第十四章  死闘の果てに

 

 

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 燃え盛る炎の光が入り込んでくる。王の間はその光を受けて眩く輝き、金細工の施された椅子や柱、上座の壁に掲げられたジュピネルの国旗が眩く光る。その部屋の中で国王デウシウス以下、二十名を越えるジュピネルの最高首脳陣と、ヘルメス以下十名のサトゥルの兵士たちが見守る中、真っ赤な鎧に身を包んだ私と、白い軍服を着こなしたアイレスが、それぞれ、剣を携えて対峙していた。

「アイレス。私は貴方のおかげでここまで来れた。そんな師へ剣を向けることは心苦しいが、貴方を倒さねば父を殺せぬというのであれば、私は母の名に掛けて貴方を倒す!」

「ええ。存分に剣をお振るいなさい。貴方の強さ、あのメティシアに達するものかどうか、見て差し上げます」

「行くぞ、アイレス!!」

 私は剣を振りかぶってアイレスへと駆け出した。一方で、アイレスはメガネを光らせつつ、剣を両手で構え、私を待ち受けた。

「はぁあ!」

 振り下ろされた私の剣。アイレスは微笑を浮かべてそれを受け止める。火花が激しく散り、物凄い音が王の間に響くのだが、アイレスは一切表情を崩さず、むしろ軽いとでも言いたげな顔をしていた。

「踏み込みが浅いですよ。私を斬ること、躊躇う必要はありません」

「そ、そんなことはわかってる!」

「ほほぉ。分かってる上でのこの踏み込みならば、貴方、見ない間に力を落とされましたね?」

「なっ?!」

 私が驚くと、アイレスは私の額に頭突きを食らわせてきた。

「あぐっ!」

「おまけに、感情の起伏も激しくなった……。敵にどんな言葉をかけられても、揺れぬように指導したはずですよ?」

「ぐっ!」

 私は一度間合いを取るため、後ろへ下がると、アイレスは余裕の笑みを浮かべて剣を構えなおした。区切りとしたのだろうか、深呼吸をした上で彼は私に目を向ける。一方で私もまた剣を構えなおし、肩から息を吐いた。

「はぁ……はぁ……ふぅ。全く。頭への一撃、効いたぜ。だが、いつの日かのボッコボコよりはまだマシか。あのときは王女関係なくボコボコにしやがって」

「軍人たるもの、王族は関係なし。それも、口を酸っぱくして言ったはずです」

「だからって年端も無い娘の体を散々に痛めつけるか普通?! 全身につけられた痣、三日は消えなかったんだぞ?! 喉とか、鎖骨にまで青痣ついて、ドレスが着れなかった!」

「それは、それは……。ですが軍学校は軍服のみの着用であったはずですが?」

「あっ……」

「貴方は、影でこそこそお洒落して街に出かけていたのですね?」

「あ、えっと……てへっ」

 私が舌を出して可愛く笑ってやると、なぜだろうか、冷たい風が王の間を流れた。

「ああ、くそ! もうそんなこと関係ねぇだろうが!」

 私は恥ずかしさに顔を赤らめながら、アイレス目掛け突っ走った。またさっきと同じ構図。剣を振り回す私に対し、アイレスは冷静な顔をしながら受け止める。が、私はすぐに剣を振り上げなおし、反撃をさせないためにも何発も何発も剣を彼に対し打ち込んだ。激しい金属音が王の間に響くのだが、時が進むに連れて疲れていくのは私ばかり。アイレスは刃を返すことなく受け止めるだけなので、疲弊の色は一切見せなかった。

 彼は私の太刀筋をよく熟知している。私はメティシアから剣の基礎は教わっていたが、それを発展させたのはアイレスだ。よって、私の基本的となる太刀筋は完全に把握されており、どんなに動きを早くしても、着点が把握できていれば受け止めるのは簡単だ。おまけに私の手癖や動きのパターンも知れているので、三流剣士でも簡単に受け止められるだろう。それが一流剣士ならば、カウンターを確実に決められる。

 そう。私にとって、手の内が全て知れているこのアイレスは、紫電の戦乙女ヘラ以上に強敵で、間違いなく危険な相手だった。彼が本気で私を殺しに来れば、私など、数十秒と持たない。そうしてこないのは幸運でもあるが、ただただ舐められているだけのような気がして虫唾が走った。

「はぁ……はぁ……」

 重さ二キロの剣を何十回も振り回していれば、流石の私も疲弊する。木剣ならば造作も無いのだが、一撃一撃に魂を込め、激しく振り回していれば体力の消費は著しいのは至極当然。そのため、私の動きのキレが徐々に無くなりはじめる。また同時に、私にとっての最大の弱さが出始めていた。

「くっ! 反撃もせず、ちょこまかちょこまかとっ!!」

「敵を疲れさせ確実に仕留める。それもまた、兵法なのですよ、アティナーデ様」

 澄ました顔のアイレスに対し、私は眉間に深い皺を刻み、前髪を汗でダマにさせた姿で剣を振るっていた。

「このままでは不味い……」

 それに気づいたのはヘルメスだ。

「どうかしたんですか、ヘルメス様」

 兵に尋ねられ、ヘルメスは険しい顔をした。

「アティナ様、あの時と同じだ」

「あのとき……?」

「タイタニアが落ちたと気づいたときの怒りに任せた顔だよ。あの人、今頭に血が上ってる。あれでは、冷静な判断が出来るはずがない」

「え?」

「心が乱れた状態で、自分より強い人に勝つのは不可能だ」

 その通りだった。

 私は何をしてもアイレスに容易く受け止められ、澄ました顔をしている彼に苛立ち、頭にはすっかり血が上っていた。疲弊していく体も私の集中力を奪い、重々しい剣もまた、私を更に苛立たせる。

「はぁ……はぁ……」

 汗がボタボタと落ち、私の顔は濡れてビショビショだった。

「くっそがぁ……」

 ゴシゴシと手袋で額を拭うも汗が止まらない。機密性の高すぎる鎧のせいで、私の体感温度はサウナ並みになっていた。頭の熱は、もはや脳が正常な機能を発揮できる温度を越え、それは頭痛となって私の体を襲った。

「ほほぉ。流石はアイレスじゃ」

 国王デウシウスが、先程の取り乱しはなんだったのかと思わせるほど喜色満面でアイレスを褒める。だが、その傍にいたアイレスの二人の息子たちは、表情を一切変えずに真剣な顔をしてアイレスと私のほうに視線を向けていた。

「行けぇ、アイレス! そのままアティナを血祭りに!」

 などと私の姉が叫ぶ。

「裏切り者には死の鉄槌です!」

 私の妹も嬉々として叫んだ。

「はぁ……はぁ……」

「もうおしまいですか?」

「はぁ……はぁ……」

「もはや、言葉も上げられませんか。貴方は所詮、そこまでの人だったのですね」

 アイレスは失望した顔をすると、私目掛け今度は彼から斬りかかってきた。

「っ?!」

 慌てて剣を持ち上げて防ごうとするのだが、力が平時の半分もかからない。どうにか左手を剣の山に添えて両手で防御を行うのだが、アイレスの強力な上からの唐竹割りの直撃を受け、私は衝撃に顔を歪めた。

「上ばかり集中なさるな!」

 怒鳴るアイレスの放つ蹴りが、私のスカートを持ち上げてがら空きだった股間に命中。だが、スカートの下にも、防具はしている。その防具のおかげでアフロディテの二の舞になることはなかったが、それでも衝撃は防具を打ち抜き、私の腹を貫く。

「うぐっ!」

 私の顔が一瞬歪む。だが、その一瞬を狙って、アイレスは私の顔に鋭い左ストレートを打ち込んできた。

「がぁっ!!」

 鼻頭を直撃した彼の拳により、私は軽々と奥へ吹っ飛ばされた。まるで投石のよう。何度も何度も床の上でバウンドしたが勢いが削がれるようなことはなく、大理石で出来た硬い壁に背中と頭を打ち付けてようやく停止する。しかし、それでアイレスが許してくれるわけもなく、彼は、私が体勢を立て直す前に現れ、私の首当てを掴むと、右手一本で軽々と持ち上げた。そして、そのまま、私の身体を破壊されたテーブルへと叩きつける。

「がはぁっ!」

 飛び散る木片とともに、私の唾液や涙もまた飛び散った。

「…………」

 アイレスはそんな私の様を見てようやく攻撃をやめた。

「あ、アティナ様っ?!」

 ヘルメスが叫ぶ。その傍らの兵たちも騒然とした様相で佇んでいた。だが、助けに駆けつけたくとも、私に手出し無用と命じられているため、手出しができない。

 一方で、テーブルに叩きつけられ、頭を打った私は、空ろな目をして天井を眺めていた。その視界は涙で霞んでた。

 悔しかった……。

 剣での勝負であったのに、アイレスは剣ではなく拳や蹴りで私をここまでボコボコにしてみせた。私は、アイレスの足元にも及ばない、ただの生意気な小娘でしかなかったのだろうかと、ただただ自問自答していた。

 何が母を越えるだ。

何が母のようになりたいだ。

 紅玉の戦乙女メティシアは、今の私には追いつこうにも追いつけない存在ではないか。

 それが溜まらなく悔しくて、私は大粒の涙を溢してしまっていた。このまま、私はアイレスに一撃も加えられずに殺されてしまうのだろうか。私は、大きなことを口で言いながら、それ止まりでしかない愚か者だったのだろうか。

「あ、アティナぁ!」

 私が、半ばあきらめのムードに入っていたそんなとき。私の耳に懐かしい声が入ってくる。

「な、何やってるの、情けないわねぇ!」

 私がおもむろに横を向くと、金色の髪をクルクルさせた女が、体の半分を真っ赤にさせ、更には兵に肩を担がれた上で王の間の出入り口で佇んでいた。その顔は怒気に満ちており、でも、どこか私を心配している表情である。

「あ……おねえ……お姉様……」

 私が弱弱しい返事をすると、アフロディテは肩を借りていた兵から離れ、血に塗れた拳を私へ向け

「あんたが気をつけろって言った紫電の戦乙女ヘラ! この金玉の剣士アフロディテが討ち取ってやったわ! ま、ギリギリだったけどね!」

 アフロディテの軽快な声が王の間に響くと、アイレスやデウシウスらの顔が一瞬で強張った。

 それもそうだ。紅玉、金玉と並ぶ紫電の戦乙女が年端も無い女に破れたというのであるから。デウシウスに至ってはお気に入りの女が殺されたのがショックだったのか、茫然自失と言った具合で佇んでいた。

 ヘラは皇后。つまり、デウシウスの正妻である。デウシウスが一際傍に置きたいと願った女がそのポジションに着くため、ヘラはデウシウスの相当なお気に入りということになる。その割には子供がハディスしかいない。二三日に一度は食っていたというのに。

「アティナ様ぁっ、ご無事ですかぁ……って、ど、どうしたのですか、この状況?!」

 ああ……続いてバカ娘の声が聞こえてくる。

「アティナ様?! だ、大丈夫なのですか?!」

 おいおい、どうしたんだよ、バカ娘。額に鉢巻なんかして……。

「ね、姉様?! その額の傷は?!」

「そんなことよりメイス! アティナ様をお助けなさい!」

「い、嫌ムリだよ! アティナ様に手を出すなと強く命じられてる!」

「だったら、その君主である私が厳命します! アティナ様をお助けなさい!」

「い、いや……だから……」

 激戦を潜り抜けてきたのだろう、ボロボロのアルテミス。ヴァージンクィーンのくせに太股まで露にしやがって、破廉恥な。

「あ、アルテミス?! 白玉の姫君か?!」

 ああ、そうだ我が父よ。あのボロボロの小娘が、貴様が徹底的に陵辱したいと願った白玉の姫だ。私たちの王だ。だが、奴はもう、貴様などにいいようにされるほど弱弱しい人間ではなくなった。

 二人とも、それぞれ、自分たちの戦いに勝利してここまでやってきてくれたのだ。だったら……私だけが無様に負けることは許されないな。

 私は静かに上体を起こした。頭は割れるように痛い。悲鳴を上げたいぐらいに痛い。だがそれも、あいつらの顔を見たら我慢できる。

「ほぉ。まだ立てますか?」

 感心したような声を上げるアイレスを前に、私は剣を強く握りしめて立つ。

「まだあきらめないのですね」

「フフ。あきらめられるものならあきらめたいさ。お前のせいで全身痛くてたまらないし……。けど、あいつらの顔を見たらそうもいかなくなった。あいつらは自分の戦いに勝利してここまでやってきてくれたんだ。私だけが負けるわけには行かないんだよ」

 そのとき、彼は一瞬目を細めた。

「なるほど。頭が冷えたようですね」

「ああ。貴方の頭への集中攻撃のおかげでな」

 しかし、熱は去っても頭を襲う激しい痛みは変わらない。私は、痛む頭を左手で抑えながら右手で剣を構えた。だが、失った体力はそう簡単には戻らず、片手で構える剣先はどうしても震えてしまう。これでは、狙ったところに正確に打ち込むのは無理であろう。

 でも、剣を置くわけには行かない。

「苦しそうですね」

「ああ。だが、かといって私に容赦する必要は無いぞ。先程のように手は抜かず、本気を出して私と戦って欲しい。その過程で死ぬならば、私としても本望だが、先のように手を抜かれてボコボコにされた挙句に殺されては、紅玉の戦乙女メティシアの名を穢すことになってしまう」

「アティナーデ様……。その状態で何をおっしゃいます。もう立っていられるのがやっとではありませんか。私が本気を出せば、貴方はすぐにでも……」

 アイレスはクスリと微笑しながら剣を肩に担ぐのだが、その彼に、私は荒い息遣いをしながら叫ぶ。

「私にメティシアの姿を重ねるのは止めてくださいと言っているんだ!」

「っ?!」

 まさかの発言だっただろう。あのアイレスの顔から余裕の笑みが一瞬で消えた。同時に、それはどういう意味なのだろうかと王の間に詰めている人々はザワついた。フォベロスやダイモスもまた、カッと目を見開いて驚きを露にしていた。

「アイレス。ずっと、私は気になっていた。貴方が私たちの家にやってくると、いつも母は嬉しそうな顔をした。楽しそうにウキウキして、鼻歌まで歌ってお茶を淹れ、お菓子を用意して貴方と話し込んでいた。貴方が帰るときは、母はとても悲しそうな顔をしていた。幼い私、剣に生きた私ではその理由はわからなかっただろう。でも、今の私はその理由がわかる」

 私は一度、ヘルメスのほうを向いてから叫ぶ。

「貴方は我が母メティシアと想いあっていたのでしょう?! そして母が死んで十年経った今でも貴方は、我が母メティシアを愛しく思っている! だからその娘である私に本気で剣を打ち込むことができない! 殺すことができない! 違いますか?!」

 私のその問いかけに、アイレスは強張った顔をして無言を決め込む。

「貴方が、病気になった母に手厚い看護の手を伸ばしてくれたのも、母亡き後、私の世話をしっかりしてくれたことも、貴方は我が母のことを並々ならぬ気持ちで想っていたからだ!」

「…………」

 アイレスは初めて険しい顔をして黙り込んだ。

「あ、アイレス……ほ、本当なのか?」

 デウシウスがうろたえながら尋ねると、その隣で腰を下ろしていたフォベロスが立ち

「事実でございます」

 と言った。

「我が父アイレスは、メティシアと幼馴染で仲睦まじかったと聞いております。その頃から、お互いを知らず知らずに想い合っていたと」

「な、なんだと……」

 まさか、息子にそんなことを言われてしまえば、アイレスは観念するしかないだろう。私が眉を吊り上げて顔を向けていると、彼は私を見てまたクスリと微笑み

「アティナ様、私は上流貴族の家柄に生まれました。メティシアは下流の軍属の家に生まれ、家が隣同士ということもあって、私たちは小さい頃からずっと一緒に遊んで過ごしてきたんです。お互い、身も心も成長すると、いつしか友の域を超えた想いを抱くようになりました。でも、いくら想いあっても両家は決して釣り合わず、私は父の選んだ娘と結婚し、フォベロスとダイモスを設けました。でも、私たちは互いをあきらめきれず、私たちは度々会い、その中ではあるけれども幸せに過ごしていたんです。そう……メティシアが陛下に陵辱されるまでは」

 アイレスはギロリとデウシウスを睨む。

「なっ?!」

 最も信用していた忠臣に睨まれた彼はうろたえる。

「それからは彼女の人生はアティナーデ様が知ってのとおりです。メティシアは貴方を産み、病気がちになってついには死んだ。あの一晩の過ちがなければ、メティシアはきっと今でも笑顔を見せていてくれたでしょう」

 だろうな。

 母は父のお手つきの妾となったせいで、あの不衛生な小屋の中で軟禁生活を強いられた。その不衛生な環境が、母の命を奪った。もし、デウシウスが母を手篭めにしなければ、母は今もきっと存命だったはずである。元々、丈夫な人だったらしい。その彼女が労咳という病にかかったのは、あの不衛生なボロ小屋での生活を強いられたからだろう。

 私もギロリと父を睨むと、彼は顔色を青ざめさせて席に腰を落とした。その彼に侮蔑の視線が周りから注がれる。彼の好色っぷりはとにかく有名であったからだ。

「……私は、それがどうしても許せなかったんですよ、アティナーデ様。だからこそ、私はこのジュピネル全土に対して復讐を誓った」

 ……え?

「ど、どういうことだアイレス?! ま、まさか……この戦争は……」

「ええ。全て私の復讐。きっとこうなることは予想しておりました」

 だから私が部屋に飛び込んだとき、アイレスは表情を崩さず、まるで来ることがわかっていたかのように振舞っていたのか。

「メティシアを奪ったこの国が憎い。だから私は、この都を効果的に火の海にする計画を立てた。サトゥルという、同規模の国家を使って」

「そ、そんな?!」

 そんなことのために、サトゥルを巻き込んだのか?

 たかが私の母一人のために、サトゥルの大勢の罪の無い人々や、クロノス様を巻き込んだのか?

「っ……」

 衝撃に駆られる私の背後、アルテミスが歯を食いしばって怖い顔を彼に向けている。彼女は、そんなくだらない復讐のために、家族を、民を失ってしまったのか。

「貴方はよく動いてくれた、アティナーデ様。私の予想通り、寸分の狂い無く。タルタロス山脈を越えるのは、とてもとても大変だったでしょうな」

「き、貴様っ?!」

 私はギュッと剣の柄を握り締める。また顔が強張ってきた。

「サトゥルの方々には申し訳ないとは思いました。ですが、メティシアの命と比べたら天秤にかけるまでも無かった。全てが終われば、サトゥルはこのジュピネルの領土を手に入れられる。それでよろしいではないですか」

「ふざけるな!!」

 私は再度剣を振り上げてアイレスへと殺到した。アイレスは微笑を浮かべ、私の剣を受け止める。

「人の命は誰であろうがその重さに変化は無い! 貴方は戦争の狂気に犯された犯罪者だ! ただの殺人鬼に成り果てたかアイレスっ?!」

「兵は使い捨て。戦争の際には切り捨てる命は切り捨てろ。そう何度も教えたはずですよ、アティナーデ様」

「ああ、そうだ! だが、この二週間でそれが間違いだって知った!! 兵たち一人一人に家族があり、人生があり、未来がある! 私や、アルテミス同様にな! そんな命に差異があるなど、私は決して認めない!」

 すると、アイレスは私のがら空きになった股間に再び蹴りを入れてこようとしたが、私は太股を引き締めてその蹴りを防ぐ。

「うぉぉぉぉ!」

「っ?!」

 片足だけになったアイレスを私は力任せに押し返す。重心が背後に取られたら、彼の姿勢は大きく崩れた。そのがら空きになった腹部に、私は鋭い蹴りを打ち込む。

「がぁっ?!」

 アイレスは血を口から吐きながら、後方へと吹き飛ばされる。彼の大きな体はテーブルに激突し、木片が飛び散る。

「ち、父上っ?!」

 フォベロス、ダイモスが叫ぶ。思わず支援しようと剣を手にするが、その彼らの前にアルテミスが立ち、二人に二本の剣を突きつけ

「申し訳ありませんが座っていてください。ここは手出し無用のはずです。私は、珍しく本気で怒っております。言葉が聞き届けてもらえない場合、容赦なく切り捨ててしまいかねませんので、反抗的な態度は控えていただきたい」

 と凄みを利かせた声で言った。そういわれてしまえば、フォベロスたちは大人しく席に座るしかない。剣もアルテミスの前に置いて、彼女はそれを兵士たちに回収させる。

「くっ……」

 一方で、私の蹴りを受けてテーブルに激突したアイレスは、痛みに顔を歪めながら立ち上がった。彼の特徴である眼鏡も右側は壊れ、額からは一筋の血が流れ落ちていた。そんな彼に、私は腹から声を出して叫んだ。

「立て、アイレス! 母の名を穢した貴様を私が斬る!」

「アティナーデ様……」

 アイレスは冷静な顔をしつつ立ち上がると、剣を構えた。だが、今度の構えは今までと違う。中段の構えから上段の構えへと変化していた。攻撃に特化したその構えをするということは、彼は私を殺す気になったようである。

「そうだ。そのつもりで来い。私は貴様の愛したメティシアではない。そのメティシアを強引に犯して種を植え付けた、そこにいるクズの娘だ!」

 私の怒号が飛び、デウシウスは怯む。つくづく情けない男だ。

「……殺してしまったら、申し訳ありません」

「あの世で私が代わりに母に土下座しておいてやるさ!」

「よろしくお願いします。私もすぐに参りますゆえ」

 アイレスはダッと駆け出すと、上段から私に切りかかってきた。一方で、私は中段で構えて彼の攻撃を待つ。正直なところ、気力で立っているだけであって、もう全速力で走る力すら残っていなかった。

「アティナ! こんなところで死んだらお姉ちゃん許さないからね?!」

「そうですよ! 俺をまだまだ鍛えてくれるんでしょ、アティナ様っ!」

「大丈夫です! 私は、貴方を信じていますよ、アティナ様っ!」

 皆の声が聞こえる……。

 フフ。相手の動きに集中しなくてはいけないのに、皆の声に気が行ってしまう。

「お覚悟を! アティナ様っ!!」

 振り下ろされるアイレスの剣。それは今までの二倍以上の速度を持って私の頭へ向かってきた。私の視界は、その様を、まるでパラパラ漫画のように捉えていた。アイレスの動きが非常にゆっくりに見える。

『アティナ……強く生きなさい。自分の守るべきもののために……。そうすれば、きっと貴方は幸せになれるはずだから』

 そうだ。私はこんなところで……。

「っ?! ステップが変わったっ?!」

 振り下ろす最中にアイレスは目を疑う。私の踏み出した足は、前へではなく、斜め前に流れていくからだ。その動きはメティシアが得意とした技のひとつ。居抜き胴。

「うおおおおおおおっ!!」

 私は全気力を腕と剣に込めてアイレスの小脇を抜いた。その刃は彼の男としての筋肉を切り裂いて、肋骨の隙間から肺へ入り込んだ。その内臓を深く抉った上で、脇の裏から引き抜く。

 私が横一文字に剣を振り払うと、同じように上から下へ剣を振り下ろしたアイレスは血反吐を勢いよく吐き出した。どす黒い血が真っ赤な絨毯の敷かれた床の上に落ち、更にその上にアイレスは膝を突く。

「ち、父上ぇっ?!」

 フォベロス、ダイモスは慌ててテーブルを飛び越えると、崩れ落ちた父の元に駆け寄った。

「父上っ、お気を確かに!」

「は、早く手当てをしなければ!」

 そういう強大に対し、アイレスは首を左右に振った。

「肺を……抜かれた……。もう助かる術は……ない」

「な、なぜです父上! 見たところ、そこまで深くは……」

 というフォベロスだが、確かに彼の言うとおりだ。見かけは大した傷ではない。だが、私の居抜き胴は彼の肺を完全に切り裂いた。片方とはいえ、大量の出血が胸部で起こっているはずだから、いずれもう片方の肺も圧迫され、呼吸困難に陥って死ぬだろう。

「はぁ……はぁ……。あ、アティナーデ様……」

 アイレスは荒々しい呼吸をしながら、私を呼ぶ。

「ああ。是非もない」

 私はそう言うと、フォベロス、ダイモス兄弟の傍に立ち、剣を振り上げた。

「ま、待てアティナ! 父を助けてくれ! 俺の命をくれてやる! だから!」

 かつて、私が心引かれたフォベロスはそう言って私にすがってきた。男の癖に涙まで溢して私に訴えてくる彼を、人は情けないとか言うだろう。だが、私には彼を非難するつもりはない。私とて、こんな風に泣きじゃくって母の助けを求めたのだ。

「先輩……いや、フォベロス。ここはもう、介錯してやるのが最善だ。肺を潰したんだ。時間の経過とともにアイレスは更に苦しみ、もがき、死ぬことになる。父のそんな無様な醜態を晒したくないと言う気持ちがわからぬほど、貴様は馬鹿ではあるまい。私だって、心苦しいよ」

「し、しかし!」

 そういうフォベロスをダイモスが抱きかかえるようにして後ろに引っ張る。

「だ、ダイモス!?」

「アティナーデ様の言うとおりですよ、兄様。父上の様子を見れば、はっきりとわかるでしょう?」

 そういうダイモスの傍らで、アイレスは激しい呼吸を見せていた。血の噴出しながら、必死に窒息と戦っている。顔色は青ざめ、もはや声すら発することができなくなっていた。

 そんな彼の首筋に、私は刃を当てる。そしてそれを振り上げ

「アイレス。あの世で、母に土下座するんだな。我が母は絶対にこんなこと望まなかったはずだ」

「はぁ……はぁ……わ、わかり……ました……」

 彼がそう言ったところで、私は剣を振り下ろした。アイレスの首は綺麗に刎ねられ、床の上に静かに落ち、同時に大量の血液が床一面に広がった。

「…………」

 私は剣に着いた血を払った上で、父だった身体にすがり付くフォベロス、ダイモス兄弟を背後にデウシウスへと目を向けた。彼は恐怖で顔を真っ青に染めており、慌てたようにして自身の金色の剣を手にする。だが、アイレスと比べれば、こいつに何の恐怖も抱かない。

「気分はどうだ、デウシウス。忠臣として名を馳せたアイレスですら、貴様を憎んでいた。ああ、そうさ。貴様のせいで、数え切れない大勢の人間が苦しんだ。その報い、今ここで晴らさせてもらうぞ」

「ま、待ってくれアティナ! わ、私とて、アイレスに踊らされていたんじゃ! や、奴がサトゥル討伐の目処がついたと抜かし追ってな! じゃ、じゃからっ!」

「もう黙れ。あんな考えを持っていたとはいえ、私は敬愛していた師を殺した後なんだ……。この胸の痛みを更に抉るような貴様の声など、聞きたくも無い。お前が全ての元凶であることは間違いないんだよ。お前が、あの夜、母を犯したその瞬間にこの因果は決まったんだ。貴様のせいで、皆……苦しんで……」

 私はポロポロと涙を溢しながら声にならない声を上げた。

「私は……こんな結末望んでいなかった。ああそうさ。お前を殺したいと思っていた傍ら、私は、戦争なんか望んでいなかった。お前の欲望のせいで、どれだけの両国民たちが苦しんだと思っている!! だからっ……その貴様を、娘である私が断罪しなくて、誰がするんだよっ!」

 私は力任せに剣を振り上げた。

「あ、アティナぁっ!」

 デウシウスも慣れない剣を抜き、私へ斬りかかってくる。だがその恐怖に震える太刀筋を、私は剣で容易く破壊した。かと思えば、私は柄を握りなおし、斜め上へと剣を払い上げる。渾身の力で振り抜いたその剣は、恐怖に顔を歪めたデウシウスの首を深く抉って表へと飛び出てきた。

「あがぁっ! がふっ! げふっ!」

 気管を切り裂かれ、大量の血が底に流れ込んだために、デウシウスは首を抑え込みながらもがき苦しんだ。絶えず血が機関の中に入り込むため、咳を必死に行うのだが、血の泡が吹き出すばかりで、どうしようもない。

 私が止めを加えるために剣を振り上げると、その私の手をアルテミスとヘルメスがそっと重ねてきた。

「アティナ様。ここは、私たち姉弟にお譲りください」

「そうです。父殺しはいかような理由があれ、ご法度。止めは、俺たちが」

「……わかった」

 私は素直に剣を下ろして鞘に収めると、一歩、二人から後ろに下がった。正直、父を殺したい気持ちはあったが、私たちジュピネルの王族たちの陰謀に巻き込まれ、家も家族も失ったアルテミスたちの気持ちには負ける。ここは是が非でも譲らなければならなかった。

 アルテミス、ヘルメス姉弟は揃って、もがくデウシウスを下に見ながら剣を抜くと、その剣先を彼へと向ける。

「サトゥル前国王クロノスが一子にして現国王アルテミス」

「同じく一子ヘルメス」

「「父母、民たちの仇! いざ!」」

 二人はそう言って苦しみ悶えているデウシウスの背中から剣を突き刺し、完全に止めを刺した。我が父は二度三度と体を震わせたものの、すぐに動かなくなり、瞼は閉じられた。やがて、どす黒い血液が傷口から溢れ出てくる。

「ふぅ。ようやく終わったのね……」

 アルテミス、ヘルメスがデウシウスの首を刎ねようとしている傍ら、アフロディテが傷ついた身体を推して私の隣にまでやってくる。腹や足には夥しい血糊が付着しているのだが、すでに包帯が巻かれてあり、彼女も辛そうにはしていない。だが、相当な激戦であったことはわかった。あのヘラを倒したのだから、彼女はやはり金玉の戦乙女ディオネの娘なのだろう。

「ええ。これで全て終わりました」

 私はそう言って剣を鞘に治める。

「うっ……」

「アティナ?」

「うっぐ……えっぐ……」

 私はその場に膝を突き、両手を大理石の床に落とした。

「どうして……」

「え?」

「どうしてこうなるまで誰も止められなかったんでしょうか……。どこかで回避する手立てはあったはずなのに……。私は……数え切れないほどの人を失ってしまった。お世話になった人たちも、私を育ててくれた人たちも……みんな……みんなっ……」

 私は大粒の涙を溢しながら、炎の光に向けて手を伸ばした。

「どうして、戦うことしかできなかったんだっ!! なんで、戦争しかなかったんだよ、バカヤロウ!! 失った命は、もう二度と帰ってこないのにっ!! なんで、こんな最悪な結末しか用意できなかったっ!! ここは私の国だっ!! 私の故郷だっ!! それを、どうして私自身の手で焼かなくてはならなかったっ!! 」

 今まで溜め込んできた思いを涙に乗せ、そう泣き叫ぶ私の背後、アフロディテはポリポリと頭を掻く。そして、彼女は私のほう……ではなく、ヘルメスのほうを向いた。我が父の首を刎ねた彼は、黙ったまま頷くと、そっと私の傍までやってくる。

「もう、よろしいではないですか」

 ヘルメスはそっと、私の体を包み込んでくれる。あの燃え盛るタイタニアを眺めたときのように。

「アティナ様は私たちサトゥルのために多くのことをしてくださいました。そんな貴方が罪の意識に苛まれているのは、貴方に全てを任せてしまったこちらとしても心苦しいです。確かに戦争は悲劇でした。でも、裏を返せば、全てがゼロになったということです。これからは、戦争の無い世の中を築いていけばいいではないですか」

「そんな世の中が……本当に……できると思う?」

「やってみましょう。いつか、アティナ様がおっしゃっていたじゃないですか。どんなに強敵でも、あきらめてしまったらそれまでだと。やる前からあきらめてしまうのは、いけないことだと思います」

「…………」

 私はヘルメスの胸に顔を埋めた。

「そうよ、アティナ。このお姉ちゃんに任せておけば、貴方が悲しむような国にはしないわ。貴方の希望通りの国にしてみせる」

 アフロディテはそう言って胸を張ったが、傷口に響いたのだろう。途端に眉を潜めて前屈みになる。

「ええ。私もやっと王としての自覚がついてきました。この手で奪ってしまった命のためにも、住みよい世界を築いていきましょう」

 にこやかな微笑を浮かべるアルテミス。バカ娘と罵っていた以前とは比べ物にならないほど、彼女は大人になった。

 すると、そんな静まり返った空気を切り裂くように、王の間に女の子が飛び込んでくる。

「た、大変ですよ、アルティ姉様っ!!」

 それはヘスティアだった。

「どうしたのですか?」

 アルテミスが尋ねると、ヘスティアは血相を変えて

「ひ、火が城に燃え移りました! 早く脱出しないと皆黒こげになっちゃいますっ!!」

 それは不味い。

「……それはいけないな。アルティ、早く兵たちを連れて脱出しろ。このフロアの下の下に私たちが通ってきた抜け道がある。急げ」

 ヘルメスの腕の中で、目をゴシゴシ擦りながら、私がアルテミスに言うと、アルテミスは剣を鞘に収め、すぐにいつもの顔を取り戻す。

「はい! あ、でも……そこのジュピネルの方々はどうしますの?」

 そうだった。まだ私の兄弟や軍の重鎮、上流貴族たちが残っている。しかも、彼らはそのほとんどが戦争犯罪人だ。彼らが戦争の開始を決定して、サトゥルを攻めた。

「ここで殺すのは簡単だが、もう戦争は終わった。世界政府の法の下にそれぞれ罪を償ってもらおう」

「わかりました。アティナ様がそう言うのであれば異論はありません」

 ニコッと笑うアルテミスに、私もようやく微笑が戻った。

「さぁさぁ。とにかく早く逃げるわよ」

 一番大怪我しているアフロディテがそう言って一番に王の間を出て行った。私は兵たちに命じてジュピネルの人間全員に縄を打たせると、彼らを引き連れて王の間を出た。アイレスの遺骸は首、胴体ともにフォベロスとダイモスが運び、デウシウスらの屍は王の間に残されることとなった。

 それから一時間足らずでジュピネルの都の象徴であったガリレウス城は炎に飲み込まれ、数時間後には音を立てて崩れていくことになる。それはジュピネルの終焉の証となり、このオリンピアヌス地方の新しい時代の始まりでもあった。

 私はその光景を、都の外から黙って見つめていた。

 

 

 

 

 


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