第二章  白き都タイタニア

 

 

 九月一日。

 歓声――。

 花吹雪――。

 お持て成し――。

 私が純白の都、タイタニアに到着した際、未曾有の大祝福によって迎え入れられた。

十メートルもの高さを誇る頑丈な城壁で囲まれたタイタニア。そこに入るための二つしかない巨大な城門を潜ったそのときから、私は巨大な歓声を受けていた。

 立ち並ぶ真っ白な建物の窓から身を乗り出した人、石畳の道端に結集した大勢の人、彼らは膨大な色取り取りの花びらを空へと放り、拍手喝采を私に見舞った。「紅玉の剣士、来る。明日の新聞の見出しはこれで決まり!」と、サトゥルの新聞記者であろう、クルクルした金髪が特徴的な若い女記者が叫んでいるのが聞こえた。

 勿論、私は祝福を受ける中であっても、アルテミスの馬に跨って、さらには彼女の体に強く抱きついていたのだから人生最大の汚点となったといっても過言ではないだろう。

 丘陵地をベースに建造されたタイタニアの都。城へと向かうためには、なだらかとはいえ、坂道を登らなければならない。馬では万が一のとき危険なため、そこからは歩きということになっていた。

私の身柄は南門を潜って少し歩いたところにある城前広場にて、城を守る衛兵たちに引き渡され、ようやくアルテミスの呪縛から解放されることとなった。そこからは石畳で作られた、城へと続く本通りを彼らともに歩くこととなる。

「アティナ様ぁー! また、お城でお会いしましょう! 私の部屋に是非いらしてくださいね?! 私、体を綺麗にしてお待ち申し上げておりますわ!」

 変態馬鹿娘が遠ざかる私に向かって叫んでいるが、私は振り向かずひたすらに白き城へと歩みを進めた。奴の無茶ぶりを聞きたくないということもあったが、今の私にとって一番気になるのは伴侶となり、私が処女を捧げなければならない旦那の顔のみ。もしもろくでもない男だったらどうしてくれようか。

「アティナーデ様。マーズトラス城に到着しましたら、すぐにホールへと引継ぎの者が案内致します。催しについては引継ぎの者からお聞きください」

「うむ。承知した」

 一般の陸軍とは違い、城の警備をする衛兵は極めてエリートと言って問題はないだろう。剣の腕のみならず、局面での正確な判断や行動力といった精神的能力も必要とされるのが近衛兵だ。

国王暗殺は国を崩壊させかねない一大事。それを守る衛兵には大きなプレッシャーと、常日頃から命の危険が伴う。そんな中で生きていかなければならない彼らは、常に沈着冷静で、一般兵とは全く違う体つきをしていた。私も一度は剣を交えてみたいものだと常々、思っている。

そんな彼ら五人に警護されているため、私は標高五十メートルの所に聳え立つ白城、正式名称マーズトラス城へ何の問題もなく到着することができた。

登城はこれで三度目だが、何度見ても壮健だった。白と蒼が美しい城で、戦う城というよりは象徴的な城として、豪華絢爛の作りだ。一部区画を除いて一般人にも開放されているため、ジュピネル、サトゥルの属するオリンピアヌス地方の長い歴史における宝などを拝見することができる。これは周辺国家でも珍しい取り組みであった。

城門近くで別の衛兵に案内を受ける私もまた、宝物が多数飾られている廊下を歩いた。その古の工匠たちが作り上げてきた芸術の数々には、言葉を発することさえも失礼であろう。もはや、それは言葉では語れず、心の中で感じる物であった。

廊下を抜けた私は、多くの貴族たちが集まった巨大円形ホールへとその足を踏み入れた。それと同時に観客席の正装した男女によって送られる拍手喝采。その大迫力のサウンドを聞きながら、私は入り口で一度立ち止まって頭を下げた。

姿勢を戻し、視線を中央舞台に向けると、その壇上でサトゥル国の王族たちが首を並べ、貴族たちと同じように拍手を私に対して捧げていた。

「さ、お進みください」

衛兵に言われるがまま、私は剣を彼に預け、短刀だけを腰に差して舞台へと歩んでいった。私以外、ジュピネルの人間でここまで歓迎される奴は全くいないだろう。それがどこかしか嬉しくて、私も珍しく本物の笑みを零して舞台上へと上がった。

「よくぞ我が城へ参られたな、アティナーデ姫」

 十人以上の王族が見守る中、サトゥルの国王クロノスが代表して声を掛けてきた。私はすぐに敬礼をする。本来ならば、ドレスの裾を持ち上げて会釈するのが姫君の輿入れ時の礼儀なのだろうが、スカートの裾を持ち上げてみろ。私の真っ赤な局部当てが見えるぞ。

 ちなみに、局部当てというのはパンツの類ではなく、矢や槍などから性器を守るための一種の鎧だ。女の兵士の場合、子を直接に宿す子宮などを痛めては聊か問題なので、しっかりと守る必要がある。パンツはその下に履いている。アルテミスも同じだ。

 果たして、私の局部当てでもいいから見たいと思う物好きはいるのだろうか。まぁ、あの天然小娘は喜んで顔を埋めてくるだろうな。はぁーあ……。

「はっ。陛下の御身もお変わりなく、喜ばしい限りです」

 と私が堅気の挨拶を為すと、まだまだ五十を超えた齢にしては張りのある肌のクロノスは優しい微笑を浮かべて

「堅苦しい挨拶は抜きにしておくれ、アティナーデ姫。しかし、一年前と比べて随分と逞しくなられたな。アルティもそなたに憧れて慣れぬ剣など手にとって……」

「途中、その腕を見ましたが、なかなかの指揮ぶり。今後の成長が楽しみです」

「そなたには、アルティを止めてやってほしかったな」

 国王のその言葉が私の心に敗北感を漂わせた。私とて、アルティを止めたかった。あんなにビクビクしたのは極めて稀代稀だ。あの天然の中に見え隠れする策謀の笑み。それが一番、私に恐怖を与えてくれるのだ。あの女といると脇に大量の汗をかいてしまうから勘弁してほしい。

 あいつの場合、私が恐怖を与えてやると股の方が濡れて来るのだろう。

 はてさて、そんな国王陛下と与太話をしているほど私は暇ではない。まず第一に私の旦那は一体誰になるのだろうか。これは私の純潔を差し出す意味でも重要な要項だ。もしも、私の意に沿わなければ、夫には私の体に指一本触れさせぬ覚悟である。

私がある意味でドキドキしながら、席に控える王子たちを見た。

「……はぁ?」

瞬く間に私は失望させられた。まるで富くじの一等があと一つの数字で当たるというときに外れてしまい、失意のどん底に叩き落されたときのような、そんな失望が私を襲った。

どいつもこいつも、肌が女並みに白すぎる。おまけに痩せていて筋肉の欠片も見えない。さらには、そんなに私が怖いのか、目を見合わせようとさえしない。年上であるはずの第一王子までもが視線を反らし、私の首元、ひょっとすると胸でも見ていると思われる。

私がもしも何らかの使者だったら、こいつらはどうするつもりだったのか。使者に失礼な態度を取るということは、国家間の対立を招いて戦争となり、ついには国家転覆のきっかけとなるかもしれない重要な問題なのだぞ? よくわかっているのか、愚か者どもめ。

「あ……あぁ?」

 これは私でなくても女なら語尾を上げて嫌な顔をするだろう。クロノスも眉を顰めて苦笑していた。成る程、陛下は自分の子供たちが頼りにならないほどのものだと理解はしているらしい。

 私は、アルテミスのとんでもない強さをこいつらに分け与えてほしかったと思った。彼らがもう少し強くなり、アルテミスがもう少し弱くなれば、私にとっても、彼らにとってもいいこと尽くめだったに違いない。

「それではアティナーデ姫。君の伴侶となるヘルメスを紹介しよう」

 そう言って、とうとう私の旦那予定の男を呼び寄せたクロノスだったが、近寄ってくるその男もまた、私を愕然とさせるほどの容姿だった。

表にも出たことがないのかとさえ思ってしまうほど、肌が白い。背は私より若干高いが、筋肉も無さそうと思えるほど細く、私の顔をチラッと見てすぐに背けてしまうほどのか弱さだった。これは、私でなくても激怒するに違いない。

こいつ……こんなんで私を抱けるのか? 

「こ、この人が私の夫となる人なのですか?」

 十分無礼だとは思っていたが、質問せずにはいられなかった。それほどの衝撃が私に襲い掛かってきたのである。そんな私の動揺を察してか、国王は苦笑しながら。

「まぁ、すぐに馴染めというわけではない。まだ若いんだから、時間をかけてゆっくりと近寄りを持っていけばいい。それに、メイスを君に託す以上、鍛えてもらってかまわない」

「……なんですって?」

 暗雲立ち込める嵐の晩に、月明かりが雲を突き破って光を零した。

「ぞ、存分に私が認める男にしてあげてよいということですか?」

「ああ。君の夫だ。君が気に入るようにしてあげてくれ。それに、メイスはあれでも陸軍学校に通っている士官候補生だ。剣の腕はちと物足りないが、参謀としてなら君の役に立てると思う」

 敗北を重ね、もはや背水の陣で最後の戦いに望もうとする軍団に、見かねた天が戦乙女を使わした瞬間のようだ。

「はっ! このアティナーデ! 存分にやらせていただきます!」

 私は喜色満面で敬礼していた。

 ヘルメスが一瞬、怯んだ表情を見せたが私には関係ない。たっぷり調教して少しはマシな男にしてやろうじゃないか。まぁ、それで夫と認めるかどうかはわからないが。

 

 

 

クロノス、ヘルメスらとの謁見後、場所を円形舞台場から下のフロアの大広間に移した私たちは、王族、貴族を交え、盛大な宴を楽しむことになった。勿論、私の歓迎とヘルメスとの婚約記念の意味合いを篭めた宴である。

円形の広間にいくつものテーブルが並べられ、それぞれ正装した王族や貴族たちが立食パーティを楽しんでいる。私も赤い鎧を用意された部屋で脱ぎ、故郷から持ってきた黒と紺のドレスに袖を通し、立食パーティを楽しんだ。

席に座らないのは大勢の人と交流を持って欲しいというクロノスの配慮に他ならない。これから、サトゥルを故郷として生きていくことになる私にとって、王族や貴族の人間は長い長い付き合いになるのである。第一印象をよく持たれようと、私は長くて太い棘を引っ込めて、作り笑顔一面に浮かべて彼らとの応対に当たった。

「アティナ様ぁん!!」

「うお!?」

 とある貴族との会談中、私は唐突に背後から巨大な何かに抱きしめられる。

「ようやくお会いできましたねぇ!? 私は待ちきれませんでしたよぉっ!」

 誰であろうアルテミスだった。

「な、何をするんだお前は!?」

「愛ゆえの抱擁ですぅっ!」

「お前にはあっても、私にはない!」

「素直になってください、アティナ様ぁっ!」

 アルテミスは私の気持ちなど全く察するつもりはないらしい。そんな彼女に、私はイラッとしながらも、大勢の貴族の手前なので手を上げることだけは耐えた。

「あ、そぉだアティナ様。是非、この期にアティナ様とお近づきになりたいとおっしゃってる人がいるんです」

「ん?」

 アルテミスが一瞥を向ける先。そこにはメモ帳とペンを手に持った、金髪美人が立っていた。白と黒のスーツを着こなしたその女は、私が視線を向けるとペコリと頭を下げてくる。

「お目にかかれて光栄です。私はタイタニアタイムズという新聞社で働いております、アフロディテと申します。王室番記者として、これから貴方に色々とお尋ねすることがあると思います。是非、よろしくお願いいたします」

 アフロディテと言った女はそう言って丁寧に頭を下げた。

「ああ。こちらこそお手柔らかに頼む」

 私はそう短く言うと、アルテミスはアフロディテの肩に手を置いて

「この方のお父上はケラドスといい、この国の参謀長を勤め上げられていらっしゃいますの。おそらく、公私混同でのお付き合いになるかと思います。お年も近いですし、どうか仲良くしてあげてくださいね?」

「なるほど。だからこそ、お前が推薦してきたのか」

 まぁ、そうでもしなければ一人の記者ごときに、王女が動くわけも無いか。たいそうなコネのおかげで、タイタニアタイムズという新聞社は大いに情報を得ることができて、幸せ者だ。

「あ、あのぉ……アルテミス様?」

「はい? なんですか、アフロディテさん?」

「わ、私のことはフロディアとお呼びください。何卒、お願いします」

「まぁ、なぜかしら?」

「その……アフロのお姉ちゃんと、皆に呼ばれてしまっていますので……」

「……プッ」

 アルテミスは思わずその柔らかな唇を手で覆って、噴出すのを必死に堪えた。

「うぅぅ……アルテミス様ぁ?」

「プッ……ご、ごめんなさい……。そ、その……不意のことで……クク」

「もぉ……」

 と言って膨れるアフロディテ。だが、決して彼女はアフロではない。左右の髪束をクルクルと回し、後ろ髪をボッサボサにさせた結構風変わりなスタイルをしている。まぁ、後ろ髪がボッサボサなので、ギリギリアフロにできそうな気もしない。

「おいアルティ。本人が止めてくれと言ってるんだから素直に止めてやれ」

 私がそう言うと、アルテミスはてへへと舌を出して笑って見せた。

「ありがとうございます、アティナ様」

「別に構わんさ」

 私がそう言うと、アフロディテは深々とお辞儀をし、そそくさとこの場から去っていった。どうやら父の許に戻ったようである。彼女は背の高い男の隣に行って、将軍階級と思える男たちにペコペコ挨拶をしている。

「ケラドスが娘アフロディテか……。覚えておこう」

 私はそう言って、微笑を浮かべているアルテミスとともに立食パーティを楽しみながら、この国の重要ポジションにいる者たちの顔を覚えて廻った。正直なところ、賄賂と欲望に塗れたジュピネルの貴族らと違っていることに私は驚かされた。彼らは驕ることもなく、相手と対等な気持ちで話をし、それは料理を持ってきたメイドたちに対しても同じだった。

 恥ずかしいかな、メイドは我が国では公娼と蔑まれ、貴族や王族の玩具だった。だが、サトゥルのメイドたちには、貴族の男も女も、すれ違うときすらペコリと一礼し、敬意を持っている様相を見せている。なるほど、これがサトゥルの民族主義か。真の平等を目指しているのだろう。

 ワイングラス片手に私がしみじみ感心していると、私の肩をポンポンと優しく叩かれる。

「ちょっとよろしいですの?」

 私が顔を向けるととびっきりゴージャスな女がそこにいた。

「ああ、フェルセお姉様。今、ご挨拶に伺おうと思っておりました」

 と、アルテミスがそう言うと、私もすぐ彼女が誰かわかった。

「まぁ、そうでしたの。では手間が省けたというわけですわね」

 少し嫌味っぽく彼女が言うと、私はペコリと頭を下げ

「失礼しました。フェルセポーネ様」

「別に頭を下げてほしいわけではありませんわよ」

 そう言ってプイと顔を向ける女の名前はフェルセポーネ。クロノスの第一王女にして最年長。アルテミスと三つばかり歳が離れた娘である。アフロディテのように左右の髪をクルクルに巻いた上、後ろ髪もグルグル巻きにした、超ド級ロールヘアの持ち主で、着ているドレスも私やアルテミスよりも遥かに高そうなものであった。自信があるのか、下乳や臍まで見せおって。

「自己紹介する必要があるかはわかりませんが、一応名乗っておきますわ。クロノスが長女フェルセポーネ。長い付き合いになるのですから、これからよろしくお願いしますわね?」

「はっ! ジュピネル国王デウシウスが三女アティナーデ。これから色々とご教授願います」

「ええ。これからよろしくお願いいたしますわ」

 フェルセポーネはそう言って含み笑いを浮かべると、踵を返し、テクテクと私たちの前から去っていった。途端に、アルテミスが王女らしからぬ顔をして、べーと舌を出した。

「まったく、お姉様はいつも嫌味っぽくて困ります。同じ母のお腹から生まれたにも拘らず、どうしてこんなにも違ってしまうものなのでしょうね」

「私はお前とよりもフェルセポーネ様と付き合ったほうが楽そうなんだが?」

「ど、どどどどうしてですかぁ!?」

「い、いや、どうしてって言われてもなぁ」

 はっきり言って四六時中、私の貞操を心配しなくてはいけない分、ほんの少し嫌味を言われたほうが精神的には大分ラクであった。これから、私は毎夜毎夜部屋のドアに厳重に鍵をかけ、窓には鉄格子を嵌め、そればかりか天井板と床は毎日朝と夕にチェックしなければならないだろう。さもなくば、こいつがいつの間にやら私のベッドの中に裸で潜り込んでいても不思議は無い。

「酷いですぅ。私は、アティナ様と一緒にいられることがとても喜ばしいのにぃ! どうして、この愛を受け入れてくれないのですかぁ!?」

「私が女で、お前も女だから」

「そんなの些細な問題ですぅ!」

「いやいや。最高の壁だと思うぞ?」

 まぁ、私が仮に男だった場合は、アルテミスへの見方はほぼ変わっていたに違いない。こいつの爆弾ボディにどうしようもなく手を出していただろう。

 暫くの間、私とアルテミスでどうしようもない話をしながらパーティを楽しんでいると、ふと私は疑問を抱かざるを得ない状況になった。パーティに出ている貴族や王族の名前などをアルテミスに教えられながらパーティを楽しんだのだが、その貴族の中に軍人が何人も含まれていることに気づいた。

 そういえば、先程の新聞記者アフロディテもまた、ケラドスという参謀長を父に持っているという。参謀長といえば、作戦を取りまとめる重要な役職の軍人だ。その人がここにいていいのだろうか。

「アルティ。お前、確か国境紛争のこと、タイタニアに伝えたんだよな?」

 私がそう尋ねると、アルテミスはコクリと頷いて

「ええ。三日前に伝令を派遣しました」

「けど、このタイタニアに入って以来、その話題が一切無いのはどういうわけだ?」

「あら、そういえば……」

 アルテミスもまた、この都に帰ってきて以来、そう言った話をされたことはなかったという。まぁ、こいつも今の今まで気づかなかったところを見ると信用できる話であろう。

「陛下はご存知なのだろうか……」

「私が……お話してまいりますわ」

 急に不安が胸を包んだらしく、アルテミスは片手に持っていたワイングラスを、有無を言わさず私に押し付けると、ドレスの裾を持ち上げ、足早に父であるクロノスの許へ歩いた。彼はフェルセポーネや我が夫ヘルメスらとともに話をしながら食事をしている。我が国のどうしようもない国王とは裏腹に、彼は非常に家族を大切に思い、笑顔も明るかった。彼がもし私の父であったなら、私の人生はどうなっていただろうか。

 そんな彼の元にアルテミスが歩み寄って何かを伝えていると、急に、その明るかった笑顔が険しく、そして強張った。彼は速やかにケラドスを呼び寄せ、また、アルテミスが私に紹介してくれた上級軍人らも集めて何やら意見を交わしている。かと思えば、彼らは大勢揃ってパーティ会場より出て行ってしまった。

「アティナ様ぁ!」

 私が待っていると、アルテミスがドタドタと慌しい足音を立てながら戻ってきた。

「どうだった? まぁ、反応を見れば大体予想つくけど……」

「え、ええ。私が送った伝令はタイタニアに着いていませんでした。いえ、どこで情報が途絶えたのかわかりませんが、父の耳にも、軍の中にも、国境での争いの情報が入っていないそうです」

「マジか……」

 私はアルテミスのワイングラスを返し、眉間に皺を寄せて考え込む。

「途中で暗殺されたと考えるのが筋かもしれんな」

「そんな……」

「とにかく、事は急を要するのは確かだ。ジュピネル軍に大きな動きがあればすぐにわかるだろうが、国境の警備を厳重にする必要がある。また数百人規模で川を渡られたら面倒だ」

 私がそう言うと、天然娘は珍しく険しい顔をして眉間に皺を刻む。

「そうですね。国境を護る守備は二千の兵。ですが、国境全てをカバーするとなると、もっと大勢の人手が必要になります。また、私も出陣するようなことになるかも……」

「そんときは着いていってやるよ」

「ほんとですか!?」

「ああ。城の中にいるより、そっちのほうが私に合っているからな」

 私がそう言うと、アルテミスは複雑そうな顔を浮かべた。

その後、クロノスは軍や各大臣たちに緊急招集の命令を発し、城の大会議場へと入っていった。私もまた、ジュピネル軍のことで意見を求められ、クロノス主催の軍事会議に出席。その場でアルテミスとともに二人揃って衝突事件についての経緯の詳細を報告した。

とりあえず、この三日間での近隣の集落ではジュピネル軍の活動は見受けられず、国境での異常も報告されてはいないため、今はただ様子を見るという方向で流れることになった。が、万が一に備えての警備増強は行われることになった。

このタイタニアは分厚い城壁で囲まれており、難攻不落の要塞と言われている。国力、兵力ともに同じジュピネルも迂闊には攻め込むことはできない。そう言った過信が会議の空気を決定付ける大きな要因となっていた。

私からすれば、『あの男』にそのような過信は通用しない。奴は山のどてっ腹に大穴を開けたり、迫り来る大軍に向かって牛の大群を突入させるほどの突拍子もないことをする奴なのだ。定石どおりの城攻めなどしてくるわけがない。

 また同時に、私は白玉の騎士アルテミスの指揮する第七師団に編入されることが決まった。これは、アルテミスのお守りを事実上任命されたも同義である。アルテミスは喜びの言葉を述べたのだったが、果たして本心はどうかわからない。彼女にしてみれば、私と共にこのタイタニアで平穏な暮らしを送りたいと願っているのではないだろうか。

「これから、よろしくお願いしますねアティナ様」

「アルティ、頼むから私に変なことはするなよ?」

「ええ。私は寝込みを襲うとか絶対にしません。堂々と参りますわ」

「…………」

 私は嘆声を零すこともできず、アルテミスの顔から目線を反らすことしかできなかった。

 

 

 

 その夜のこと。

 軍事会議はまだ続いているようで、本来ならば消灯となるであろう時間帯に移り変わろうとしているが、この城には未だに明るさがあった。

城内を警戒する衛兵たちも、未だに剣を携えて廊下を往来し、又、世間話や政治に関する懇談会のため、貴族や参謀たちも世話しなく部屋を行き来していた。

警戒すべきは昼間よりも寝静まる夜。眠気を持ったままでは戦いにはなるわけがない。それに付け込んで攻め込んでくる可能性は十分にあった。きっと、皆それを恐れての活動なのだろう。

 私は私で別の意味で真剣な顔をして廊下を歩いていた。与えられた一室を出て、真っ赤に輝くポニーテールを左右に揺らしながらも、黒と紺のドレス姿で絨毯の上を突き進む。その険しい顔に近衛兵たちも目を向けてビクッとしていた。

 階段を使って何階か上へと登り、煌びやかな調度品が溢れる廊下を進む私は、とある部屋の前で立ち止まった。そして、私がノックをすると、中から少し弱い男の声が聞こえてくる。

「失礼する」

 私は無作法にもそう言って、部屋の中に足を踏み入れた。

「あ、アティナーデ様?!」

 私の顔を見るなり取り乱したのは我が夫のヘルメスであった。ベッドに入って読書をしていた彼は、また怯えたような目をして私に視線を向けてきた。この目が実に気に入らない。まるで獅子に睨まれた小動物のようである。男らしくなく、ナヨナヨとしていて、虫唾が走るほどだった。

「貴様、先程のパーティ、私に挨拶すらしに来なかったな?」

 私がそう言って部屋の真ん中にまで足を進めると、ヘルメスは本を閉じ、右往左往する素振りを見せながらもその場からは動かない。まだ十七と人は言うだろうが、私とて十九だ。こいつと二歳ぐらいしか違わないし、こいつの歳にはすでに軍を率いて国境に出張ったりもしていた。そんな言い訳聞く耳など持たない。

「す、すみません……。その……えっと……」

「もうそれ以上言うな。私の耳が腐る」

「うっ……」

 そう言うと、私は傍にあった椅子に腰を下ろし、腕と足を組みつつ数メートル離れたヘルメスを睨む。見るからに弱弱しく、それがまた私の不機嫌さを増長させた。参謀として使えるとクロノスは言ったが、私にはそうは思えない。参謀は冷静な判断能力を求められ、どんなプレッシャーにも負けずに、確実な判断を下す必要がある。そんな重責を、こんなヒョロい奴が負えるとは信じるほうが不可能だった。

「貴様はアルテミスの弟というが、本当にそうなのか? 奴は先日の国境紛争で目まぐるしい活躍を私にして見せた。あんな可愛らしい娘が鎧を着こなし、重たい剣を振るって騎馬を操る。それは元来、貴様のような男の役目だ。姉の代わりに、戦場に出て行く覚悟はないのか?」

 私がそう問いただすと、ヘルメスは目線を下に落とした。

「貴様は私の夫になる。ならば、私に釣り合う夫になってもらわねば困るし、私にとっても屈辱だ。我が母、ジュピネルの紅玉の戦乙女メティシアの名にも傷をつけることになる。そんなこと、私は絶対に許さない。貴様にとっても青天の霹靂な婚姻だっただろうが、そうなった以上、そうするほかはないと思え」

 私はそう言って、暫くの間ヘルメスを睨み続けた。彼は萎縮しながらもベッドの上に正座し、私の顔を同じようにして見つめてきていた。その間に流れる空気は張り詰め、そして冷たい。愛し合うべく夫婦となるはずの二人は始まりから、すでに極寒の冬が如く冷え切っていた。

 それが何分続いただろうか。何も反論してこないヘルメスに嫌気が差し、私は席を立った。そして、そのまま部屋を出て行くべく扉へと向かう。

 もう二度とヘルメスと話はしないかもしれないな。

 そんなことを思いながらドアノブに手を駆けると、唐突に背後から迫ってくる気配がした。衣擦れや足音もし、私はようやく動いた小僧に溜息混じりに振り返る。

「なんだ? ようやく言いたいことが――」

 私がそう言い終える前に、私の口は塞がれていた。

「んっ?!」

 私の唇は非力で気弱な小僧に完全に奪われていた。情けなくも、私はその瞬間に固まってしまい、抵抗することもできず、成すがままに小僧にファーストキスを奪われ続けた。ヘルメスもまた、決死の覚悟で挑んだキスだったのだろう。目はギュッと瞑っており、顔は赤らめるというよりも、若干青い。しかし、私の手首や股の間に入れてきた足には力が篭められており、完全に私の動きを奪う覚悟でやってきていた。

「んはっ……はぁ……はぁ……」

 ようやく唇を離してくれたヘルメス。そんな彼に、私は思わずおろおろしながら

「な、何を……急に……」

「だ、だって……貴方は俺の妻だから! き、キスぐらい普通じゃないかって……」

「い、いや……でもさ……そ、そういうの、いきなりは……」

 私は性に似合わず顔を真紅に染め上げた挙句、汗まで噴出しながらうろたえていた。もう頭の中が真っ白で、何をどう話していいたら訳が分からなくなってしまっていた。下ネタ好きな小娘も、実際にやられるとパニックになるようだ。

「え、えっと……俺……頑張ります! アティナーデ様や、お母様の名に恥じぬ男になって見せます! こ、これはその誓いだと思ってください!」

 そういうと、ヘルメスは再び私の唇を奪ってきた。今度は私の首や背中に手を回し、激しく舌を絡めながら、私の体を扉に押し付けてもきた。私は情けなくもまた抵抗すらできず、されるがままに非力な小僧に蹂躙された。今日出会ったばかりの、しかも際ほどまで虫唾が走るほど嫌いだった男にファーストキスを奪われたわけなのだが、私は情けなくも赤面し、胸を激しく高鳴らせながら彼のキスを受け入れてしまっていたのである。

 やがて、再び唇が離れると、白い一本線が私とヘルメスの口元を繋いでいた。

「あ、アティナーデ……様?」

「――って呼んで」

「え?」

「だから、私のことはアティナって呼んで! 私は貴方の妻なんだから、敬称でなく、愛称で呼んで!」

 私はそう叫んで部屋を飛び出してしまった。ヘルメスもたいそう驚いた顔をしていたが、そのときの私もまた自分でも恥ずかしくなるぐらいの狼狽ぶりで、飛び出した部屋の扉に凭れ掛かりながら、廊下で立ち尽くしてしまっていた。

「う、うぅ……。こ、この私が……あ、あんな小僧のキスでメロメロにされるなんて……」

 まだ余韻の残る唇を摩りながら、私は悔しそうに顔を歪めた。だが、頬の赤みや、額の汗ばみ、激しい呼吸はいつになっても収まることは無く、私は沸きあがってくる恥ずかしさに、その場から大声を上げて逃走したい気分になった。唯一の救いは、そんな状態の私を見る人間は誰一人としていないということ。幸運にも、廊下を歩く近衛兵は、その時間帯はいなかった。

「で、でも……」

 私は唇をまた摩りながら……。

「わ、悪くなかったな……あいつのキス」

 などと馬鹿げたことを発し、ユラユラ左右に揺れながら廊下を歩いて自室に戻った。勿論、自室に戻ってもそのことばかりが頭を過ぎり、日付が変わって夜が更けても、尚、眠ること適わず、ベッドの上に寝転がってボーっとしてしまっていた。

「なによ……。男らしいとこも、しっかりとあるじゃない……」

 あの唇を奪った際に見せたヘルメスが発した言葉に、私はクスリと微笑を浮かべた。

「なら、しっかりと責任とって貰うんだから……」

 さもなくば、アルテミスにキスされたことを話そう。おそらく、次の日にはヘルメスは非業の事故死を遂げるだろうがな。また、そのことで奴を脅迫し、私好みの優秀な男になってもらうこともできる。ともかく、少しはヘルメスとの関係のことで安心できた。次は私の処女を奪ってくれることを祈ろう。できるかな、あの小僧に……。

 

 

 

 


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