、声量に問題はない。私が兵士たちのほうを見ると、彼らは皆ぽかんとした様子でアルテミスのほうを見つめていた。まぁ、事の重大さがわからぬ限り、名前が変わったぐらいで喜ぶのも珍しい。アルテミスが私のほうを見てウルウルしているので 「しゃーねぇなぁ」 私はアルテミスの傍に立つと 「いきなりのことで緒君らも戸惑うを持つかもしれない。この名は、アルテミス様の代わりに私が参謀殿から直々に頂戴した! これがどういうことかわかるか?!」 私が声色を強めて怒号にも似た声を上げると、兵たちは皆、ビクついた。 「本来は番号で呼ばれる師団がれっきとしたネーミングで呼ばれる! それは、諸君らは選ばれた軍人になったということなのだ!! それに誇りを持ち、祖国の期待を裏切らないように、必死の思いで訓練に励もうじゃないか! 我々はこの国が認めた、栄えある軍人なのだから!!」 これが私の模範的な宣言だ。 すると、先ほどまで突如、女の裸体でも見たかのように呆然とした兵士たちは、大歓声を上げていた。彼らは右手を空高くに突き上げて何度も上下させた。中には木剣さえも突き上げているものもいるほどだ。 「よろしい! では貴重な時間を無駄にすることのないよう、すぐに訓練を再開! 私に稽古をつけてもらいたいものは遠慮は要らん、気の済むまでかかってこい! くれぐれも、自分たちは他の軍と違うということを胸に秘めてかかってくるのだ!!」 私の鼓舞が聞いたのか、昨日も先ほども、あれだけ私を恐れていた兵士たちが我先にとかかってきたのである。勿論、私はそんな彼ら全員と戦った。一対一ではなく、一対千という規模で。そんな私を遠くから眺めているだけの師団長は 「はぅぅ、アティナ様格好いい。とってもとっても素敵ですぅ。やっぱり私の運命のお婿さんですぅ」 しっかりした師団長になって欲しいと思う私の願いなど、赤ん坊はコウノトリが運んでくると本気で信じていそうなド天然師団長さんには、全然届いていないらしい。誰か、こいつに真実を教えてやってくれ。いくら私でも限界だ。 |
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