第十五章  伝えられる真実

 

 

 

 ガリレウス城を包み込んだ炎は数時間燃え続け、夜明け前には収まりを迎えた。ガリレウス城はそのほとんどの建物が崩壊し、灰燼に帰した。一部、残っているようだが、再建は難しいだろう。新しく作ったほうがまだ早い。

「アルテミス、被害の状況はどうだ? グラウコーピス軍にはどれほどの規模で被害が出ている?」

「ええ。戦死八十七。負傷四五。残存兵力千百二十六です」

「八十七か……。百に達しなかったのは予想以上だ。見事だぞ、アルテミス」

「えへへへ」

 イオリアから北へ二百メートル。グラウコーピス軍は一度そこで野営を決めた。捕虜となったジュピネルの兵や民たちの監視もさせながら、私はアルテミスや上級仕官らとともに戦いの被害などを取りまとめていた。その中で、フェルセポーネの裏切りを知った。

「そうか。あの狸娘、やはり……」

「ええ。でも、もう過去のものです。きっちり、私が仕留めました」

 アルテミスは雑草の上に腰を多し、ボロボロになったロングスカートの上で手を握りながら答えた。だが、その顔は酷く悲しみに染まっている。誰だって、血を分けた肉親を殺すのは嫌なものだ。しかも、アルテミスのような慈愛に満ちた優しい女の子ならば特にだ。

「アルテミス、よくやった」

「……はい。ありがとうございます」

 私はポンポンとアルテミスの後頭部を撫でながら笑ってやった。

「姉様。お茶でも淹れますか?」

 ヘルメスがそう尋ねると、アルテミスは何を思ったのか、私の手から離れ、笑顔を浮かべていたヘルメスの腕を引っ張って、そのたわわに実ったメロンのようなデカ乳に抱き寄せた。その瞬間、メイスの顔がアルテミスの胸を支えている鎧にぶつかったらしく、ガンという鈍い音がした。

 私や士官たちは、頭を抱えたり、苦笑したりしてヘルメスの不運を嘆いた。

「メイス……。もう本当にこの世界では貴方だけが唯一の肉親になってしまいました……。だから、どうかこれから先死ぬようなことはしないで。貴方にまで死なれたら、私……もうどうしたらいいか」

 そう言って、豊満な胸に抱かれているヘルメスを、世の男たちは羨ましく思うかもしれない。だが、しかし、けれども、私はヘルメスのことが可哀想でならなかった。

「おい、アルティ。そろそろメイスを離してやってくれ」

「え?」

 と、アルテミスが腕を離すと、ヘルメスは真っ赤な血を鼻から噴出しながら崩れ落ちた。

「きゃあ! ど、ど、どうしたのですかメイス?! ま、まさか……私の胸に欲情して……まぁ」

「いや、ちげぇよ……」

 そして、なんで嬉しそうに頬を赤く染める? 

 ヘルメスは衛生兵によって、可哀想なことに、担架に乗せられて運ばれていった。

「メイスも……男の子ですもんね。姉とはいえ、女性の胸とか触ると、興奮してしまうのでしょう。ま、まぁ、母を失ってしまったわけですし、これからは私がメイスのお母さんであり、お姉さんですから、胸ぐらいは許して差し上げましょう」

「はぁー。お前のその天然さ、時には凄く羨ましく思うぜ」

「ほぇ?」

 ああ、もうこっちを見て笑うな。ニヤけるな。ムカつく。

 報告会議はそれから少しばかり続き、捕虜たちの今後の扱いや、どういうルートでタイタニアに戻るかが話し合われた。先の戦いで得た捕虜の数は総じて二百五十名。他にもイオリアの災禍から逃れようと、都外に非難していた市民たちも数多くいるらしく、彼らは難民として、国際法に則ってきちんと扱うことが決まった。そこで、彼らを集めるべく、グラウコーピス軍は小隊を編成して、イオリア周辺の捜索に向かうことになった。ただ、ジュピネルの同盟国であったマキュリウスへ逃げ延びようとする可能性もあり、その際は捨て置くようにも伝えておいた。

 だがいずれ、マキュリウスは討伐しなければならない。

「ふぅ。今日はいい天気だ」

「ええ。まったくです」

 会議終了後、私たちは大きく背伸びをしながら草原の上を歩く。見上げる空は透き通るような蒼さで、雲がゆったりと流れていく。イオリアからの煙もあまり立ち上っておらず、その黒煙が空を汚すようなことがなかったからであろう。

「アティナー。アルテミス様ぁー。会議は終わったのかぁい?」

「も、もう少し安静にしてないといけませんよ、フロディアさん!」

 雲を眺めながら草原を歩いていると、包帯で肩や腹、足をグルグル巻きにされたアフロディテが、それでも満面の笑顔を溢し、愛弟子のヘスティアとともにこちらへとやってきた。

「お姉様、怪我の治療は大丈夫なのですか?」

 と尋ねると、アフロディテは白い歯を見せて

「ええ。こんなんでへこたれるようじゃ、特A中隊の隊長は務まらないわよ? 兵士にとって怪我は何?」

「フフ。勲章です」

「その通りよ」

 ニッと歯を見せたアフロディテは私の肩に手を回して

「これから、新しい時代が始まるのね」

「ええ。アルテミスともども、頑張って見せますよ。な、アルティ」

「はい! アティナ様と一緒ならば、私、きっと頑張って見せます! ティアも少しでいいから協力してね?」

「はい! 私、何が出来るかわからないけど頑張ります!」

「フフ。その意気です」

 いい笑顔だ。この笑顔こそヴァージンクィーンとして必要な顔だ。昨日のような、眉間に皺を寄せたアルテミスの顔など見たくは無い。こいつはこうして太陽のようにまぶしい笑顔を浮かべているのが一番いい。

「ふぅん。じゃあお姉さんも、ちょっとだけお手伝いしようかしらねぇ?」

 不意に私たち三人で笑いあうその背後から、艶かしい女の声が聞こえてきた。

「「「え?」」」

 私たちが同時に振り返ると、私たちの至近距離に紫色の露出激しい服を着た女が、妖艶な笑顔を浮かべて立っていた。長い髪や鎌状のアホ毛。その姿を、私は忘れはしない。忘れたくても忘れられない。

「へ、ヘラっ?!」

 それは三色の戦乙女最後の一人、紫電の戦乙女ヘラだった。

「お、お姉様……仕留めたんですよね?」

 私がアフロディテのほうを白々しい目をして見ると、アフロディテは顔を青ざめさせて

「い、いや! 私は倒したわよ! きちんと動かなくなるのを見届けたし! な、なんで生きてるの、貴方?! もしかして幽霊?!」

 と、アフロディテが問うと、ヘラはにこやかな笑みを浮かべて

「いやぁー。向こうの世界でディオネとメティシアに『お前だけは絶対に来るなぁー!』って言われちゃってさぁーあ。仕方が無いから泣く泣くこっちの世界に戻ってきちゃったってわけ」

 ああー、あんたなら言われてしまいそうだな。確かに。うん、納得。

「ってーのは冗談。ほんとは、貴方から受けた毒が致死量に達しなかっただけだと思う。私が動かなくなったのは、神経毒のせいで仮死状態に陥っていたからでしょうね」

「ま、また勝負する気?!」

 アフロディテは拳ながらにヘラへ向ける。ヘラはヘラで帯刀はしていなかった。

「いいえ。どんな形であれ、私は貴方に負けた。だから、もう紫電の戦乙女は引退。それに戦争は終わったんだし、ここで貴方と戦う理由はもうない」

「そ、そう……よかったぁ」

 ホッと胸を撫で下ろすアフロディテ。私たちも安堵の溜息をこぼす。正直、今三人がかりでこの女と戦っても、きっと今の状態で勝利することはできないだろう。アフロディテは重傷で、アルテミスも私も剣を置いてきてしまったのだから。それに、このヘラは徒手空拳も使える。殴り合いで私が勝てたことは一度も無い。

「ねぇ、アティナちゃん」

「な、なんだよ……」

 ヘラがにこやかな顔をしてこちらを向けば、私はビクッとなりながらも、返事はした。

「今からイオリアに行ってみない? 貴方には回収しなくてはならないものがあるはずよ?」

「え? あ……」

 そうだ。母の遺骨を回収しなくては。

「ついでにアフロちゃん。貴方もいらっしゃいな。ディオネのこと、もっと詳しく教えてあげる」

「あ、アフロちゃん!?」

 プッ。

「あ、今笑ったでしょ、アティナ? お姉ちゃんが侮辱されて笑ったでしょ?」

「い、いえいえ。笑ってないですよ。な、なぁ、アルティ?」

「ぶっ……あ、アフロちゃん……クスクスクス」

「あ、あの、フロディアさん! わ、私は笑いません!」

「フフ……。ティアぁ〜、アフロちゃぁん」

「ぶほっ!」

「や、やめろ、アルティ!!」

「よおーし、皆がそうやって私を馬鹿にするんなら話は早いわ。クーデターじゃぁあ!!」

「うわぁ! お、お姉様、落ち着いてぇっ!!」

「あらあら。よぉーし、お姉さんも加勢しちゃうぞ!」

「へ、ヘラはダメ! 洒落にならない!」

「プークスクス。アフロちゃん……ププッ」

「お前は余計な争いの種を蒔くな、アルテミスっ!!」

 

 

 

 それから一時間後。

 私、アルテミス、アフロディテにヘラ、そして治療から戻ってきたヘルメスを加えた私たちは焼け落ちたイオリアの都に再び、その足を踏み入れた。城の抜け道から中へと入ったのだが、抜け道は途中で崩れており、そこから外に這い出ることができた。立ち込めるのは焦げた臭い。それが何を焼いた臭いなのかはわからないが、それでも鼻を曲げるには十分な臭いだった。

「布を鼻に宛がって。肺が汚れるのを防ぐわ」

 アフロディテはそう言うと、ハンカチを口元に当てた上で瓦礫の上を歩いていく。同様に、私たちも鼻を押さえて瓦礫の上を進んだ。足元は予想以上に悪く、崩れ落ちたレンガや木材が転がっていて、ところどころから釘が飛び出ている。これを踏み抜いたら相当痛いだろうな。

「あーあ。私の剣もこの瓦礫の中かー。せっかく作ったのになぁー」

 アフロディテは残念そうな顔をしてそう言った。彼女はヘラと戦った際に使った大剣を、王城の中に残したまま脱出していた。よって、彼女の大剣は瓦礫の中に埋もれたことになる。すると、そんなアフロディテにヘラがにこやかな表情を浮かべて

「フフ。安心してフロディアちゃん。あの剣はきちんと私が回収して、都の外に置いておいたわよ」 

「え? ほ、ほんと?」

「ええ。あの中身に凄く興味が沸いていたからね。外に持っていって構造を調べさせてもらったの。おっそろしかったわ。十個も隠し武器が仕込まれてたのね」

「そのほとんどが貴方に対して使えなかったけどね」

「いえいえ。私も改めてゾッとしたわ。もうあの剣とは戦いたくは無いわね。体が幾つあっても足りないもの。あれと戦うとなると毒殺、射殺、焼殺、爆殺、刺殺、絞殺の可能性を考えなくてはならないものね。頭が痛くなりそうだわ」

 ヘラはヘラヘラ笑って言うが、二人の言っている言葉は物凄い内容である。私自身はあの大剣の中身を知らなかったが、その一端を垣間見たアルテミスは眉を潜めて苦笑いを浮かべていた。

 乱雑に折り重なる瓦礫を乗り越えて、王城前広場だったところに降り立つと、私たちはそこで意気を飲む光景を見ることになった。

 無数に折り重なった死体死体死体。皆、そのほとんどが燃えており、中には生焼けの人間もあった。無数の屍が土嚢のように積まれていることから察するに、ここでアルテミスはフェルセポーネと戦ったのだろう。

「ヘラさん。私はここで、貴方のご子息と戦い、これを斬りました」

 アルテミスは素直にヘラにそう言った。するとヘラは

「何も気にする必要は無いわ。これは戦争なんだもの。負けたものは何を言う権利もなくなってしまう。あの子だって、貴方のような人と戦えたことは剣士として喜びだったに違いないわ」

「そう……でしょうか」

「ええ。ありがとう。あの子を解放してくれて」

 ヘラはそう言うと私たちの輪の中から外れて広場を歩き始めた。遺体の一つ一つを確かめながら彼女の子供を捜しているようだ。

「アルティ。ここを頼む」

「え? アティナ様?」

 私も輪の中から離れてヘラとは反対の方向を探して歩いた。ハディスやフェルセポーネの顔は私も良く知っている。まだ残っていれば、見つけられるだろう。

 しかし、ここでの戦いは凄まじいものがあったのだろう。そんなに広くは無い広場に少なくとも四百人以上の遺骸が転がっている。その半数は鎧を身に纏った兵士。もう半数は民間人だ。赤子を抱いた母の焼死体すらあった。

 肉が焼ける臭いが立ち込める中、私はヘラと同様に死体を確認しながらハディス、フェルセポーネの姿を探して歩いた。

「ん? おい、ヘラ! こっちへ来てくれ! いたぞ!」

 私がそう呼ぶと、ヘラはピタリと足を止め、私のほうへと歩みを変えてきた。一方で、私は膝を折って屈むと、目の前で倒れている二人の顔を見て二度三度頷いた。私の目の前で眠りに着いている二人は互いに手を握り合って、まるで永遠の愛を誓うようだった。炎で無残な姿を晒しているかとも思ったが、見たところ、燃えたところはなさそうだ。綺麗な顔をして息絶えている。

「あらあら。まったくこの子達は」

 私の傍に来るなり、ヘラはそう言って立ち膝で腰を下ろした。

「この二人は荼毘に付した後で一緒の骨壷に入れてやろうと思うがどうだ? 永遠に一緒にいられるように」

「ええ。心遣い、感謝するわ」

 ヘラは母として息子と義理の娘になるかもしれなかったフェルセポーネの頭を撫で、胸の前で十字を切った。

「とにかく、死体の片付けも急がせないといけないな。早くしないと、蛆が沸いて死臭が立ち込めてしまう。ジュピネル復興の妨げになりかねん」

「そうね。でも、それは骨の折れる仕事よ」

「仕方が無い。死者となったからには丁重に埋葬してやらなければならん。もう戦争は終わったんだ」

 おそらく、タイタニアでも全滅したジュピネル軍のために墓が掘られているだろう。そっちが終わらない限り、こっちへ手伝いには来てくれないだろう。難民となった人々も借り出して、埋葬してやら無ければならない。多数の屍は伝染病の原因にもなりかねない。

「とりあえず、今は屍をそっとしておいて、母の元へ参りたいのだが……」

「ええ。そうだったわね」

 そう言うと、ヘラはスッと立ち、私たちは王城への門前で佇んでいるアルテミスたちのところへ戻った。

私たちが目的の地としている場所は、王城の西側隅である。再び来た道を戻って瓦礫を踏み越え、王城の西側庭園へと下りると、手入れのされた芝生の上を歩いて目的地へと向かった。

私とメティシアが暮らした小屋。それは王城の傍にありながら猛火に耐え、未だしっかりとした佇まいを見せていた。小さい庭があり、その周囲を柵で囲まれた小屋は、母が死んだ後も私の拠点として最近まで住んでいたものである。

「燃えてない」

 小屋の扉に手をかけ、私は二週間ぶりにその梁を潜った。

 室内はとても静かな空気の流れる場所だった。古い机やベッドが置いてあるだけで、王の間などのように、金色の装飾が華々しく散りばめられた調度品の類は一切置かれていない。 

「ここが、アティナ様のお部屋だったんですか?」

 ヘルメスが自分の部屋と比べ、こじんまりとした質素なこの部屋を見渡して言った。

「ああ。この場所で私はずっと母とともに暮らしていた。どうだ? 紅玉の戦乙女として名を馳せた女の末路が、こんな狭い小屋での生活だ。風通しも悪いし、日当たりもいいとはいえない。そりゃ、病気になるさ」

 肩をすくめる私の手前、ヘルメスは痛んだ机に手を翳して、埃を払う。

「確かに、ここの空気は悪いように感じられますね」

 アルテミスもまた、ハンカチで鼻を覆いながら言う。

「こんな場所でメティシア様は十年間も過ごされたのですね……。その胸中、察することはできません」

「ああ。私もだ」

 私は壁際に掘られた幼い頃の私のいたずら書きを見ながらそう言った。あの頃が一番幸せだった。目を閉じるだけで、あの頃の記憶が鮮明に蘇ってくる。できることなら、もう一度、母と一緒に暮らしたい。

「で、そのメティシアさんのお墓はどこにあるの?」

 アフロディテが窓から外をキョロキョロして尋ねて来る。

「それはこっちよ」

 私より先にヘラがそう答え、家の外へと出て行った。アフロディテも彼女に従って家を出て、遅れて私たちも家を出た。

 母の眠る場所は、私たちの小屋から南に百メートルほど行った所にある市民共同墓地にある。

「ここも焼けなかったのか……」

 私は周りの建物が燃えたにも関わらず、一切被害を受けずに広がっている墓地を眺めながら驚いた。

「まぁ、こっちは驚くことではないわ。燃えるものが何もないもの」

 アフロディテはそう言って墓地の中へ足を踏み入れていく。

 墓地は五十メートル四方の敷地に十字架を象った墓標が何十本と立てられていた。サトゥルでもそうなのだが、私たちの都は決して広いわけではない。よって墓を立てるための敷地はあまり無く、使用料も高いので大体墓を持てるのは上流階級の人間だけだった。一般市民は家の中に墓に似た区画を持っていて、骨壷をそこに置いて死者を供養している。

「で、どれがメティシアさんなの?」

「ああ、こっちです」

 私はアフロディテを連れて墓地の右端のほうへ移動する。

「これだよ」

 全てが同じ墓標で、彼女を知る者が連れてこなければ決してわからないような箇所にそれはあった。金色のネームプレートにはメティシアと確かに記されている。年表から見ると、彼女の享年は二十九だった。まだまだ若い。

「これが……」

 アフロディテは静かに膝を突くと、我が母に向かって手を合わせた。

「お初にお目にかかります。私はアフロディテ。貴方の友であったディオネ=ティタンの娘です。あ……デウシウスの娘でもあるので、貴方の義理の娘になるのですね」

 そう言って微笑みかけるアフロディテに、私もクスリと微笑んで、膝を突くと彼女の肩に手を回して

「そうですね。母上、見ていますか? 私に最高のお姉様が出来たんです。他の兄弟は皆私を疎んじた。でも、このお姉様は私を愛してくれている。この絆、きっと永久に保ちましょう」

「フフ。言ってくれるじゃない。まぁそぉね。私、貴方が大好き」

「お姉様……」

 私は少々照れながら微笑した。すると、それに感化されたのか、嫉妬したのか、アルテミスがアフロディテとは反対側に腰を下ろすと、私の肩に手を乗せて

「初めまして、メティシアさん。私はアルテミスと申します。アティナ様とはもう五年のお付き合いをさせていただいております。今後、アティナ様にはサトゥル復興のため、尽力していただくことになりますが、私はアティナ様を信じてます。だって、私の初恋の人だから」

「ば、バカお前っ! 母になんてことを!」

「だって事実ですもの。私はフロディアさん以上に、貴方のことが大好きなんです」

「い、いや、アルテミス様? 私の好きは貴方の言う好きとは違いますよ?」

「そんなの関係ないですぅ。だって、アティナ様を愛しているのは事実なんですもの。キスもしましたしね」

「だ、だからそれはお前が拗ねて――」

 私があたふたしていると、アルテミスは満面の笑みを浮かべて私の唇を奪ってきた。

「うわぁ〜」

「ね、姉様……」

「あらあらまぁまぁ」

 後ろで目を輝かせているヘスティアと、呆れているヘルメスと、ワクワクしているヘラ。頼む。こいつをぶっ飛ばしてくれ……。

「んはぁ……。フフ。お母様に見てもらっちゃいましたね?」

「ああ、もう悪夢だ」

 私はもうどうにでもしてくれという気分になりながら、母のほうを向いた。きっとあの世で、母は私に対して呆れているだろうな。こんな娘になってしまって、さぞ嘆かれているだろう。

 すると、そんな私から離れるアフロディテがヘルメスを呼び寄せた。彼女は彼を私の隣に座らせると、顔を赤らめてキスの余韻に浸っているアルテミスを強引に引っ張り上げて、後ろへ引きずっていった。

 流石は、私のお姉様だ。

 ぎゃあぎゃあ、後ろでアルテミスの文句が聞こえるが、今はそれに耳を傾ける必要は無い。私は、一番母に紹介したかった人物を隣に、二週間遅れの結婚報告を行った。

「母上。私、とうとう結婚致しました。こちらがお相手になったサトゥルの第四王子、ヘルメス殿です」

 私がそう伝えると、ヘルメスは母の墓標に向かって頭を下げた。

「初めまして。ヘルメスと申します。これからアティナーデ様の夫として、彼女とともにサトゥルの発展に努めてまいります」

「フフ。母上から見れば情けない男かもしれませんが、でも、彼は立派に私のサポートをし、ここまで一緒に戦ってくれました。彼がいるだけで私の心は穏やかで、そして、幸せな気持ちになります。母上がアイレスから感じたような、そんな気持ちです。いずれ、私は母となりましょう。そうなったとき、私は母上が私にしてくれたように、我が子を心の底から愛していきます。そのときは、また、ご報告に伺います」

 私たち夫婦は揃って手を握り合い、メティシアに対して頭を下げた。だが、そんな私たちの背後にいつしかヘラが険しい顔をして立っていた。彼女の目線は幸せに染まる私たち……ではなく、その先。メティシアへと注がれている。

「メティシア」

 彼女がそう言うと、私たちは初めて背後にヘラが立っていることに気づいた。

「貴方は、本当に罪な女ね。ここまで純粋なアティナちゃんを見ていると心が痛むわ。貴方はこの子に幻想を抱かせてる」

「え?」

 そう言うと、ヘラは私とヘルメスを横に退けると、そのヒールつきのブーツで母の墓標を蹴り飛ばした。

「なっ?!」

 墓標はビクともしなかったが、それでも彼女の暴挙に私は驚き、同時に怒る。

「な、何をするんだヘラ!」

 私が叫ぶも、ヘラはそんな私に掌を向け

「ごめんなさい、アティナちゃん。貴方にとってメティシアは全てで、彼女を神のように信望しているのも理解している。でも、メティシアっていう女はね、貴方が思ってるほど優れた人間じゃないのよ」

「え? それはどういうことだ?!」

「メティシアは、私たち三人の戦乙女の中で最強だった。でも同時に最恐でもあったのよ」

 ヘラはそう言うとメティシアの墓標に顔を背け、驚きにつつまれている私たちに淡々とした口調で語り始める。

「私たち、紅玉の戦乙女メティシア……金玉の戦乙女ディオネ……紫電の戦乙女ヘラは皆同じ部隊に所属していた。部隊名はジュピネル軍第三師団。まだ女の兵士は珍しい存在だったけど、私たちは隣国エリスとの紛争で多大な活躍を見せて紙面を飾ったわ。ディオネは傷ついた仲間を救うためにたった一人でも奮戦し、また敵の兵も騎士道精神に則って勝負が決すれば敵でも救う、そんな慈愛と情けに満ちた人だった。普段は強気な女の子だったけど、性根の優しい、まるで聖母様のような人だったわ」

 そうヘラに言われ、アフロディテは嬉しそうに笑う。だが、私は険しい顔をしていた。慈愛に満ちていたのは母ではなかったのか? 母は私を救うために尽力してくれた方だ。温厚で優しくて泣き虫で、それが母だ。

「メティシアは……その全く逆だったわ」

「なんだと?!」

「メティシアは強かった。一人で何人も敵を倒して功績を挙げた。一騎当千とはよく言ったものよ。馬に跨り、戦場を駆け抜ける彼女の美しさはとても画になった。だからこそ、ジュピネルの人々は三人の戦乙女の中で、彼女を一番持て囃した。その裏も知らずにね」

 ヘラは一息つくと、また語りだす。

「あるとき、私とメティシアは国境紛争の拠点とすべく、ジュピネルの外れの村を訪れたことがあった。そこの村長と話をし、拠点に使わせてもらいたい旨を願い出たのだけれど、若い娘がいるという理由で断られたわ。まぁ、それもそうだし、他にも拠点候補はいくつかあったからそっちに回ろうとしたの。でも、メティシアは間髪いれずに村長の首を刎ねた。いえ、それだけではなかった。彼女はまるで狂ったかのように村民全員を虐殺して、拠点を確保したの」

「まさかっ?!」

「私は改めてメティシアの恐ろしさを知った。メティシアは目的を妨げるものは何でも破壊、殺戮した。命令を拒否した部下を殺したこともあったし、投降してきたエリスの小隊三十名を処刑したこともあった。情け容赦の無いその振る舞いに、ディオネは私にいつも不安を言ってきたわ。親友だけれども、いつ自分も殺されるかって……」

「そ、そんな……」

 私は気が狂いそうだった。私が生まれてからずっと積み上げてきた、母への信頼と愛が音を立てて崩れてしまいそうなくらいの衝撃的な発言だった。

「メティシアとアイレスが恋仲にあったことは貴方はご存知かしら?」

「あ、ああ……知っていた」

「そう……。アイレスも知らなかったとは思うけど、メティシアはとてもとても嫉妬深かい一面も持っていたの。あの子、アイレスが他の貴族の娘と結婚したことがとてもとても許せなくて、いつも夜はアイレスの家の前に立って、彼の私室を睨んでいた。アイレスが妻と子作りに励んでいるとき、彼女、我慢できなくなってアイレスの邸宅に討ち入りさえしようとしたわ」

「…………」

「命令も無いのに甲冑を身につけ、剣を腰に挿した彼女を街中で見た私とディオネが問い詰めると、彼女、物凄い形相で教えてくれたの。そのときは、どうにかこうにか私たちでなだめたけれど、いつまた同じようなことをしでかすのか不安だったわ。そんな最中に、ディオネが姿を消してしまった。ま、理由はメティシアとは関係なく、デウシウスが彼女を手篭めにしたからなのだけれどね」

 すると、アフロディテが視線を俯かせる。

ディオネはその後、サトゥルへと亡命したが食うに困り、産み落としたアフロディテと彼女の命どちらを生かすか、天秤にかけ、アフロディテを生かす方法を選んだ。ヘラが慈愛に満ちたと言った彼女ならば、そうなるのは自然のことだったのだろう。彼女はアフロディテを生かし、とうとう力尽きてしまった。

「アイレスとディオネを同時期に失ったメティシアは荒れたわ。毎日酒を飲んでは部下たちを殴打した。私が目も当てられないような暴れっぷりだったわ。そこで、なんとかアイレスに頼み込んでメティシアに会ってもらうようにしたの。すると、ぴたりと彼女の粗暴な振る舞いは終わった。アイレス自身、メティシアを愛していたから密会は何度も何度も続いたわ。肉体関係にもなっていたようだし」

「ヘラ……貴方が、アイレスと母を結びつけたのか……」

「さもなくば、メティシアは本当に壊れると思ったからね。酒に溺れ、剣を振るって市民を殺戮されたら色々と困るもの。まぁ、そのあとはメティシアに付き合わされて、何があったのこう言われただの、延々と惚気話を聞かされるようになったのだけれど……。でも、それもまた二年足らずの間だったわね。そのあとは、貴方が知るとおり。デウシウスの魔の手にかかったメティシアは没落の人生を送った。私もデウシウスに見初められて宮中に入った」

 ヘラはそう言うと、私の肩をポンと叩く。

「貴方には酷な話だとは思うのだけれど、でも、最後に残った戦乙女として、貴方にはどうしても聞いてもらいたかった。信じるかしないかは貴方に任せる。貴方が生まれてから見たメティシアは、間違いなく彼女であり、貴方を愛していたのは本当だもの」

「ヘラ……」

 私は正直、戸惑っていた。彼女の言葉に嘘は見えないが、私が見てきたメティシアという女性は決して粗暴でも、命を軽んずるような人でもなかった。私を愛し、剣や命の重さ、愛の大切さを教えてくれた人だった。が、ヘラはヘラで、メティシア亡きあと、私に対して色々なことを教えてくれた、一種の先生のようなものであった。その彼女がそう言っているのだから、信じずにはいられない。

「あの……ヘラさん、一つお伺いしてもよろしいですか?」

「あら、何かしら……。えっと」

「あ、私はヘスティアです。フロディアさんの後輩で、新聞記者です」

「ええ。ヘスティアちゃんね。で、何かしら?」

 すると、ヘスティアはとんでもないことを言い出した。

「先程、お伺いしていますとアイレス様とメティシア様は肉体関係にあったとおっしゃっていましたよね?」

「ええ。会うたびに激しくやっていたようよ? メティシアがそう言っていたわ。私も顔負けの変態プレイの数々を。中でも外でももう激しく、やらしく」

 母上……。

「だとしたら、アティナーデ様がアイレス様のお子だという可能性があるのではないでしょうか?」

 え?

「そ、そうだわ! 確かにその通りよね?!」

 アフロディテも納得の顔をして腕を組む。

 おいおい、待ってくれよ。

「なるほど……。アイレス様のお子だからこそ、メティシア様はアティナ様を愛されたのかもしれませんね」

 アルテミスまで何を言うのか。

 では、私は……昨日、父を殺したと言うことになるんじゃないか? それに、そしたら、アフロディテと私は姉妹ではないということに……。

「……いえ。その線は無いでしょう」

 私がうろたえていると、ヘラははっきりとした声で相談した。

「二人は確かに会っていたわ。でもそんなに頻繁にではないの。せいぜい、一月に一度くらい。メティシアも任務があったり、アイレスも軍関係で多忙だったからね。あの子、アイレスと会うと決まって私に報告してきたから覚えているわ。その時期と、妊娠期間である十月十日は重ならない。二週間近くズレているの。むしろ、デウシウスに手篭めにされて、十ヶ月と十二日でアティナちゃんは生まれているから、私は間違いなくアティナちゃんがデウシウスの子であると思うわ」

「そうですかぁ……。いい記事ネタだと思ったんですけど」

 おいおい、止めてくれよ。変な汗をかいてしまったではないか。

「フフ。でも、メティシアはきっとアティナちゃんがアイレスの子だって信じてたのかもしれないわね。愛した人の子であって欲しい、いえ、そうに違いないと思っていたからこそ、貴方を愛したのかもしれないわ」

「そ、そうかな……」

「フフ。父親が誰かなんて、別にいいじゃない。貴方は貴方が大好きなメティシアの子であることは間違いないのだから……」

 ヘラはニッコリ笑って言う。

 確かにそうだ。私の父は、デウシウスかもしれないし、アイレスかもしれない。でも、母はメティシアで間違いない。私は今まで母を敬愛してきた人間だ。そして、これからも私は母のみを敬愛していくだろう……。

「でも、アティナちゃん。メティシアはいい面も持っていれば、悪い面も持っていた。貴方はそんな風になっては駄目よ? 貴方は心優しい貴方であり続けなさい」

「うん。分かってるよ。大丈夫さ。私は一人じゃない。貴方に心強い仲間がいたように、私にも心強い仲間がいる。それに、私は母のいい面ばかりを見てきたからな。それを目標に、私はこれからも紅玉の剣士であり続けるさ。私は母を真似したいわけじゃない。私は私の生き方で母を目指し、そして越えたいだけなんだ。私は皆が幸せならそれでいいよ」

「……アティナちゃん。フフ、いつのまにか成長してたのね」

 ヘラは満足そうに微笑む。すると、アフロディテが胸を張った。

「だから昨日言ったじゃない。アティナはアティナで生きる道を進んでるって」

「ええ。まったく」

 ヘラの頷きを横目に、私は最後にもう一度、母の墓前に立って手を合わせた。そして、彼女の墓を掘り起こして、彼女の骨壷を回収した。顔所の遺骨は、サトゥルのタイタニアの墓地へと移される。そこで、長年の親友であったディオネと再会するのだ。

「では、野営地に戻りましょう。まだまだ、忙しくなりそうです」

 アルテミスがそう言って私の腕にしがみついてくる。

「ちょ、壷落とすから止めろ!」

「お、俺もしがみついていいですか?!」

 ヘルメスが意を決して、私の左腕にしがみつく。

「こ、コラ!」

「あらあらまぁまぁ。モテモテね、アティナちゃん」

「姉として情けなく思います。ヘルメス様はともかく、同性愛なんて」

「ええー? 愛があれば性別なんて関係ないですよぉ、フロディアさぁん」

「ティア……。まったく、貴方もブレないわねぇ。私にその気は一寸もないわよ?」

「きっと芽生えます! ワクワクが止まりません!」

「いやいや、ねぇから」

 雲が流れていく青空の下、私たちは新しくやってくる時代に期待をこめながら、古い時代の遺構を踏み歩いた。きっと、新しい時代は幸せで豊かなものになる。いや、そうしなくてはならない。大勢の命の犠牲に立つ私たちの、それが責務である。

 

 

 

 

 


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