最終章前編  戦争の果てに……。

 

 

 

 ジュピネル、サトゥル間の戦争は、その短い長さから『二週間戦争』と周辺の国家では言われている。その戦から早二ヵ月。事態は未だに混迷を抜け切れなかった。

 新たなサトゥルの女王として戴冠式を隣国のアースで受けたアルテミスは、不慣れな腕ながら、優秀な部下たちを駆使して早速、戦後処理に当たった。

まずは焼け落ちたタイタニアの復興。それに向けての軍団を編成し、一般市民やアースからの支援者とともに焼け落ちたタイタニアの都を再建させた。若い男手が数多く残っていたことが幸いし、タイタニアの街は急速に元に戻り始めた。

一方で、敗戦国であるジュピネルの再建にはフォベロス、ダイモス兄弟が向かわされた。先の戦争犯罪の裁判にかけられた彼らであったが、極刑に処せられたほかの者たちとは違い、彼らに責任はないとされてジュピネルの再建を命じられた。裏工作が無かったと言えば、そうではなく、彼らの優秀な腕を私がアルテミスに訴え、かくして終身刑から無罪放免へと動いたわけである。

ちなみに、私の兄弟も捕らえられていたが、彼らには有罪の判決が下り、あの王の間で捕らえられた者たちともども絞首刑に処せられた。つまり、あの王の間にいた面々で生き残ることができたのは、フォベロスとダイモスだけである。

フォベロスとダイモスは、偉大な父を失いながらも立派に指揮を執っていた。そんな彼らの手腕を目の当たりにしたサトゥルの指揮官たちは皆感心した。タイタニア奪還の大軍団を率いたオリエリスもまた、二人の見事な指揮に若さに羨みを起こしたほどだ。

いずれ、サトゥルの軍の中枢職に抜擢されるだろう。

 敗戦国のジュピネルは、その国家全てをサトゥル国に属されることになり、占領下に置かれることとなった。田畑や財産は全て没収され、戦功のあったサトゥルの軍人たちに平等に分け与えられた。が、そんな遠い田畑まで耕しにいくことは不可能で、ジュピネル人を小作人として使用し、農作物を育てさせている。取り分は半々ぐらいだとか。

人口の八十パーセント以上を失ったジュピネルは、敗戦国の宿命どおり、サトゥルの政策全てを容認するほかなかった。例え、それが国民を苦しめる無理難題であるとしても。

 また、深刻な男手の不足が顕著にジュピネルに現れていた。軍人としてタイタニアを攻めた五千人以上の男たちのほとんどが戦死したため、ジュピネルの男女比率は一対五。また、サトゥルと比べての総人口比は五対一と極めて少数となっていた。その人手不足の中で再建されたイオリアは、かつての華々しさを失い、ただの寂れた街のようになってしまっていた。そこに住む人々は、貧困とまではいかないまでも、毎日を何の希望も無く生きるほかなくなった。それに絶望し、命を絶つものも続出したが、サトゥルはそれに対し、何の処置も行わないことを決めた。 

 

 

 十二月一日。二週間戦争からおよそ三ヶ月。

 未だタイタニアの象徴だったマーズトラス城は再建されていない。私たちは燃え残った貴族の邸宅を拝借して、そこを拠点にサトゥルの再興指揮を執っていた。

早くしなければ大雪が舞う厳しい冬に突入する。我々は全力を上げて、住宅街の再建を最優先課題として工事を行わせていた。完成した家屋には、ひとまず家を失っている者たちを住まわせ、この冬場を乗り切るようにも命じてある。その辺は、助け合いをモットーにしているサトゥルの人々。皆、この命令を素直に受け入れてくれている。

「アルティ、食料の支援はどうなっている?」

「ええ。その辺はあの人に任せているので、問題は無いと思います」

「だが、アースばかりに頼っていてはダメだと思うぞ? あの国にも飢えている民は多くいる」

「ええ。よく存じています」

 主をあの戦争で失った貴族の邸宅。もう誰も住む人がいないこの邸宅を拝借した私とアルテミスは、応接室であった部屋でテーブルを挟んで向かい合っていた。傍にはヘルメスが控え、他にも生き残った貴族たちや、死んだ当主の後継となった者たちが丸椅子に腰を下ろして、私たちの話を聞いている。

「なので、あの方には別の国との交渉を命じてありますの」

「別の国? まさか、マキュリウスか?」

「フフ。食料が有り余っていそうな国です」

 と、アルテミスは私にすら隠しながら、ニヤニヤ笑って紅茶を飲む。国王となった彼女はいつもこの調子である。王女のときと変わっていない様に見えるのだが、しかし、国王としての自覚はきちんと芽生えていた……多分。

 しばらく打ち合わせをしていると、コンコンとドアがノックされる音がする。

「ええ。開いています」

 とアルテミスが穏やかな声を上げると、扉が開かれる。すると、フェルセポーネに負けず劣らずのゴージャスなロールヘアをした煌びやかな女が応接室の中に入ってきた。

「結果はどうでした?」

 アルテミスが目配せもせずに尋ねると、その女は私の隣に腰を下ろして

「ええ。万事上手く行きました。数万トンの食糧支援をしていただけるそうです」

「で、見返りは?」

「関税の撤廃だそうですが、断りました」

「まぁ」

「代わりにアースを貿易拠点として一定率での関税を課すことを提案しました。これは、セントラル大陸のドネッシュとミード、メルクという三ヶ国で行われている共同貿易を模したものです。こうすることで、関税は抑えられ、物資は円滑に三国に行き渡ります。また、貿易拠点となるアースには莫大な人と物資が留まるわけですから、あの国の経済も潤うでしょう。それを餌に、アースからの更なる人員と食料の支援の話も結び付けました」

 そう言う二人に対し、そっちのほうはてんで駄目な私は頭に疑問符を浮かべる。

「おいおい、私を除け者にしないでくれよ。一体、どういうことなんだ?」

「お馬鹿なアティナ様に言っても無駄でしょう」

「そうそう。アティナは戦いの指揮だけしていればいいの。こっちはお姉ちゃんに任せなさい」

 そう。私の隣に座ったのは新聞記者であったアフロディテである。彼女はその類まれな才覚を評価されて、今では宰相の地位にまで出世していた。政治には関わらないと決め込んでた彼女ではあったが、すっかりその考えは消滅し、今ではアルテミスと、私との誓いを守るために政治の世界に密接に関わるようになった。彼女は豪華なドレスに袖を通し、ボサボサだった後ろの髪を綺麗に巻いた姿で、私の隣に座っている。

「お前ら……。じゃあ、細かいことはいい。どの国と協定を結んだんだ?」

 私が訪ねると、アルテミスはクスクス笑って立ち上がり、応接室の壁に大きく貼られているウエスト大陸の地図へと歩んで

「私が狙いをつけたのはこの国です」

 アルテミスはそう言うと、北東にある巨大な国をポンと指差して笑った。

「ど、ドラシルか?!」

 思わず私が席を蹴って立ち上がると、貴族たちもザワつき始める。ヘルメスも同様だ。

「そうです。サトゥルの十倍もの国土面積を誇るドラシルと、同盟を結ぶことにしました。ドラシル、アース、そしてサトゥル。この三カ国が連携して、オリンピアヌス地方再編に今後は動くことになります。その辺も、フロディアさんにお願いしてあります」

 私がアフロディテを見ると、彼女はニッコリ笑って

「ドラシルと同盟を結べたので、今度はガリア地方へ目を向けようと思います。サトゥルの南東にあるガリア平原。その先にある工業国家アトランティス。そこと同盟を結べれば、さらに大いなる発展を遂げられると信じております」

 ドラシル……アトランティス……。私からは想像もできないような超大国の名が挙がってきた。

ドラシルは北東のユグドラシル地方を全て治める大帝国だ。帝国ながら、近隣諸国に侵略活動をしない珍しい国で、サトゥルとは何かと付き合いがあった。アフロディテが悲劇に巻き込まれることになったアースでのクーデター事件にも、支援として軍を送っている。

国力はかなり豊かであり、ドラシルが本気で侵略活動を行えばオリンピアヌス地方全てを制圧できるとまで言われている国家である。それをしないのは、してもメリットがないからだとか。むしろ、国土拡大は異民族を国民にすることとなるため、長期的政治の過程で反乱や余計な争いの火種を生みかねない。ジュピネル、サトゥルの例を見ればそれも頷けるだろう。元々一つの国家だった両国は民族同士の対立によって分裂し、戦争となったのだから。

また、アトランティスは南東にある工業大国で、数多くの機械産業を駆使して発展している国家である。そこも、他地域への侵略活動は見られず、内需産業のみで発展している凄まじい国であった。

確かに、この二カ国と同盟を結べれば、サトゥルやアースにしてみればいいこと尽くめだが、果たして、ドラシルとアトランティスにはいいことがあるのだろうか。二カ国とも食うには困らない国家である。そんな国にどんなメリットがあるのだろうか。侵略されないという理由のためだけに、同盟を結ぶのだろうか。

 私が疑問符を浮かべていると、アフロディテはヘルメスから受け取った紅茶を飲みながら

「アティナ。アトランティスには海があるのはわかるわよね?」

「え、ええ」

「ドラシルにも海はある。でも、夏場以外は凍り付いて満足に船が出せないの。魚は夏場しか食べられない貴重品。そこに、アトランティスで獲れた魚が流れるとしたら、果たしてどうなるかしらね」

「あ!」

「魚の運搬にはどうしても、サトゥルを通らなくてはならない。その魚に割りと高めな関税をかけてもドラシルは欲しがるわ。魚は貴重な動物蛋白源だもの。ドラシルは夏場しか食べられなかった魚が得られるし、アトランティスは魚の原価で儲かるし、サトゥルとアースは関税で儲かる。しかも、その輸出入は夏は行われないから、魚が輸送途中で腐るようなこともない。安全かつ確実に利益が得られるシステムが構築できるのよ。それもちらつかせて、ドラシルを同盟に引き込んだわ。アトランティスからも、すでに前向きな返事はいただいているの」

 な、なんて女だ、この人は……。

「流石はフロディアさんですね。貴方を宰相にして正解でした」

 アルテミスはフフフとお上品に笑ってみせる。貴族たちも歓声を上げた。

「陛下にも申し上げておりませんが、実は、この同盟には更なる利点がありますの」

 そう言うと、アフロディテはティーカップをテーブルに置き、地図へと歩む。

「ドラシルは主に野菜を主食としている国家です。冬でも安定して取れるのが野菜ですからね。その質はとてもよく、美味しいと評判で、ドラシルにしても貴重な輸出物資となっております。その貿易相手は主にアースとサトゥルですが、その野菜を、更に西の国へ輸出したらどうでしょうか。たとえば、ジュピネルやエリス、さらには北西のプルート。特に、エリスやプルートには海がありますから、そこで取れた魚をドラシルへ運ぶこともできるようになります。そうなれば、中継地となるサトゥルは人や物資が溢れるので、飲食業や宿泊業などでも大いに経済効果が見込めます。また、色々な国の文化が入ってくるので、その方面での発展も可能になります。結果的に、武力を使わずにオリンピアヌス地方の統合がなされることになるんです」

「オリンピアヌス地方の統合……ですか?」

「ええ。サトゥルはその中心となる。いわば、サトゥル連邦という共同体が構築されることになりましょう。それはほかに例を見ない、戦争で生まれない共同体ということになります。きっと、世界政府も注目するでしょうね」

 それは、話だけ聞けば大変凄いことだ。このアフロディテは、武力を使わず、テーブルの上だけでサトゥルを世界に広めようとしている。領土は戦争で以って獲得するのが定石のこの世界において、一切の武力行為を行わずに影響力を広げられるとしたら、タイタニアや、イオリアで死んだ人々のような悲しい運命にあった人々がいなくなるということだ。

「上手く行く見込みがあるのですか?」

 アフロディテにアルテミスが尋ねる。すると、アフロディテは喜色満面

「任せてください。まぁ、放っておいても、西側諸国から勝手に声がかかるでしょうけどね。とにかく、今はアトランティスを引き込むことに全力を集中します。アトランティスが靡いてくれないと、夢物語に終わってしまうので」

「ええ。よろしくお願いします」

 アルテミスも満足そうだ。しかし、こんな逸材を前政権は放置してたのか。勿体無いといえば勿体無いような気もする。

 午前中の会議はそれで終了となり、昼食を済ませた後、私はヘルメスとともに街の巡察に出ることになった。頭を使って活動するのがアフロディテならば、足を使って活動するのが私アティナーデである。

「しかし、お姉様は見事だったなぁ」

「ええ。俺も話を聞いて吃驚しましたよ……」

 貴族の邸宅を出た私たちは横並びで通り沿いを歩いていく。一応、サトゥル政権の中枢の人間ではあるのだが、私たちを守る護衛兵も、付き従う侍女もいない。余計な人員は省き、皆々をタイタニア復興へと回していた。街のいたるところから、カンカンという金槌の小気味よい音が響いてきていた。

「私も負けてはいられない。きっと、この街を立派に再建させて、マキュリウスを討伐してみせるさ」

「そのときは、俺もついていきますよ。何が出来るかは、まだわかりませんけど」

「傍にいてくれさえすればいいよ。お前がいてくれるだけで、私は戦えるんだ。お前は立派に私の補佐官として役立ってくれている」

「ありがとうございます」

 ニコッと笑うヘルメスに、私は柄にもなくドキッとしてしまう。日に日に高まるこの気持ちは、抑え込むのがとても辛いくらい。彼にもっともっと甘えたいと思ってしまう私だが、皆が頑張っているのに一人だけ弱いところは見せられないと、必死に自我を保って彼と接していた。夜もそうだ。貴族の邸宅を借りているため、城と比べると部屋数は圧倒的に少なく、私はヘルメスは勿論、アルテミスとも相部屋生活を送らねばならなかった。彼女の前で弱弱しい姿は見せられないと、いつもどおりに振舞っている。

「で、今日はどこを視察するんです?」

「ん? ああ、その辺はアルテミスから指示を……はぁー」

 私はアルテミスから受け取った視察のルートをいて嘆声をこぼした。

「ど、どうしたんですか?」

「いや、今日の視察ルートだが、まずは王城前広場だな。その周囲の住宅建築の進捗状況をチェックしに行く。その後……タイタニア教会……」

「あぁー……なるほどぉ」

「あのおばさんに、会いに行かなくてはならんのか……」

「そう言うこと言うと、本気で何かされますよ、アティナ様。いいじゃないですか、メティシア様とディオネ様に会えるっていうことで」

「それはそれ。これはこれだ」

 私はアルテミスからの書状をクルクルっと舞い上げると、紐できちんと結んだ。アルテミスは正式にサトゥルの国王になったため、彼女から貰った書状は全て、丁重に扱わなければならなくなった。なので、奴の恋文さえも私は丁寧に包んで保管している。以前はどうしようが私の勝手だったのだが……。

 ヘルメスと、毎日のように工事が進むサトゥルの町並みを眺めながら歩いて暫くすると、タイタニアの南側にある王城前広場へと辿りつく。そこからマーズトラス城へは坂道を、門へは南へ伸びる通りを直進すればいい。そのため、一際華やかに作られていたはずの王城前広場だが、今ではあの戦災の傷跡を生々しく残していた。

 広場を取り囲むようにして存在していた店は全て焼失し、広場に堂々と置かれていた噴水はところどころに血の跡をくっつけている。話によれば、この噴水の中に何人もの死体が入っていたそうである。その王城前広場の焼失した店を、今はホテルや大きな店として再建中である。

「おい、アティナ様とヘルメス様だ!」

「ああ、今日はここを視察なされるのか……」

「まぁまぁ。ほんと、お美しい方だわぁ」

 私たちが王城前の広場を視察していると気づいた市民たちが瞬く間に私たちの周りに集まってくる。私たちが視察をするといつもこうだ。英雄となったための扱いであるが、正直、悪くない気持ちである。だから余計に見栄を張ってしまうので、愚かだった。

「工事のほうは順調か?」

 私が現場の監督責任者を呼び寄せて訪ねると、元軍人の彼はペコリと頭を下げ

「ええ。予定通りには仕上がりそうです」

「そうか。もう厳しい冬になる。内装はどうでもいいから、家を失った人々が冬を越せるように外観がけでも完成させてくれ」

「了解です」

 私は頷いて四階建のホテルを見上げた。その隣には二階建ての商店、その隣もだ。

「いずれ、サトゥルは大いに賑わう。そうしたら、ここはサトゥルの顔となって、一番活気が見込まれるポイントだ。恥ずかしくないような工事を頼むぞ」

「バッチリですよ、アティナーデ様」

 現場監督はニッと頼れる笑顔を浮かべていい声を上げた。私も満面の笑みを浮かべてそれに応える。隣に立つヘルメスも嬉しそうだ。

「それじゃあ、安全第一、だがスピーディに頼む。また数日後に進捗を聞きに来る」

「ええ。お待ちしております」

 ペコリと頭を下げる監督責任者に、私は軍人らしく、ビシッと敬礼をして返礼とした。そして、私の姿を見に集まってきた民たちにも顔を向けて

「皆。もうすぐ雪が降る季節になります。どうか、作業のほうをお願いします。家を失った人々のために、住宅の再建が必要不可欠なんです」

 と、私が言うと、

「おう! アティナーデ様にそう言われちゃ、仕事場に戻るしかねぇな!」

「そうだねぇ。今は皆で協力して乗り切るときだし」

「行きましょう皆さん!」

 集まった民衆はそう言ってゾロゾロと自分の持ち場へと戻っていく。私はそんな彼らにもきちんと敬礼をして、王城前広場を後にした。

 さぁ、ここからが本番であり、憂鬱な時間の始まりである……。

 王城前広場を通り過ぎて西側へと向かう道を進む私たち。そこでも、民たちの反応は変わらずだったが、私はそんな彼らに手を振り、励ましの言葉をかけつつも、目前に迫ってきている巨大な塔を認識して、気分が滅入ってきた。

「てぇい、我が名は紅玉の剣士アティナーデ!」

「私は白玉の剣士アルテミスぅっ!」

「あらあら。じゃあ私は、キンタマの剣士アフロディテかしらね?」

 …………おい、コラ。

 巨大な塔の前で立ち止まった私は、こめかみに青筋を浮かべて手を握り締めていた。その私の目の前では、紫色の修道服に身を包んだババアが、小さな女の子たちと遊んでいる姿がある。

「ズルいぞぉ、何で女ばっかり強い人なんだよぉっ!」

「むぅぅ……仕方ないよぉ、男で強い人なんていないんだもん……」

 と、女の子たちのやられ役となっている男の子たちが不満をこぼしても、私はヘルメスに決して同情心は持たず、眉間に皺を寄せてその修道女に後ろから蹴りかかった。だが、このババ……もとい修道女は、まるで私の蹴りがわかっていたかのように身を翻して宙を舞うと、何度も宙返りをして石畳の上に着地して見せた。

「うぉ、シスターすげぇ!」

「お姉ちゃんカッコいい!」

 と、子供たちの心を掴んだようだが、私はそんなこと気にせず、修道女のほうを向く。

「もぉ。いきなり蹴るとはご挨拶ねぇ、アティナちゃん」

「うるせぇ。視察に来てやったんだ」

「ついこの間来たばかりじゃないのぉ。大して変わってないわよ」

 そう。私の目の前に立っているのは紫電の戦乙女として名を馳せた武人であり、ジュピネルの皇后であったヘラである。彼女はあの後、修道女としてサトゥルの教会に入門し、今は息子のハディスやフェルセポーネ、我が母メティシアやアフロディテの母ディオネらの冥福を祈っている。

「あ! アティナーデ様だぁ!」

「すっげぇ、本物だぁ!」

 と、少年少女たちが目を輝かせて走ってくるので、私は怖い顔を一変させ

「皆ぁ。あのおばあちゃんに変なことはされてないかなぁ? ダメだよぉ? 知らない人、怪しい人には決して近寄らないこと。それがたとえシスターであっても」

「えぇー? でも、お姉ちゃんいつも遊んでくれる人だし……」

「しかもすっげー強いんだぜぇ! この前なんか、素手で酔っ払いを追い飛ばしたしな!」

 ほぉ。

 私がギロリとヘラを睨むと、ヘラは満面の顔を浮かべてVサインを向けてくる。

「はぁー。分かった分かった。でも、一つ訂正させてほしい。キンタマの剣士アフロディテではなく、金玉(きんぎょく)の剣士アフロディテだからな? 間違えるんじゃないぞ?」

「分かってますよぉ、アティナーデ様。キンタマっていうの、あのお姉さんだけだし」

 おいコラ。

 私がまたまたギロリとヘラを睨むと、ヘラはポッと頬を染めて身をくねらせた。更年期入ってんだろぉ、お前。何まだ欲してやがんだ。

「それと、可愛い女の子がキンタマキンタマ言うものじゃありません。男の子であってもダメです。いいね?」

「「はぁーい」」

「じゃあ、私はちょっと、あのおばあちゃんにお話があるから、少し借りるわね?」

「「はぁーい」」

 子供たちは眩い笑顔を浮かべて走り去って行った。その去り際、私は安堵の笑みを溢す。万が一にでも二週間戦争の勝者がジュピネルであった場合、あの子達は皆奴隷として売られていたはずである。それを救えたことをこうして見ることができると、それはとても嬉しかった。

「ねぇー、アティナちゃん? おばあちゃんは流石に酷い言い草なんじゃなくてぇ?」

 嬉しさに微笑していた私の背後。音も無く立ったヘラの一言で、私は背筋に悪寒を走らせた。

「じ、事実だろうが。もう四十三だろ?!」

「あら。まだ四十三よ? フフ。でも、皆年齢言うと驚くのよねぇ。二十代にしか見えないって言われちゃって。ウフフ」

「ああ、そうかよ……」

 だが、どんなに外見は若くても、中身は老化してるんだろうが。

「で、アティナちゃん。せっかくここに来たことだし、お墓参りしてくでしょ? ヘルメス君もいらっしゃい」

「は、はい」

 ヘルメスはビシッと直立不動のポーズから、覇気のある声を上げた。

「フフ。相変わらず、可愛い男の子ね。食べちゃいたいくらい」

「冗談は顔だけにしておけよ、ババア」

「まぁ、口が悪い。そんなんじゃ、民に嫌われちゃうぞ、アティナちゃん」

「うるせぇ」

 それもこれも、お前の粗暴が悪いからだ。修道女の癖に酒は飲むし、男は引っ掛けるし。どうしてこんな人を神父様が修道女として認めたのか、私には理解できないところではある。

 サトゥルにあった世界宗教の教会。マーズトラス城の円形ドームすら越える高さを誇った大きな塔が特徴であったのだが、二週間戦争で半分に折れ、それが大聖堂ごと粉砕してしまったので今では、半壊した大聖堂と、半分になった塔が並ぶ教会へと姿を変えていた。ジュピネル軍が率先して神父と修道女の救出を行ったため、死傷者は無かったものの、この惨状には流石の神父も落胆したという。

 アルテミスの再建計画によると、宗教施設は再建の優先度を低く設定されている。半分に折れた塔の再建はマーズトラス城の再建とほぼ同時期になることが予想され、今は修道女たちが暮らすための区画がきっちり再建されたに留まる。神に祈る大聖堂は屋根を失い、雨風が直接に吹き付ける場所となっていた。

 私が視察するのは、その優先度が低い宗教施設を、民たちに再建させていないかである。世界宗教の権威を傘に、やるべきことすら放置させて再建させているようなことがあれば、それはアルテミスがきちんと是正措置を取ることになっている。まぁ、私はその辺の心配はないと確信はしているが、念のためだ。

 ヘラに連れられた私とヘルメスは、崩壊した大聖堂の横を通って、その裏手にある貴族専用の墓地へと足を踏み入れた。そこにハディスやフェルセポーネ、メティシアにディオネらが眠っている。墓地として使える土地があまりにも少ないため、どうしても上流階級の人間が占有してしまって、庶民たちは先祖代々の遺骨を自宅で供養するほか無かった。

 ジュピネルで見たような十字架の墓標が三十メートル四方に立ち並び、やはり、プレートのみで埋葬された人を判断しなくてはならなかった。

「メティシア。貴方の大切な娘が来てくれたわよ」

 ヘラはそう言って、墓地の真ん中辺りに聳える墓標の前に腰を下ろし、優しい声で親友に語りかけた。一方、私とヘルメスは揃ってヘラの後ろから敬礼する。

「母上。サトゥルの空気にはもうなれましたか? どうか、天からこのサトゥルの復興をディオネ様とともに見守っていてください。このアティナ、母の名に恥じぬよう、今後もよりいっそうの努力をしていく所存であります」

 ここに埋葬できて、本当に良かったと私は思う。残念ながら、彼女が愛した男、アイレスの遺骨はフォベロスとダイモスの嘆願によってジュピネルに埋葬されることになった。でも、ここにはその男の次に大切に思っていた親友が二人もいる。三色の戦乙女が改めてここに集結したのである。それは非常に喜ばしい。

「アティナちゃん。きっと、メティシアもあの世で喜んでくれているはずよ。だから、これからも頑張って勤めを果たして頂戴。私たちはここで、貴方たちの活躍を見守っているから。フフ。不思議な気分ね。今までメティシアやディオネに会いたい気持ちすらなかったのに、何かあるたびに私はここに座っては、二人に話しかけている。そうさせてくれたのは、貴方たち。感謝しているわ」

「ヘラ……」

「ハディスもフェルセちゃんとあっちの世界でよろしくやっていることだろうし、死んじゃったけど皆は今、幸せなんだと思う。ねぇ、この世界に神はいると思う?」

 ヘラは小さめな声で私に尋ねてきた。

「……さぁ。いるのだとしたら、人を争わせる真意を是非問いたいね。人と人が憎しみあって殺しあう。そんな悲しい試練を、神はどうしてお与えになるのだろう。皆が仲良く暮らしていける世界こそ、最良だと思う」

「そうね。私は、ここで祈りながら人生の最後まで、その最大の疑問を考え続けると思うわ。そして、死ぬとき、ここで眠る友や息子たちと再会できることを強く願うのだと思う」

「あんたはそう簡単には死なねぇよ。何せ、お姉様の毒でも死ななかったんだしな」

「フフ。あれは偶然の結果よ。もうちょっと深ければ確実に死んでいたわ。でも、私は生かされた。それはきっと、貴方たち三色の剣士たちの行く末を見守るように、メティシアやディオネに任されたからだと思う」

「……かもしれないな。何せ、お前は変態だからな。あっちの世で平穏無事に過ごしている母たちが大迷惑する。だから、追い返されたんだろう」

「もぉ」

 ヘラはそう言うと、スッと立ち上がり、私の前に歩んできたかと思うと、私の頭に手を当ててそのまま胸へと抱き寄せた。

「ちょ、ヘラ?!」

「辛くなったら、いつでもここに来なさい。私は貴方のお母さん代わりに悩みを聞くぐらいはできるはずだから」

 柔らかかった。修道服に包まれていても、ヘラの胸は私やアルテミスのそれより柔らかく、暖かかった。まるで、赤子を包む布のような心地よさで、私は思わず彼女の胸の中で目を瞑って、その温もりを堪能していた。その後ろで何も言わず佇むヘルメスも、優しい微笑を私に向けていた。

「アティナ様は毎日毎日頑張りすぎなような気がします。フロディアさんが大活躍をしているから、きっと負けたくないって思ってるんでしょうね」

「そうらしいわね。凄いらしいじゃない、フロディアちゃん」

「ええ。でも、アティナ様も良く頑張っておられます。民たちは、フロディアさんよりも、アティナ様を敬愛しております。それは、アティナ様が民のことを第一に思い、何かと心配しているからでしょう。その優しさが民に伝わり、彼らもアティナ様を好きになっている。慈愛に満ちた人だから、アティナ様は。だからこそ、最近は無理をしているんです。息つく間もなく、視察をしたり、民たちから話を聞いたり。夜は夜で姉様や他の者たちの相談に乗ったりして……」

 ヘルメスの嘆声とも、尊敬とも聞こえる言葉を聴いたヘラは私の後頭部を撫でながら

「へぇ。じゃあ、貴方に甘える時間もないのね?」

「はい。って、いえいえ! 私が甘えさせて頂く時間が……」

「フフ。貴方、よっぽどアティナちゃんが大好きなのね。相思相愛で羨ましいわ。でも、その割にはまだおめでたとかの話は聞かないわね。きちんと子作りしてるの?」

「え?」

「ひょっとして、まだ何もしてないの?」

「そ、そもそも……子供を作るのって、どうするんですか? 強い愛に結ばれていれば、自然と出来るものかと思っていたんですが……」

 ヘルメスが素直にそう打ち明けると、ヘラは頭を抑えてしまう。

「前途多難ね、アティナちゃん……って、あら?」

「どうかしましたか?」

「アティナちゃん……眠っちゃってる」

「えぇ?」

 私はヘラの暖かな胸が心地よくて、ついつい寝息を立ててしまっていた。毎日毎日忙しく、気が張っているから質の良い睡眠はほとんど取れなかった。そのせいもあって、私は珍しく、ほんの僅かな時間で熟睡してしまっていた。

「フフ。そんなに私の胸が気持ちよかったのかな? とりあえず、起こすのは可哀想だし、ヘルメス君。一緒に私の部屋に来なさい」

「え、ええ。分かりました。でもいいのかな、これからの予定が……」

「そんなの、放っておけばいいわ。このままじゃ、アティナちゃん過労で倒れちゃうわよ? そんなの嫌でしょ?」

「も、勿論!」

「じゃあ素直に従いなさい。それに、貴方には教えることがあるから」

「え?」

 不敵な笑みを浮かべるヘラは、鎧を着こなした私を軽々と負ぶさると、ヘルメスとともに大聖堂の中にある、修道女のための宿泊施設へと入っていった。狭いながら、そこでは個室が割り当てられており、一人が寝るには十分なベッドや、簡単な机なども揃っていた。ヘラはそのベッドの上に私を寝かせると、自身はヘルメスとともに椅子に座る。

「貴方に子供の作り方を教えてあげるわ。いい? よく覚えておくこと。いいわね? 貴方がアティナちゃんとの間に子供を作らなければ、サトゥル王家はアルテミス様で途絶えることになるわ。心して、恥ずかしがらずに覚えなさい」

「は、はい。よ、よろしくお願いします」

 まったく知識の無いヘルメスは、ビクッとなって、強張った表情を浮かべるが、一方でヘラは仄かの頬を赤く染め、どこか興奮した様子で偉そうな言葉を並べた。

 

 

一時間後……。

「んぅ……。ふぁーあ。って、いけない! 寝ちまったって、ここどこだ?!」

 目を覚ました私が飛び上がるようにして上体を起こす。見慣れない天井に見慣れないベッド。見慣れない部屋で眠っていたことに気づき、私は驚くが、すぐ傍に視線をやるとヘルメスとヘラが椅子に腰を下ろしていた。

「目覚めてすぐのハイテンション、さすがね、アティナちゃん。ここは私の部屋よ?」

「あ、そうか……。私、ヘラに抱きしめられて眠って……。悪かったな」

「いえいえ。いいのよ。ストレスも発散できたしね」

 あれ? こいつ、いくら若くてもこんなにツヤツヤしてたっけ?

 と、私がヘルメスのほうを向くと、ヘルメスはカッと赤面して肩を萎縮させた。

「それより、貴方が眠って一時間ほど経ってるのだけど」

「何っ?! やべぇ、次はお姉様と大事な会議があったのに!」

 私は慌てふためきながらベッドから飛び出ると、ヘルメスの手を引っ張って

「すまなかったヘラ! またいずれ!」

「ええ。いつでも待ってるわ」

 ニコッと笑うヘラに私も最後は微笑み返した。一方で、ヘルメスはぎこちない頷きをヘラに対して返している。

 ドタドタと階段を駆け下りた私たちはヘラの同僚たちにも頭を下げつつ、急いで大聖堂を出ると来た道を戻って拠点へと戻る。その間、ヘルメスは一言も言葉を発さず、私の手をギュッと握って走っていた。

「はぁはぁ! お姉様っ、遅れて申し訳ございませんでしたっ!」

 息を上がらせて貴族の屋敷に戻った私とヘルメスは、応接室に入り、そこで座っていたアフロディテに真っ先に謝った。だが、ゴージャスロールヘア姿のアフロディテは優雅に紅茶を飲んではクッキーを頬張っている。

「ええ。おかえりなさい、アティナ」

 応接室には彼女一人。アルテミスは彼女の書斎で彼女自身の仕事をしているという。

 とりあえず、私とヘルメスはアフロディテの向かいにあるソファーに腰を下ろした。

「貴方が約束の時間を三十分もオーバーするとはね」

「す、すみません、お姉様……。なぜなら――」

「理由は言わなくていいわ。貴方の顔を見れば、理由はわかるから」

「え?」

 私が自分の顔を触って見ると、アフロディテはクスクス笑い

「貴方、どこかで眠っていたんでしょう? 今朝と比べて顔から疲れが取れてるから」

「あ……。わ、わかりますか?」

「ええ。これでも貴方の姉よ?」

「えへへ。実はヘラのところでちょっと……。あのバ……いえ、ヘラに抱かれているうちに眠ってしまって……」

「珍しいこともあるものね。貴方、あんなにヘラさんを避けているのに……」

「ええ。でも、不思議な気分でしたよ。抱きしめれていると、まるで母のような暖かさが沸きあがっていて……心地よくて」

「それはそうよ。ヘラさんは私たちの母の親友で、あの人自身、私たちの弟の母なんだもの」

「あ……。なるほど」

 私はポンと手を叩いて納得した。母であった人だからこそ、あの温もりを持っているのか。では、私が母になれば、あのような温もりを抱擁した相手に味合わせることが出来るということなのだろうか。いや、そうではないだろう。母として長く勤めたからこそ、あの温もりが出せるに違いない。そうなるためには、私もきっと何年も何年もかかってしまうだろう。

「それで、お姉様。今回の議題については――」

「ええ。それはね」

 アフロディテはにこやかな顔をして書類を私たちに向けてくる。そこにはサトゥル軍の新編成に関する文が記載されていた。

 こうして、私たちはいつもどおりの時間を過ごしていく……。

 

 

 

 

 


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