第十三章  鎖と鳥篭

 

 

「おい、道を開けろ!」

「早く退け!」

 王の間からワンフロア下に降りていくアフロディテと紫電の戦乙女ヘラ。その二人の尋常ではない威圧感に押され、階段を守っていたグラウコーピス軍の兵士たちはゾロゾロと道を開けた。

 そのフロアはほぼ、グラウコーピス軍の制圧化にあったといっていい。そのフロアは主に貴族たちの部屋が連なっていたのだが、そこに宿泊していた貴族たちは突如として現れたグラウコーピス軍によって捕縛され、現在は下のフロアにある劇場へと連れて行かれている。アルテミスとは違い、私は捕虜については彼らの判断に任せているので、抵抗しない限りはおそらく大丈夫であろう。

「まったく……。戦の勝利記念して夜通し騒ぐっていうから楽しみに眠っていたのに……。目覚めて見たら別の意味で大騒ぎ」

 人気のなくなった廊下を進みながらヘラはそう言う。アフロディテもまた、普段のお茶らけた彼女とは一変し、獲物を狙う鷹のように、鋭い目つきとニヤリと笑う口をして紫電の戦乙女の後ろを付いていく。これが最上級暗殺部隊を束ねていた兵士の顔なのだろう。

 やがて、廊下も半分を過ぎた辺りでヘラは振り返り、その艶やかな胸の上に手を置いて

「ねぇ、戦う前に聞かせて。ディオネは死んだの?」

「ああ。赤ん坊だった私を生かすために餓死の道を選んだよ」

「へぇーそぉ。全く、どうして二人とも私を置いて先に逝くのかねぇ」

 ヘラはそう言うと、胸の上に置いた手を綺麗な装飾が施された剣へと向け、柄を握って引き抜いた。綺麗に磨かれた諸刃が姿を見せ、それは窓の外から差し込む赤々とした炎の光を浴びて眩く光った。彼女はその剣先を、大剣を担ぐアフロディテに向ける。

「ねぇ、アフロディテちゃん。できることならば、私をあの二人の居るところへ送ってくださらないかしら? あの二人はまだまだ若くいるでしょうけど、私はもうあの子達の二倍は歳を取ってしまった。このままおばあちゃんになってあの二人に会ったら、きっと馬鹿にされてしまうわ」

「是非もねぇよ。フフ。だが、私がフロディアでなく、アフロディテに立ち返った今、ラクには殺さねぇよ?」

「あらそぉ? それはそれは楽しみだわ。どんな風に私を殺してくれるのかしら? でもぉ、貴方のほうが嬲り殺しにされてしまうかもしれないわねぇ」

 次の瞬間、二人の姿はその場から消え失せ、次のコマには数メートル先で激しく激突していた。その衝撃で空気は弾け飛び、かまいたちを呼び起こして、両者の頬や手の甲などを軽く切る。その衝撃を生かし、二人は一度後ろへ飛び、速やかに剣を構えた。

「へぇー。やるわね。流石はディオネの娘ね。あの子も貴方のように大きな剣を軽々と振り回して敵を倒していたわ。でも、やはりスピードでは私やメティシアに適わなくてね……。私たちの中では一番格下だった。貴方は、そのスピードをちゃんと獲得しているようね」

 ゴシゴシと、頬から滴る血を拭いながらヘラはニヤリと笑って言った。

「でも、貴方はディオネより弱いわ」

 ヘラは再びダッと駆け出すと、剣を振り上げてアフロディテに殺到した。

「私を甘く見るなよっ! ダイヤル一、死針放出!」

 アフロディテは鍔を回転させ、目盛りを一に合わせた。すると、剣先が上へと上がり、鉄の筒がその姿を露にした。同時にアフロディテは柄付近のトリガーを引く。プシュプシュという音が発せられ、鉄の筒から五寸釘がどんどん放出され、それらは迫ってくるヘラ目掛けて飛んでいった。

「?!」

 ヘラはすかさず横へ飛び、五寸釘の雨を避ける。だが、その彼女に向けて、アフロディテは射線を動かして追撃する。すると、またヘラは逆方向へ飛び、五寸釘の雨をかわした。

「ちっ」

 釘が切れ、筒の中から何もでなくなると、アフロディテはすかさずダイヤルを回して剣先を元に戻した。

「見かけよりすばしっこいな、おばさん!」

 そう馬鹿にされてもヘラは顔色を崩さず、むしろ、楽しげに胸を撫でながら

「吃驚したわぁ。どういう仕組みになっているのかしら」

「私を殺してから剣を奪って研究してみな」

 アフロディテは再度剣を担ぐと、今度は自分からヘラ目掛け猛然と突進した。ヘラはヘラで、隠し武器が幾つ仕込まれているかわからない大剣に警戒し、迂闊には突っ込まず、彼女に合わせる形で剣を振った。顔は余裕そうな表情を浮かべてはいるが、目はアフロディテの手許に注がれており、彼女がダイヤルを回すかそうでないかを見定めている。

 何度も何度も激しく刃がぶつかり合い、火花散らす最中、アフロディテもヘラも、決して表情を崩さずに相手を睨み、それぞれの剣舞を舞った。重たい大剣でパワーと破壊力は桁外れながら、ヘラも普通の剣でよく応戦した。しかし、流石は紫電の戦乙女と詠われたヘラ。彼女は経験の差を存分に発揮してアフロディテの上を行く。

「あらあら。お股ががら空きよ?」

 剣同士のぶつかり合いに集中していたアフロディテのがら空きになっている股間に、ヘラの鋭い蹴り上げが直撃。女でも人体急所の一つを金属のブーツで蹴られたアフロディテは激痛に顔を歪める。

「ぐっ!」

「フフ。女の子でも痛いのよねぇ、そこ」

 アフロディテの力が緩んだところでヘラは彼女を押す。細い腕ながら物凄い力で押されたアフロディテは壁に背中を打ちつけた。

「く、くっそっ……」

歯を食いしばりながらも力に負けまいと壁に足をかけて支えにし、大剣でなんとかヘラの刃を防いではいるが、見かけによらずのヘラの力は強く、ヘラの刃は徐々に徐々にアフロディテの首筋目掛け迫ってきていた。

「苦しそうね。このまま力を抜いてラクになってもいいのよ?」

「う、うるせぇぇっ! 御免蒙るっ!」

「フフ。言葉遣いといい、顔つきといい、本当にディオネにそっくり」

「あ、ありがとよ!」

「だからこそわかる。貴方の弱点」

 ヘラはそう言って更に力をかけて刃を近づけていく。刃はアフロディテの首筋に触れ始めており、彼女が力を入れてやれば、アフロディテの柔肌を切り裂いて、血を滴らせる。

「貴方の弱点は心。強気を翳してはいるけれど、実はとてもとても弱いの。傷つけられるのを恐れ、逃れるために強気を張っている感じなのかしらね。けど、簡単な言葉一つですぐに崩れるの。貴方は誰も守れない」

「っ?!」

 ヘラの言葉に一瞬の動揺を見せるアフロディテ。その顔を見たヘラはニヤリとほくそ笑んで唇を舐める。

「貴方は自分を守りたいだけ。実に人間的で、傲慢で、自己中で。今までもそうやって生きてきたんじゃないのかしら? 貴方の目、軍人の目つきをしているわ。貴方は軍にいた。ってことは、その過程で貴方は仲間を、部下を、見殺しにしてきたんじゃないの?」

「そ、それはっ……」

「思い当たる節があるようね」

 ヘラはそう言うと、アフロディテの腹に膝蹴りを打ち込み、よろけたところで左ストレートを打ち込んだ。その格闘家顔負けの徒手空拳をモロに打ち込まれたアフロディテはその大剣ごと吹き飛ばされ、廊下の上を滑っていった。

「はぁ。ほんと、弱弱しい」

 ヘラは冷酷なまでに冷淡な瞳を彼女へと向けつつ、歯を食いしばって立とうとしているアフロディテへと歩む。だが、顔に喰らった一撃の衝撃は重く、彼女は立つのがやっと。フラフラと立ち上がったかと思えば、壁に手を突いて荒々しい息を上げる。

「はぁ……はぁ……」

「ディオネはもっともっと骨があったわよ? 私の拳何発喰らってもケロっとしてた」

「う、うるせぇ……。私は、母さんとは違う……」

「ええ。あの子と同列にはしない。したくないもの。きっと、墓の下で嘆き悲しんでいるでしょうね。こんな弱弱しい娘の無様な醜態を。どうして、貴方を助ける道を選んだのかしら」

「いいや、喜んでくれるさ! これから母より強かった貴様を殺すんだからな!」

 アフロディテはそう叫んで剣を振り上げる。しかし、彼女の喰らっているダメージはかなり大きく、万全のときと比べて、彼女の剣は動きが鈍かった。

「隙だらけ」

 ヘラはクスリと微笑むと、一目散にアフロディテの懐に入る。

「くっ?!」

「フフ」

 短く笑い声を上げる彼女は、剣を横に払う。その瞬間、アフロディテの腹部を深く切り裂いた。彼女の真っ赤な血がヘラの剣とともに外へと弾き出され、ボタボタと赤いカーペットの上に雨を降り注がせた。

「かはっ!」

「二の太刀っ!」

 間髪いれずにヘラは剣で切り上げる。その刃はアフロディテの右太股の付け根を切り裂いて上へと舞い上がった。

「うぐっ!」

 終いに、ヘラはアフロディテの傷を負った腹部に痛烈な蹴りを入れて、彼女の体をまた何メートルも吹き飛ばす。アフロディテの体は二度三度と地面の上でバウンドして転がって行った。

「剣士たるもの、勝負中に負傷してはならない。負傷したら最後、決して万全の状態で戦えなくなる。ゆえに、剣の戦いであっても戦術は必要。感情に任せて剣を振るう輩は決して長くは生きられない。ディオネが散々に私やメティシアに言っていた言葉よ」

 ヘラは血まみれになった剣を肩に担ぎ、傷を必死に抑えながら苦しんでいるアフロディテへ吐き捨てる。アフロディテの怪我は思いのほか深く、大量の血液が、彼女がもがくたびに辺り一面に広がっていった。

「ごめんなさいね。嬲り殺しにするつもりだったけど、手許が狂ってしまったわ」

 ヘラは余裕の声を上げつつ、アフロディテへと歩いていく。

「はぁ……はぁ……」

 一方で、切り倒されたアフロディテは、真っ赤に染まった自分の手を必死に剣へと伸ばしていた。クルクルっと巻かれた金色のロールヘアも真っ赤に染まっており、まるで私アティナーデの髪のように赤々としていた。

「アティナの……言うとおりだわ。あの女、恐ろしく……強い……」

 大剣の柄をなんとか掴むのだが、重さが尋常ではない大剣ゆえ、いかにアフロディテといえど、大量の失血では持ち上げること適わなかった。

「参ったなぁ……。お姉ちゃん、かっこつけて出てきたのに……」

 ダイヤルだけはなんとか回せる。だがしかし、剣自体が持ち上がらないのでは、火炎放射やその他の隠し武器は使いようがなかった。更にはヘラが彼女の前に佇み、片足を大剣の峰に乗せて、完全にその動きを奪った。

「貴方はもうおしまい。私の始末は、アティナちゃんにでも頼むわ。まぁ、あの子がアイレスに勝てるとも思わないけど……」

「それは……どうかしらね。アティナは……私と違って強いわよ?」

「いいえ。あの子は貴方よりもっと弱いわ。感情的になりすぎて己が見えなくなることが今までもよくあった。そうなれば最後、剣の切れは鈍くなるばかりか、攻撃が単調になって動きを読まれる。簡単に迎撃されておしまいよ。ずっとずっとそうだった。あの子は、メティシアのことばかり追いかけて、彼女の真似ばかりして……」

 ヘラは剣を握っていないほうの手をグッと握り締めた。

「あの子はあの子なりの生き方があっただろうに……。あの子は決してメティシアにはなれないのに……」

「……私はメティシア様のことは知らない。でも、アティナはアティナとして生きているわよ。たった二週間ほどの付き合いしかしてないけどさ、国を守ろうとタルタロス山脈を越えるなんて馬鹿なこと言い出したり、戦いの前になって兵士たちを死なせるのが怖いとか言い出したり。メティシア様はそういうことできる、言う人だった?」

「……いいえ」

「じゃあそこはもうアティナオリジナルじゃん。それに、あの子は何度も言っていたよ。母を越えたいって。ってことはさ、メティシアの真似じゃなくて、その先を目指しているってことだよね。そりゃあさ、越えるっていうことは同じベクトル上を歩いて、同列になってようやくプラスマイナスゼロになってさ、そこからようやくプラスになっていくものだけど、プラスになったらもうそれはメティシア様の真似じゃなくなるよ。アティナはアティナ自身の生きる道を確かに進んでるわ」

「屁理屈ね」

 そのヘラの言葉に対し、アフロディテはニッと笑った。

「優しい私のお母様なら、きっとそう言うと思うよ」

「……ええ。きっとそうね」

 ヘラはそう言うと、両手に剣を持ってそれを振り上げる。剣先は、もはや動くこと適わないアフロディテへと向けられている。

「最後に言い残すことはある?」

 ヘラがそう尋ねると、アフロディテは最後の最後に満面の笑みを浮かべて

「ええ。お母さんによろしく」

 アフロディテはそう言うと、トリガーを押した。すると、彼女の剣の柄が外れ、二十センチばかりの刃が突いた矛が大剣の中から姿を現した。

「なっ?!」

「奥の手は、最後までってね」

 アフロディテがそれをヘラへと振り回すと、その刃はヘラの太股を軽く切り裂いて振りぬいた。その勢いで、矛は握力がほとんど抜けていたアフロディテの手からすっぽ抜け、カランカランと音を立てて廊下の上を転がっていった。

「……ふぅ」

 ヘラは思わずそう息を溢した。

「危なかったわ。でも、最後の取っておきも、貴方は外してしまったわね」

「はぁ……はぁ……。そぉ、残念」

 アフロディテは荒い息遣いをしながら、血が滴る腹と足を押さえながら上半身を起こす。その首筋に、ヘラは刃を突きつけた。

「首は刎ねて欲しい? それとも、首筋だけ切り裂いて欲しい?」

「そうね……。痛くないほうをお願いしたいわ」

「じゃあ、刎ねてあげましょう。一瞬で意識が飛ぶはずだから、痛みは感じないと思うわ。まぁ、その辺は私も刎ねられたことがないからわからないのだけれど」

「一度、経験してみなよ。きっと、新境地が開けると思うわ」

「ええ。機会があれば」

 ヘラがニヤリと笑って剣を振り上げたときである。

「んっ?」

 彼女は体の中に違和感を感じた。かと思えば、彼女はヨロヨロっと姿勢を崩したかと思うと、壁に背中を打ちつけ、口元を抑え込んで激しく咳き込む。

「え……え?」

 ヘラが掌を眺めると、そこにはどす黒い血液がべったりと付着していた。

「こ、これって……」

 途端に、ヘラは膝の力を失い、ドサッと音を立てて廊下の上に崩れ落ちる。左右の腕で起き上がろうとするのだが、その両腕には全く力が入らず、体を持ち上げることは愚か、指を動かすことすらできない。

「な、何が……」

 そのヘラの視線の先には、先程アフロディテが振った矛が転がっている。その矛は廊下に差し込む炎の光を浴びて光っていたのだが、その光によって、矛の刃が濡れていることに彼女は気づいた。

「あ、あれは……まさか……」

「ええ。そうよ」

 その傍、アフロディテが腹と足を抑えながら佇んでおり、肩で呼吸しながら激しい痛みと戦っていた。

「私が最初に貴方に撃った五寸釘。実は、あの釘には毒が塗ってあってね……。強力な神経毒で、掠っただけで致命傷を受ける優れもの。それと同じ毒があの矛にも塗ってある。だから、私は貴方の太股を切り裂いたとき、勝ったと思った。あとは、口八丁で時間を延ばし、毒が全身に廻るのを待つだけ……。予想より長かったけど、効いてくれて嬉しいわ。そんなに若作りしてるんで、普通の人と体の構造が違ってたらどうしようって思ってた」

「けほけほ……ど、毒なんて……」

 ヘラの口からはどんどん血と泡が吹き出され、彼女の綺麗な顔を汚してく。

「私は……貴方の友だったディオネのような綺麗な剣士じゃない。貴方が察したとおり、私は軍にいた。でも、私は表舞台で凛々しく戦えるような兵士じゃなかった。暗殺を専門として、政府に不都合な人間を確実に仕留めるように訓練を受けた殺人機械。卑怯と罵られても、私は構わないわ。私たちにとって勝てばいいのではない。殺せばいいのだから」

「なるほど……。そこまで、読めなかったわ……」

 ヘラはそう言うと、ゴロンと最後の力を振り絞って仰向けになる。

「何か言い残すことはあるか?」

 と、アフロディテが尋ねると、ヘラはにこやかに笑って

「はぁ……はぁ……貴方の母に会ってくるわ。貴方こそ……愛する母に伝えることはあるかしら?」

 そう言われ、アフロディテはニッと笑って

「ありがとう……って」

「フフ……了解」

 ヘラはそれを最後にピタッと動くのをやめた。目は完全に閉じられ、呼吸を示す胸の動きも停止する。

「はぁ……はぁ……。お姉ちゃん……勝ったよ、アティナ」

 アフロディテはそう言いながら壁に手を突き、壁伝いにグラウコーピス軍が目を光らせる、このフロアの階段へと歩いていった。

 

 

 

 燃え盛る都は尚いっそう、その強さを増して燃え盛る。逃げ惑う市民たちを容赦なく炎の渦が巻き込み、一瞬で黒焦げの墨の塊へと変えてしまう。阿鼻叫喚の悲鳴が町中から轟き、その都度、老若男女の命が次々に消え果てていく。

 その地獄の中、王城前広場ではアルテミスと、私の弟であるハディス、アルテミスの姉であるフェルセポーネが対峙していた。その周囲を取り巻くのはサトゥル、ジュピネルの兵士たち。グラウコーピス軍の旗手を任されたヘスティアも、従姉の姿に息を呑んで視線を送っていた。

「はぁ……はぁ……。私はサトゥルになったのですっ! この私が、この戦争を終わらせなくてどうするのです!」

 両手に握り締めた剣を構え、アルテミスはフェルセポーネ、そしてハディスに言った。

「何を言ってるんです? もう戦争はとっくの昔に終わっていますの。サトゥルは滅亡したのですわ」

「その通りだ。亡国の姫め。俺たちの町をここまで滅茶苦茶にして……。ここで貴様の息の根を止めてやる」

 ハディス、フェルセポーネは揃って剣を構え、有無を言わさずにアルテミス目掛け殺到した。卑怯と人は言うだろう。だが、二人はそんなこと構わず、ただただ輝かしい未来が待っていると考えていたジュピネルの都を、ここまで燃やしたアルテミスに対し、復讐心だけを胸に殺到していた。ヘラと違い、勝負を楽しむつもりはなく、アルテミスを殺すためだけに絞って、容赦なく剣を振るう。

 一方で、アルテミスは器用に二つの剣を駆使して二人の剣舞を受け止める。私と比べると、腕の劣る二人ではあるが、それなりの剣術を持っているため、一撃一撃が非常にキツい。しかし、アルテミスはその太刀筋をよく読んで受け止めていた。

 右。上。左。また右。

 繰り出される二人の乱撃を、アルテミスは容易く受け止める。眉間に皺を寄せ、頬を伝う汗を拭う間もなく、彼女は迫り来る自分の死と戦った。

思えば、彼女はつい先日まで人を殺したことすらなかった女の子である。私にバカにされ、人前では上がって話せないような女の子である。その彼女が、美しいと持て囃された顔、体を血と汗と煤で汚し、眉間には深い溝を刻み、自分を殺したくて振るわれる剣を必死に食い止めているのである。

その姿をただただ傍観させられているグラウコーピス軍の兵士たちは、誰しもが顔を歪め、彼らの誇りと、守るべき君主の無事を心から祈った。

彼女が死ねば、彼らがここまで戦ってきた価値は失墜する。まだヘルメスこそいるが、こんな短期間で女王を失えば、彼らの軍人としての人生は幕を下ろすこと確実だ。彼らは目の前で主君を殺された。これほどまでに軍人としてのプライドを粉砕することはない。同時に、もしもアルテミスが殺されたならば、全員、アルテミスの仇を討ったあとで腹を切る覚悟を決めた。

 そんな彼らが見守る中、大勢の人間の命が結集したような存在になったアルテミスは、白い髪を大きく靡かせながら、ドレスの裾に皺を刻み、敵将と裏切り者の刃を受け止めていた。

「くっ! なんなんですの、貴方?! 攻撃が当たらないっ?!」

 繰り出しても繰り出しても受け止められる刃。プライドの高すぎるフェルセポーネは悔しさを顔に出して叫んだ。

「アティナ様や、ここにいる兵士たちの比べれば、貴方のようなヘボ剣士の太刀筋など、欠伸が出てしまいます。ふぁーあ」

「お、己ぇっ!!」

 フェルセポーネが剣を大きく振りかぶって斬りかかる。だが、それは最大のチャンスであった。動作の大きくなる振りかぶりは、どうぞ、返してくださいと相手に言うようなものだ。それを受け止め、刃を滑らせて胴を抜けば、いかに鎧で守られていようとダメージを与えられる。

 アルテミスは振り下ろされる刃に対して、自身の右側の刀を持ち上げた。

「もらったぁ!!」

 だがその瞬間、フェルセポーネの前にハディスが割り込んできた。彼は低い姿勢のままから横なぎに剣を振り、その切っ先はアルテミスのウエスト周りを守る銅板を破壊して、彼女の柔らかくてスベスベしたお腹を横一文字に切り裂いた。

「ぐぅっ!! はっ!?」

「こっちもおりましてよっ!!」

 大きく振りかぶったフェルセポーネの唐竹割りが炸裂。力いっぱいに垂直で振り下ろされた剣はよろけたアルテミスの頭を直撃する。その一撃はアルテミスの前頭部に取り付けられた矛型のティアラを破壊し、そればかりではなく、アルテミスの前頭部にまで刃はめり込み、鮮血が空に舞った。

 アルテミスは、二歩、三歩と後ろによろめいて、ついに腰を落とした。

「アルテミス様ぁっ!!」

 と兵士たちが大声を上げるのだが、彼女の名誉のためにも、駆け寄ったり、彼女に加勢することはできず、皆々、歯を食いしばってアルテミスを見つめていた。

「フフ。私たちは二人おりましてよ?」

「一人だけに集中するなんて、愚かな」

 と、まるで勝ったような口ぶりで立つフェルセポーネとハディス。すると、彼らが率いてきたジュピネル軍の兵士たちは大歓声を上げた。

「はぁ……はぁ……」

 不味い。

 お腹の傷のほうは大したことはないが、前頭部への一撃がかなり効いた。出血が酷く、アルテミスの顔半分が赤で染まり、右目の視界は完全に奪われていた。残った左目も、脳への一撃のせいで視界が歪んでしまっている。これでは距離感が正確につかめない。

「くっ……」

 どうにかこうにか剣を杖代わりに立ち上がるアルテミスだが、左目の視力だけでは、並んで立つ敵将二人に対し、左側に居るフェルセポーネしか入ってこない。ハディスの動きがまるでわからなくなる。

「アルテミス」

 そんなアルテミスに対し、フェルセポーネはニヤリと笑って

「自害しなさい」

 と言った。

「はあ……はぁ……。なんですって……?」

「このまま戦っても無意味ですわ。貴方に勝てる見込みは全く無い。このまま私たちが膾切りにして差し上げてもよろしいのですが、貴方とは血を分けた姉妹。寛大な慈悲を以って、貴方には武人として名誉ある自害の道を選ばせて差し上げますわ。ああ、なんて心優しい私。この私の素晴らしい愛を以って、早く首を切りなさい」

「はぁ……はぁ……」

 そう言われて、荒々しい呼吸をしているアルテミスは、何を思ったのか、自らのスカートの裾に片方の剣を宛がう。そして、その刃で切り込みを入れたかと思うと、ビリビリと破いた。眩い炎の光で、彼女の右の太股がはっきりと現れる。

「あら? 一体どうしたのですか? まさか、ここで恥ずかしい部分を見せるので許してくださいとでも言うのですか? アッハッハ。ずーいぶん面白いことをしてくださるのですねぇ。あの白玉の剣士と詠われた貴方が、大勢の前でストリップなどとは」

 彼女がそう言った瞬間、アルテミスは切り込みを入れた部分から少し離れたところに、また切れ込みを入れる。そして、引き裂く。スカートの布は破りとられ、更に彼女の太股が顕になるが、彼女はそんなことは気にせず、破り取った布を額に巻いた。まるで鉢巻のように。そして、血に塗れた顔を袖でゴシゴシ拭えば……。

「見える」

 アルテミスは白い歯を顕にして刃を二人に向けた。

「誰がストリップなどするものですか。自害も同じく。私はここで貴方たちを始末して、アティナ様の勝利を完全なものとさせていただきます。もう油断はしません。さ、かかってらっしゃい」

「減らず口をっ……! もう容赦しませんわ! ハディス様、参りましょう!」

「はいっ!」

 アルテミス目掛け、フェルセポーネ及びハディスが駆け出して殺到してくる。アルテミスもまた、額に鉢巻を巻いた姿で二つの剣を振り上げ、彼ら目掛け駆け出す。スカートの裾を切り裂き、走りやすくなった格好で、彼女は猛然と二人に突っ込んで行った。

 再び始まる激しい乱撃。だが、今度のアルテミスは一方的に受け止めるのではなく、果敢に前へと出ては二人に攻撃を繰り出していた。しかも、全部返し技。相手から剣が振り下ろされるとそれを受け止め、刃を滑らせてカウンターを繰り出す。向こう側は剣を一本しか持っていないので、それを防ぐのに四苦八苦する。

「どうしたのですか、お二人とも! たった一人の小娘相手に苦しそうですね!」

「きゃあ!」

 アルテミスの突きが、とうとうフェルセポーネを捉えた。彼女の左肩にアルテミスの剣先が突き刺さり、フェルセポーネは悲鳴を上げて後ろへ下がる。

「フェルセポーネ様?!」

「余所見厳禁!!」

 隙を見せたハディスにもアルテミスは斬撃を加えた。フェルセポーネとは違い、全身を紫と金縁の鎧で包まれたハディスであるが、切れ味抜群のアルテミスの剣は金属板を切り裂いて、その際の肉体をも割った。

 胸を軽く切り裂かれたハディスは、咄嗟に後ろへ飛んでアルテミスとの間合いを取る。

「まさか、これほどとは……。なるほど、噂に名高い剣士だ」

「お褒めに預かり光栄です。我が名はアルテミス。サトゥル国王にして、白玉の剣士。舐めてかかると大怪我しますわ」

 アルテミスはクスリと微笑むと二つの剣をそれぞれの敵へと向けた。

「じょ、冗談じゃありませんわっ! あんな小娘一人、簡単に倒して差し上げますわ!」

 左肩を怪我しても、剣を振るうのは右手。フェルセポーネは怒気を強めた顔をして、アルテミス目掛け走っていった。

「どうして、いつもいつも貴方だけっ!!」

 フェルセポーネの一振りを、アルテミスは二本の剣を左右で交差させて受け止める。

「なんで……なんでいつも貴方ばかり!! 私は、この日のために血の滲むような訓練を積んできましたっ! 父に内緒で眠る時間を削ってまで夜遅くに剣術を教わり、それでも足りないと考えて部屋でも練習し、頑張ってきたのに! どうして、貴方のような毎日ヘラヘラしている小娘にひっくり返されないといけないのですっ!!」

 フェルセポーネの頬に涙が伝う。

「私だって人なのに……。自由を奪われ、国の発展のための人柱にされる! そんな束縛から逃れたいと願っただけなのに……どうして!」

「それが理由ですか? 貴方は……それだけのために大勢の人を不幸にしたのですか?」

「それだけ? それだけって何よっ!」

 すると、アルテミスはギロリとフェルセポーネを睨む。

「貴方は言いました。タイタニアは、貴方を囲う大きな鳥篭だと。私はそうは思いません。私とていつ他国の殿方と結婚させられるかわかりませんでした。アティナ様と楽しく仲良くしていけたら、どんなに愉快かってずっと夢に見ていました」

「ええ、そうね! 貴方はそれを適えたわ! それは、父が貴方に甘かったからよ! 私はそんな自由はもらえなかった! だから鳥篭を破壊してやったのよ!」

「私だって!! 鳥篭を破壊したんですよっ!!」

 アルテミスは剣の柄に力を篭めて叫んだ。

「嘘……。嘘言わないで! 鳥篭はタイタニア! 忌まわしきサトゥルの都っ!」

「違うっ! 鳥篭は自分自身の心の弱さですっ! 何も出来ない、しても無駄、そんな考えが本当の意味での鳥篭なんですっ!! 私はそれを取っ払った! 一度駄目でも二度でも、三度でもダメといわれても食い下がったんです! 私が軍学校に通うようになれたのは、私があきらめなかったからです! 私だって、父には何度も却下されましたっ! でも、私は何度も足重に通って訴え、半ば強引に軍学校へ行く許可をいただいたのですっ! 貴方は何かしましたか?! たった一度断られただけであきらめたのではないのですか?!」

「うっ……それは、貴方がっ!!」

「鳥篭の仕組みはご存知ですか?!」

「な、何を急に……」

「飼われている鳥は鳥篭の中でしか生きられないっ! でも、鳥篭に鍵がかかっているかといえばそうではありません! 鳥篭の入り口を上へと押し上げてやれば簡単に開くんです! やろうと思えば、自由の世界に羽ばたくことが可能になるんですよっ!!」

 アルテミスはそう言うと、フェルセポーネを力任せに押し返す。

「私は自分の鳥篭を破壊して自由になった! この自由、もう誰にも阻ませない! さぁ、来なさいバカ女! 貴方を生という鳥篭から、死という自由へ責任を持って羽ばたかせて差し上げますっ!!」

 そう言って二つの剣をフェルセポーネとハディスに向けるアルテミス。その顔はもはや、普段の彼女が見せるような、優しい顔ではなく、私のような実に頼もしい顔だった。そして、その顔はサトゥルで生活していく人々の大きな希望だった。

「もう許しませんわっ! 重ね重ねの侮辱の数々! 後悔させて上げますわ!!」

「お供します、フェルセポーネ様っ!」

 立場こそ違えど、この二人は私とヘルメスのような間柄であったのではないだろうか。ハディスはよく彼女に従った。我がままで気位の高い小娘ながら、ハディスは年下の人間として彼女を慕い、よく立てたと思う。だが、そんな二人の絆も、目の前でサトゥルの未来というバカでかいものを背負っているアルテミスにとって見れば、地べたを這い蹲る蟻のようなものだった。

 ダッと駆け出すフェルセポーネとハディス。二人は別方向からの十字斬撃を加えようとしたようである。フェルセポーネは剣を大きく振り上げ、ハディスは剣を右側に振りかぶる。これらがクロスすれば、アルテミスもただではすまないだろう。だが、向かって来る彼らに対し、アルテミスは勝気な笑みを浮かべていた。彼女はその二つの剣をそれぞれ後ろに回し、大きな歩幅で二人へと殺到した。

「アティナ様なら!!」

 彼女は広場のアスファルトをハイヒールで踏みしめ、脹脛に大きな力を篭めて空へと飛び上がった。その鳥のような跳躍は、フェルセポーネ、ハディスの息を合わせた複合攻撃を軽々と避けきる。彼女は二人の背後に着地した。

「背後をっ?!」

「己ぇ、アルティ!!」

 二人の背後に降り立ったアルテミスは、刃を返し、ニヤリと笑って

「勝負アリです!」

 全身を回転させて繰り出された横なぎは驚きに包まれたハディスの首筋と、歯をかみ締めるフェルセポーネの首筋を直撃する。柔らかい肌で構築される首筋に打ち込まれたアルテミスの剣は、いともたやすく動脈へと達し、止めとばかりにそれを打ち抜いた。

 噴水のように吹き上がる大量の血飛沫。それが齎す雨を浴びながら、アルテミスは剣を鞘に収めた。その背後で、フェルセポーネ、ハディス両名は最期の力を振り絞って手を握り合い、ドッと前のめりに倒れていった。

「は、ハディス様ぁっ?!」

「フェルセポーネ様っ?!」

 まさか、大将が討ち取れるとは思ってなかったジュピネルの兵士二百名は俄かにざわつき始めた。彼らは慌てたように剣を抜き、千を越えるサトゥル軍を威嚇する。そんな彼らの前に、アルテミスは血に塗れた姿で立つ。

「貴方たちの将はこのアルテミスが討ち取った! まだ戦いを続けようとするのであれば、存分に立ち向かえ! 最後の命のともし火を以って、死に花咲かせるが良い!!」

 彼女がそう叫ぶと、二百の兵たちは一瞬、ビクつく素振りをみせたのだが、アルテミスに最も近かった士官が切り込むと、我も我もと最後の突撃を敢行した。

「全軍っ、一人も生かすな! サトゥルの勝利を完全なものとせよ!! 私に続けぇっ! 突撃ぃっ!!」

「「おーっ!!」」

 アルテミスの大号令を受け、サトゥルの兵たちは待ってましたと屍で築かれた陣より前へと飛び出していった。アルテミスもまた両手の剣を振って突撃した。彼女は頭や腹の傷など目もくれず、まるで私のように剣を振り回しては、敵を討ち取った。それに呼応するようにグラウコーピス軍は士気旺盛に突撃し、最後の突撃を敢行してくる敵に槍や剣を突き刺して行った。士気の差もさることながら、数の差が歴然ということもあって、グラウコーピス軍は然したる被害も受けることなくハディス率いるジュピネル軍を完全に殲滅した。

 広場がさらに大勢の人間の骸で埋め尽くされたとき、グラウコーピス軍は勝どきの声を上げた。炎で染まった空に翻るサトゥルの国旗に向けて剣を掲げ、「エイエイオー」と、腹から振り絞るような声をあげ、勝利を祝った。その先頭にいるのはアルテミス。サトゥルとなった彼女は自分の血と他人の血が織り交ざった姿で旗の前に立ち、不運の最期を遂げた家族へ祈りを捧げた。

「ティア、ご苦労様でした。もう、下ろしてもいいですよ」

 アルテミスがそう言って、旗を掲げ続けたヘスティアに言うと、ヘスティアは首を左右に振って。

「まだ城の中が残っています。私、アティナ様やフロディアさんが笑顔で城から出てくるまで旗を降ろしません!」

「フフ。いい心がけです。でもぉ、そろそろここも危なくなってくるので、城の中へ退避しなくてはなりません。下ろしてくれないとこちらが困ってしまうのですが……」

 すでに炎は住宅街のほとんどを包み込み、王城前広場にもいつ炎の竜巻が襲ってくるか分からない状態にあった。炎の竜巻に巻かれればいかにグラウコーピス軍といえど、瞬時に炭化してしまうだろう。

「ぶぅーぶぅー」

「そんなに拗ねないの、ティア」

「だって姉様すごく格好良かったし……。私だってカッコつけたい」

「そう言われても困りますぅ」

 すると、そんなアルテミスとヘスティアに仕官がやってきて

「とりあえず、城の中へ。アルテミス様のお怪我のほうも心配です」

「ええ。でも、怪我は大丈夫。もうなんともないわ」

「いえいえ。病原菌が傷口から入れば大変なことになります。特にアルテミス様が頭に負われた傷からばい菌が入り、悪化してしまえば、私たちがアティナ様に殺されます」

「あらあら。分かりました。すぐに手当てをお願いします」

「はっ」

 仕官はペコリと頭を下げると、全軍に王城の中への退避を命じた。アルテミスやヘスティアも下士官たちに周囲を囲まれながら王城の中へと入っていく。その最中、アルテミスは一度だけ広場のほうを振り返った。視線の先には手を取り合って絶命したハディスとフェルセポーネの姿があった。

「もっと、違った形でお会いしたかったです。お姉様」

 彼女はそう言って、王城の中に姿を消していった。

 

 

 

 

 


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