第十二章 紫電の戦乙女ヘラ

 

 

「ふぅ。この辺の敵は駆逐できたようですね」

「ええ。そのようです。怪我はないですか、アルテミス様?」

「はい。少し疲れましたけど、皆も頑張って戦っているんですから、泣き言は言えません」

 南北大通りを突き進んでいたアルテミス、アフロディテ率いるグラウコーピス軍本隊。頑強な敵の抵抗を、その知略と行動で突破した彼女らは、王城をもう目の前にしていた。

二ブロックほど進んだところに王城前広場があり、おそらくはそこが最後の敵の防衛陣地となるだろう。それを抜ければ、後は王城ガリレウス城に突入するだけである。そこを目指しつつ、残敵掃討を命じて進むアルテミスに、傍で剣を振るっていたアフロディテが

「フフ。随分と逞しくなられましたね。クロノス様が今の貴方を見たら、なんて言うでしょう」

「このお転婆がぁーっ! って言うに決まってます」

 アルテミスは頬を思い切り膨らませて拗ねる仕種を見せるのだが、途端に彼女の顔は暗くなる。そう怒ってくれる父はすでにこの世の人ではないからだ。

「アフロディテさん。何か言いたくても、もう二度と言えないのって……悲しいことですよね。お父様も、お母様も、きっとこの世の人ではないでしょう。貴方のお父上、ケラドスもまた……」

「…………」

 アフロディテはそう言われて、改めて胸の中で拳を握り締める。

 かつて、十二月事件で全ての仲間と愛する人を失ったアフロディテ。遺族から責められ、失意のどん底にあった彼女を支えたのが、養父ケラドスであった。金玉の戦乙女ディオネの娘であったとしても、その彼女を知的かつ強者に育て上げたのは他ならぬケラドスである。

「お父様のためにも、私はこの戦いで勝たねばなりません」

 アフロディテはそう言うと、燃え盛る建物が連なる先に聳える赤き城ガリレウス城を睨む。

「もう一人の父に、このフザけた戦争を始めた文句でも言ってやりますか」

 アフロディテがそう言うと、傍で剣を肩に担いだアルテミスはにこやかに微笑み

「ええ。ここは私たちに任せてください。どうせなら、アティナ様の支援も頼みます。正直、メイスだけでは荷が重過ぎますからね」

「はっ! アフロディテ、これより単独行動に入ります!」

 アフロディテはビシッと直立不動の姿勢を取り、敬礼を決めると、巨大な大剣を肩で背負い、ダッと駆け出した。重たい大剣を背負っていても、一般的な男よりも早いスピードで、アフロディテは道の上を疾走して行った。

「アルティ姉様。行かせてよかったの?」

 煤で頬が汚れたヘスティアがアルテミスの隣に歩んで尋ねると、アルテミスは満面の笑みを浮かべて

「ええ。アティナ様同様、あの方にも父にぶつけたい文句ぐらいありましょう。その言葉を父が聴くチャンスが永遠に失われるのであれば、その前に、叶えさせてあげなくてはね」

「へぇー。大人なんだねぇ、姉様」

「まだまだヒヨっこですよ。これでもまだ雛鳥です。ようやく、鳥篭の開け方を覚えた」

 アルテミス率いるグラウコーピス軍本隊は、アフロディテと別れて残敵掃討を続けながら、王城前広場を目指して進軍した。炎は彼女らを取り囲むようにして広がっており、危険度はどんどん増していた。早く、王城へ突入しなければ。

 

 

 

 そして、その件の王城ガリレウス城の中では……。

「よぉ、クソ親父。久しぶりだなぁ」

「そ、そんな馬鹿なっ?! あ、アティナっ、どうして貴様がここにいる?!」

 まるで幽霊でも見るかのような目をしているジュピネル国王であり、我が父デウシウス。

痩せてはいるが、だらけ切った精神は筋金入りで、調度品を散りばめた服を着こなしたこの男は、私の顔を見るなり愕然とした様子で椅子を倒した。ほか、私の兄弟たちも皆、騒然とした様子で私に目をやっていた。

「はぁーい、元ジュピネル第三王女アティナーデでぇーす。だけどぉ、今はもうサトゥル側の人間なんだよねぇ。どーんなに馬鹿な頭でも、これがどういうことかわかるよね? ね?」

 声色を高くし、どこぞの馬鹿娘のような甲高い発声を行う私の横、ヘルメスが顔色を青くして震えていたので殴り飛ばした。

「ってなわけで、このアティナーデ、クロノス様に成り代わっててめぇらを全員ぶっ殺しに来たんだ! 今のうちに神に懺悔でもしておきやがれ、この外道どもがっ!」

 私は懐に入っていたナイフを取り出して、号すると同時に投げた。ナイフは一番遠くにいた軍参謀の喉に突き刺さり、ジュースのように真っ赤な血を噴出しながら、彼はその場に倒れた。それを見て、皆は恐怖に凍りつき、汗が豊富に滴った。

 しかし、デウシウスは苦し紛れに

「ま、待て、アティナ! い、戦は当に終わったのだ! 我ら戦勝国に歯向かうのは国際法に反する! それぐらい、お前の頭でもわかるだろ?!」

 お前の頭でもって……こいつは。

「何言ってんだ、てめぇ。誰が戦勝国だって? 戦いはまだ終わっちゃいないよ。確かに、貴様らの卑怯な不意打ちでタイタニアは陥落し、クロノス殿は亡くなられた。けどな、その娘のアルテミスが新国王を名乗って戦いを継続されているんだよ!! どぉだ? てめぇが徹底的に犯したいと切望した白玉の剣士に戦争をひっくり返される気持ちは?!」

 私は誇りを持って叫んだ。私が守るべく国王は、今まさにこの都の攻略にその腕を振るっている。そんな彼女を主君としているそんな私に対し、師であり宿敵と言っていい、アイレスが口を開いた。

彼は戦いの現場から身を引いた身ながら、風体は戦場を駆け抜ける豪傑そのもの。胸に散りばめられた勲章は数多く、白髪をビシッとセットし、白い将官服を着こなしていた。その圧倒的な威圧感は冷静に座っててもビリビリと感じ取れる。

「失礼、アティナーデ様。貴方方がアルテミス様を新国王と勝手に決めるのはよいが、戴冠式は済ませたのですかな? 戴冠式を行ってこそ新国王と初めて名乗ることが許されるのですよ? もしされていないのであれば、貴方の言葉は世迷言にしかなりえません」

 さすがは私の師だ。痛いところをついてくる。確かに戴冠式等の正当な王位継承の儀式は済ませていない。もし、それでアルテミスが国王と認められなければ、私たちの行ってきたことは国際法に反することになり、是が非を言わせずに世界政府に潰されるだろう。だが、それも場合によっては可能となるところもある。

「国際法第十七条戦争存続の権利にこうある。都が落ち、次期国王の戴冠式が行えない場合、一ヶ月の間、時期国王は国王と名乗ることができる。タイタニアが落ちて使えない場合、どうやって戴冠式をしろというんだ? アイレス大先生」

「フッ、抜け目なく気づいておりましたか。やはり、貴女を野放しにしたことは間違いだったようですね」

「おいおい、アイレス。そのことを私に教えてくれたのは、ほかならぬあんただぜ? しかも、何度も何度も何度も」 

「おやおや。私がそれを講義で申し上げたとき、貴方は大きな鼻ちょうちんを膨らませて眠っていたはずですが? これは奇怪な」

「し、失礼な!! これでもまじめに勉強してたぞ!」

「フフ。申し訳ありません」

 そんな、どこかしか嬉しそうなアイレスに、私が顔を真っ赤にして叫んでやると、国王デウシウスの顔色はさらに混迷を極めた。久しぶりの師と生徒の再会も、この醜いブ男のせいで台無しだ。私は緩んだ気を強く引き締め、威圧をたっぷりと眉間に刻んで、周囲を睨んだ。

「さてと……まずは誰から死んでもらおうかな?」

「ま、待つんじゃ、アティナ! 無駄な争いはせぬほうがよい!」

 と必死に訴えかける我が父。争い? なぜしてはならんのだ?

「生き残ろうと思うなよ? もうこのイオリアはおしまいなんだよ。表は見たか?」

 と私がニヤニヤしながら窓を閉ざしていたカーテンを開いてやった。私としても、アルテミスとアフロディテがどこまでやってくれているのか知りたかったしな。しかし、そこから見える光景は、私の予想を大きく上回る、まさにこの国の終わりだった。

眩い閃光を発しながら黒い煙をモクモクと上げる市街は、新月の夜のはずなのに昼間並みに明るくなっていた。そんな、灼熱の炎に包まれる華の都に、国王デウシウスも他の者も、目を点にして愕然と佇んだ。私もヘルメスも上手く作戦を遂行しているアルテミスに安堵の笑みを零す。このまま万事上手く行けばいいのだが……。

「タイタニアが陥落するとき、マーズトラス城でこれと同じ光景をクロノス殿は見られていたに違いない。それもこれも、愚かな戦争を仕掛けてきたお前たち、ジュピネルの馬鹿どものせいだ。私は決して許さない……あんなに優しい国王陛下をむざむざと殺しやがって!  陛下のためにも、誰一人として生きてここから出られると思うな!!」

 狂気の篭った声と激しい剣幕によって、アイレスと息子たちを除く、二十二人の人間たちは完全に怯えていた。父はどうしたらよいかパニックになっているようで、挙動不審になってキョロキョロと周囲を見回していた。

一方でアイレスは息子のフォベロスとダイモスとともに席についていた。この三人は未だに冷静を保っているのだからさすがだ。

「お、おいおいアティナ! お前が腹を立てるのはわかるがお前はこの国の人間だ。少しは落ち着けよ」

 と私の兄である男が席を立った。名前は……忘れた。私には大勢兄弟がいるが大して付き合ったこともなければ会ったこともない。こいつが誰で、どういう立場にいるのかさえも、軍人としての人生に明け暮れた私には知らないことだ。いや、こいつの顔には見覚えがある。確か、私の母が血を吐いて倒れたときに……。

「己……母上を助けるために必死だった私の気持ちを、あのときはよくも踏みにじってくれたな。決めた、まずはてめぇから始末してやるよ」

 それからはほんの数秒の間だった。私が剣を振るい、兄の首を跳ね飛ばし、剣にくっ付いた血を吹き飛ばしたのは。兄の頭は高い天井にゴツンと当たり、そのままテーブルの上に落ちて転がった。その首はわずかだが口パクした。

「い、いやあああああああああああ!!」

姉や妹たちが泣き叫ぶ。

「あ、アティナっ! き、貴様は次期国王であり、兄であるガニメロスになんてことをっ! 親の恩も忘れおって、この不忠者めがっ!!」

 恐怖に顔を引きつらせた父がそう叫ぶ。

恩?

 私はそんなもの感じたことがない。

「ふざけんじゃねぇよ、クソ親父!! てめぇが私に何をしてくれたよ!! 疎ましいからってサトゥルに追いやっただけだろうが!! あまつさえ、私の母を強姦して孕ませた挙句に愚弄しやがって!! お前だけは神が如何に親殺しを罰してもぶっ殺してやる! 私はそのために今の今までを生きてきたんだっ!」

 私はきっと鬼以上の迫力を顔面全体に出していたに違いない。父の顔が恐怖を通り越して絶望へと変わっていた。眉は潜まり、老けて皺だらけの目じりには涙すら浮かんでいた。「助けてくれ」と口パクで言っている。娘の私に、普段は偉そうだった父が醜くも命乞いをしているのだ。

 たかが女の私に、国家の主である国王が慈悲を請うのか?

 私は憤慨に両手の拳を爪が肉を裂くまで握り締めた。

「こんな……こんな愚物が私の父なのかっ?! この私の中に流れる血はこいつのものなのか?! ふざけんなっ……ふざけるなぁあっ!!」

 大絶叫とともに振り上げる剣。大粒の涙を浮かべて睨み付ける私の顔を誰もが息を呑んで見つめていた。私が剣を振り下ろすと長い長い長方形型のテーブルが真っ二つに割れた。

「メイスっ!」

「は、はいっ?!」

 不意に鋭い声で怒鳴られ、呆然としていたメイスが怯えた羊のような声を上げた。

「兵を呼べ! できるだけ早く!」

「は、はいっ!!」

 ヘルメスは慌てて王の間を脱出した。もはや私は暴走寸前の馬も同じ。ボロボロと流す涙で顔を汚し、荒い息遣いで肩を上げ下げする私に対し、王の間にいた人間たちは自らが逃げ延びられる方法を必死になって探していたことだろう。目がキョロキョロと動いていた。

しかし、それも束の間のことである。下の階で制圧行動を展開していた百名近い兵士たちの内、十名ほどがヘルメスの声を受けて上がってきたのである。大勢の兵士たちが王の間に乱入すると宴の席はさらに混乱した。

「皆のもの。出口を固めておけ。今からここは虐殺の現場となる。誰一人として逃がすな」

 私は両刃の剣を肩に担ぐと、血に塗れた宴会場の中を歩く。誰から殺害しようか、品定めをした。貴族も軍人も、皆顔を青ざめあせており、我が父に至っては顔面蒼白で、そのままぽっくり逝ってしまいそうなくらいに追い詰められていた。冷静でいるのは、アイレスとその息子たちだけ。

「んもぉ……なぁによ、煩いわねぇ」

 生か、死か。命のやり取りが行われている王の間に、奥の父の部屋から大あくびをした女が姿を見せてくる。胸や腹、太股まで顕にした妖艶な服を着こなした紫色のロングヘアをした女は、私たちの顔を見るなり

「ああ、アティナちゃん。どうしたの? タイタニアが落城したから送り返されてきたの?」

 なんともまぁ、緊迫した空気を破壊するゆったりとした喋り方か。

「……この様子を見て、そう思うのか? 皇后様よ」

「んぅ? あらまぁ、殺しちゃったの」

 彼女は首を飛ばされて死んでいる跡継ぎの姿を見ても、平然とした様子でそう言った。

 とうとう、私は彼女と相対するときがきたのである。恩義は非常に大きいが、それでも、私は母のため、私のため、サトゥルのために彼女と一戦を交えなくてはならない。

「紫電の戦乙女と呼ばれた貴方が、そんなにも能天気で果たしていいものなのか?」

「ふぁーあ。もぉ、昔のことだしねぇー。メティシアがいなくなって、毎日退屈よー」

 私は呆れ帰る。この人はいつもこんな調子だ。低血圧なのか、毎日のほほんと過ごしている。まるでアルテミスのような人だ。

だが、とんでもなく強い。

母のライバルとして、毎日彼女とぶつかり合った女だ。紅玉、金玉、紫電。その中で唯一、デウシウスのことを受け入れたのが彼女である。そのため、今では皇后として巨大な権力を恣にしていた。

「んうー。察するに、アティナちゃんは陛下を殺すためにここまでやってきたっていうことなのね?」

 そう尋ねられて、首を横に振るわけには行かない。

「ああ、そうだ。母のために。サトゥルのためにな」

 私はそう返した。

「なるほどぉ。それじゃあ……」

 ヘラはそう言うと、王の間の隅に置かれている剣を手にする。

「私が相手しなくちゃいけないかなぁ?」

「あんたを敵に回すのは怖いが、是非もない。五年前の約束、きっちり果たさせてもらおう」

 私はそう言って剣を構える。ほかを殺すのはまず後だ。この女を殺さない限り、父に死を与えることはできないだろう。逆に、私がヘラに殺されてしまうことにもなる。正直、この女を相手にするのは怖いところではある。何せ、母の親友で同僚、戦友だったのだから。

 逆を言えば、この人を倒せれば、私は母に並ぶことができるだろう。母を越えるには、彼女に勝たなくてはならない。

 ヘラは剣をダラリと下に下げつつ、私との間合いを計ってくる。この女はのほほんとしていて、顔に感情をあまり出さないから踏み込みにくい。だが、その釣りあがった目は確実に私の感情を見抜いている。私が気持ちを動かせば、その瞬間にやられる。

「フフ。ちょっとは成長したかなって思ったけど、どぉも、違うようねぇ」

「ああ、そうかい」

「でもぉ、顔つきは良くなったわ。今の貴方はメティシアそっくり」

「ありがとう。私は母に近づき、やがては越えることを目標にしている。その言葉は最高の褒め言葉だ」

 私はそう言って剣を振り上げた。そして、彼女目掛け、切りかかろうとしたそのとき。

「ちょっと待ったぁ!!」

「…………」

 今度は何だよ。

 私は青筋を浮かべて兵たちで固めている出口へと目を向けた。だが、そこにいる人物に目を向けた瞬間、私の顔が微笑みに変わった。

「はぁー……はぁー。流石の私でも、ここまで来るのは流石に骨が折れるわ」

 そこには、街の攻略を行っているはずのアフロディテがいた。長いこと、炎に当てられたのだろう。彼女の自慢の金髪は、平時以上にぼっさぼさになっていた。頬や服には煤がこびり付いており、体のいたるところに返り血と思える黒い塊がくっついていた。

「お姉様……。どうしたんですか、こんなところまで。ってか、アルティのほうは?」

「お姉様? サトゥルの王族なのかしら」

 ヘラが剣を一度鞘に納めると、私も静かに剣を治めた。

 彼女には違うといってやりたかった。きっと、真実を知れば、ヘラは私同様にアフロディテに世話を焼きたくなるだろう。きっと、私のときみたいに、ディオネの使用していた甲冑でも持ってくるのかもしれない。

「あっちは大丈夫そうよ。むしろ、大暴れしすぎて手がつけられなくってね。私がいなくても大丈夫そうだったから、父の顔を拝みにきたってわけ。父の顔を見ずに殺されたんじゃ、流石にあれかなって思って」

 アフロディテはそう言うと、王の間に入ってくる。大剣はどこかに置いてきたのだろうか。彼女は手ぶらだった。

「で? 件の父君は?」

 と、アフロディテがそう言うので、私はヘラとの一騎打ちを一度置いて、デウシウスのほうを指差した。彼はいきなりの乱入者にぽかんとしており、彼以外にも突拍子もなく現れたこの小娘に唖然とした表情を向けていた。あのアイレスですら、ぽかんとしているのだから、アフロディテの力は凄いものだ。

「なるほど」

 アフロディテはポンと手を叩いた。かと思えば、アフロディテはポカンとしているデウシウスの前できちんと跪き

「お初にお目にかかります父上。我が名はアフロディテ。貴方と、金玉の戦乙女ディオネ=ティタンの娘です。貴方に孕まされた後、我が母はサトゥルへ亡命し、私を産みました。現在、私はサトゥルで新聞記者をしております」

「でぃ、ディオネだと?!」

 デウシウスはまさに晴天の霹靂にあったような顔をして顔を青ざめさせた。

「あらまぁ。でも、そう言われれば……」

 ヘラはにこやかに笑う。

「いや、驚いた……。まさか、ディオネ殿にお子がいたとは……」

 アイレスも目をぱちくりさせている。そんな師に、私はほくそ笑んで

「ああ。私も最初は驚いたさ。だが、確かにお姉様はディオネ殿の子だよ。甘く見ると死ぬぜ、アイレス」

 私が誇りを篭めてそう言うと、傍らで佇んでいたヘラが艶かしい唇に指を当てて

「なら、そっちのアフロディテちゃんは私が面倒を見ようかしらね」

「なっ?! ふざけんな! あんたの相手は私だ!! てめぇを倒して母に並ぶ!!」

「フフ……。口だけは成長したようね。でーもー、貴方には別にふさわしい相手がいるわ。だって、貴方の成長を見たそうな顔をしてるんだもの。ねぇ、アイレス?」

 ヘラがそう言ってアイレスを見ると、彼はにこやかな微笑を浮かべ

「流石は紫電の戦乙女。私の心を読まれてしまったようですな」

「フフ。まぁねぇー」

 ヘラはニッコリと笑ってみせる。

「ということでアフロディテちゃん。私の相手をしてもらうわ。死ぬ覚悟ができたら、私に着いていらっしゃい? 私は紫電の戦乙女ヘラ。貴方の母ディオネの親友よ?」

 ヘラはそう言って王の間を出て行こうとする。兵たちが慌てて止めようとするのだが、ヘルメスがそれを制した。ヘラを強引に止めるのは危険すぎると判断したのだろう。それはいい判断だ。

「アティナ。ここは任せる。頑張って」

 父の前で膝を突いていたアフロディテは、スッと立ち上がったかと思えば、私の肩をポンポンと叩いて笑顔を向けてくる。その目は一切合財物怖じしていない。むしろ、最高の相手を見つけたような目をしていた。

「ええ。ヘラは私でも倒すのが難しい相手です。貴方も気を抜かず、頑張ってください」

「ありがとう、我が妹。貴方こそ、死ぬんじゃないわよ?」

「はい。でも、そっくり貴方にお返しします」

「うん」

 アフロディテはニコッと笑って王の間を出て行った。立ち去る際にガチャンという音がしたので、彼女の大剣は王の間傍の壁にでも立てかけていたようである。果たして、紫電の戦乙女にあの大剣が通用するのかは不安なところである。

「……アイレス」

「ええ。こちらは準備できておりますよ」

 アイレスはそう言うと、傍らに立てかけていた剣を抜き、私の前に立った。暫く剣は握っていないはずだろうが、それでも彼から発せられる威圧に私は身が竦む思いがした。彼は戦術のプロとして扱われているが、剣の腕もピカイチなのである。気を抜いたら間違いなく殺される。

「メイス。お前たちは他のものが手を出さないように見張っていろ。この勝負に水を差すことは絶対に許さん」

「はいっ! 任せてください!」

 ヘルメスはポンと胸を張り、王の間出口を固める兵士たちとともに、デウシウスやフォベロス、ダイモス以下王族、貴族、軍人たちが変な行動に出ないように監視を強めた。その中で、デウシウスは祈るような気持ちでアイレスの勝利を願っていた。

 

 

 

 一方、その頃。

「はぁ……はぁ! フロディアさんはなんとか王城に入れたのでしょうか!」

「だといいですけど……」

 アフロディテと分かれ、市街戦を繰り広げるアルテミスと、彼女に付き従うヘスティアは、大勢の兵士と市民の屍で入り乱れた王城前の広場にやってきた。王城にはまだ炎は燃え移っておらず、未だにその荘厳な佇まいを残していた。だが、そこへの突入は行わない。

「あと、どれくらい敵はいるのでしょうか!」

 アルテミスは肩を激しく上下させながら、荒々しい声を上げた。彼女の体は血と煤でどっぷり汚れており、純白のお姫様風貌は垣間見えなくなっていた。

「兵員の被害を至急確認して教えて頂戴。敵の反撃も考えて、この広場に陣を敷きます」

 広場は南北大通り、東西通りが交差するポイントで、背後には王城への門がある。その門を背に、前と左右からの攻撃に備えられれば、なんとか凌げるだろう。

「敵の屍を土嚢に見立てなさい! 急いで!」

 アルテミスは広場へ通ずる道を忙しなく確認しながら兵たちを叱咤した。建物という建物は燃え盛っているので、その中からの狙撃はないだろうが、総力を結集したジュピネル軍がこちらへ向かって来る可能性は大いにあった。

「アルテミス様、兵力は残存千百三十名です! 戦死八十五、負傷四十!」

「了解。まずまずです」

 アルテミスは速やかに残った兵員で陣を形成すると、先頭に槍隊、続いて剣兵を配置した。弓はすでに弾切れとなっており、持っていなかった。

「ティア」

「は、はい!」

「貴方にサトゥルの旗手を命じます。私の隣に立ち、サトゥルの旗を掲げ続けてください」「え?! で、でも……」

 グラウコーピス軍には旗を翻す旗手がきちんといる。だが、今では戦える人間は一人でも配置に着かせたかった。そこでアルテミスはヘスティアに旗手を命じた。戦いになっても剣すら振れない彼女にこそ、旗手の任務はピッタリなのである。

「いいから、早く!」

「は、はひ!」

 アルテミスの勅命を受けたヘスティアは、グラウコーピス軍の旗手から旗が取り付けられた棒を受け取ると、その柄頭を地面に立て、彼女は棒を握り締めてそれを安定させた。現場には炎による強風が吹いており、旗は大きく靡いた。

「その調子ですよ。そのまま維持してください」

「は、はひ!」

「間違っても、その旗に泥をつけてはいけませんよ?」

「は、はひ!」

 ヘスティアは涙目で全神経、全筋力をその旗に集中させた。

「アルテミス様! 前方よりこちらへ迫る敵影があります!」

「なんですって?」

 ヘスティアをそのままに、アルテミスは仕官に呼ばれるがまま、最前線の屍でできた土嚢の裏まで歩く。そこから南北大通りを臨めば、確かに炎で包まれた家屋の間を縫うようにしてこちらへと迫ってくる影があった。しかも、大急ぎで。先頭は、どうやら騎馬隊のようである。

「不味いですね。相手は騎馬隊を所持しているようです」

「増援なのでしょうか?」

「おそらく、戦果報告などで戻ってきた部隊なのでしょう」

「どうしますか?」

 相手は勢力総数不明ながら、騎馬隊を所持している。それを倒すには矢が必要だったが、生憎、全て使ってしまい、矢は手許に残されてはいない。

「火炎瓶は用意できますか?」

「いいえ。油はありますが、瓶のほうが……」

「そうですか……。油はどれぐらい?」

「樽一つ分くらいは……」

「……妙案があります」

 すると、アルテミスは兵たちに命じて残された油を、南北大通りを横断する形でぶちまけさせた。そして、自らは剣を握ってぶちまけられた油の傍、燃え盛る建物の影に隠れ、剣を振り上げた。その彼女の耳には、パカパカと馬蹄の音が聞こえてきていた。

「今だわ!!」

 その音が十分近くなったところで彼女は剣を振り下ろす。すると、石畳の道の上にぶつけられた刃は火花を放ち、その火花が油を燃やす。油は一瞬で轟々と燃え上がって走ってきた馬を驚かせた。

「うわぁ!」

「ぐっ!」

 馬が驚き、前足を大きく上へと持ち上げるので、その上に跨っていた兵士たちは驚き、次々に落馬した。その彼ら目掛け、アルテミスが切りかかる。不意を打たれた格好となった敵騎馬隊の兵士たちは、体勢を立て直すこともできずに次々にアルテミスの刃の餌食となった。いかに馬と言えど、目の前で燃え盛る炎を前にしては、平常心を保つことはできなかったわけである。

「くっ! 城は目の前だ! 馬から下りて前進しろ!!」

 敵の将と思われる男の声が響く。それを聞いたアルテミスは一度退却。燃え盛る炎の壁の上を飛び越えて陣地へと戻っていった。その彼女を追いかけるようにして火の壁をジュピネルの兵士たちが飛び越えてくる。だが、その彼らの前で待っていたのは、鉄壁の陣であった。

「ハディス様! 大変でございます!」

「敵が! 敵が広場を!!」

 そう兵士たちに言われて火の壁を飛び越えた男は、眼前に広がる光景を見て目を丸くさせる。普段は一般人で賑わっている王城前広場はサトゥル軍千百名によって占拠され、ジュピネルの民たちは屍となり、土嚢代わりにしようされていたのである。

「こ、これはなんだ? 何があったんだ?!」

 紫色の鎧を着こなした彼は怒号とともに剣を抜く。

 彼の名はハディス。私のすぐ下の弟で、ヘラの息子だ。

「ジュピネル王家の方とお見受けいたします」

 そんなハディスの前に立ったのはアルテミスだ。彼女は王女らしく、ロングスカートの裾を軽く持ち上げ、ペコリと頭を下げた。

「私はサトゥル前国王クロノスが娘アルテミス。現在、サトゥルの新国王に就任しております」

「サトゥルの新国王だと?!」

「ええ。今、王城の中では貴方のお父上を殺そうと、アティナーデ様が暴れられております。よって、貴方方を通すわけには参りませんの。どうしても通ると仰せならば、力づくでお通りくださいませ」

 まるで相手を嘲笑するような、ニヤリとほくそ笑むアルテミス。すると、ハディスは顔を赤黒くさせて剣を構えた。続々と火の壁を飛び越えてくる兵士たちも将が武器を構えているので速やかに同調する。対するアルテミスたちも鉄壁の陣を維持したまま、武器を構えた。

「……やはり、あの赤姫を野放しにしたのは間違いだったようですわね」

「ええ。貴方のおっしゃるとおりでした」

 一触即発の最中、怒気に満ち溢れた顔をして剣を構えるハディスの隣に、ゴージャスな鎧に身を包んだ女が降り立った。彼女は白金に金細工を散りばめた姿をし、その真っ白なロールヘアを炎の前でユラユラと揺らしている。

「っ?!」

 その顔を見て、アルテミスの顔が凍りつく。

「まさか、貴方のような方がここまでやってくれるなんて……。とんだ伏兵がいたものですわね」

「ふぇ、フェルセポーネお姉様っ?!」

 アルテミスの前に立つのは彼女の実の姉であるフェルセポーネであった。彼女は剣を抜き、顔を青くさせたアルテミスにその剣先を向ける。

「デウシウス様が貴方の体を望まれなければ、貴方はタイタニアで死んでいたでしょうに……。まったく、嘆かわしい」

「ええ。全くです」

 フェルセポーネ、ハディスは揃って武器を構える。その後ろに続々とジュピネルの兵士たちがやってきて、武器を構えた。その数はおよそ二百。兵力では随分差があるが、彼らに恐れの文字は無い。むしろ、都をこんなにされて怒り狂っている様子さえ感じ取れた。

「な、なぜですお姉様?! どうして貴方がジュピネルの王族と一緒にいるのですか?!」

「簡単なことよ。私はこのハディス様をお慕い申し上げておりますの」

「貴方は……祖国を裏切ったとでも言うのですか?!」

 いつになく怒号を飛ばすアルテミス。その彼女に対し、フェルセポーネは冷淡な笑みを溢す。

「あんな国、滅んでくれて清清しているのですわ」

「なっ?!」

「あの国がある限り、私は政略結婚の道具として扱われる。ハディス様と一緒になることが適わない。だから、あんなフザけた鳥篭は破壊してやったのです。私が自由になるためならば、あんな国、何の未練もございませんわ」

「貴方って人はっ!」

 フェルセポーネの言葉に、アルテミスは愚か、その後ろに控えているグラウコーピス軍でさえ怒りがこみ上げてきた。サトゥルの旗を翻すヘスティアでさえ、胸に湧き上がってくる怒りと憎しみは凄まじいものになっていた。

「フフ。私の工作があったからこそ、ジュピネル軍はタイタニアを攻め滅ぼすことができたのですわ。私がその日ばかり門の守りを薄めたり、商人に偽装したジュピネル兵を先導したり、色々としてあげたから」

「……そう。では、貴方こそがタイタニアで亡くなった大勢の方々の仇というわけなのですね?」

「ゴミに等しい方々など、私の知ったことではありませんわ」

「己ぇっ!」

 アルテミスは二つの剣を振り上げて彼女に切りかかっていく。だが、その彼女の前にハディスが立ち、彼はアルテミスによって振り下ろされた二つの剣をいともたやすく受け止めた。

「アティナーデ様ならまだしも、貴方のような温室育ちののほほんとしたバカには私たちは倒せませんわよ?」

「ええ。その通りです!」

 ハディスはニヤリと笑ってアルテミスに蹴りを加えた。彼女の腹を直撃したハディスの金属製のブーツの衝撃は凄まじく、彼女は大きく飛ばされて石畳の上に何度も体を打ちつけた。

「けほ……ケホケホ!」

 唾液を吐き出し、ヨロヨロと立ち上がるアルテミス。

「お、己っ! アルテミス様をお守り申し上げろ!」

 そう言ってグラウコーピス軍全兵が沸き立って立ち上がる。だが、その彼らに向けてアルテミスは剣を振った。

「手出し……無用に願います」

「し、しかしアルテミス様!」

「あの二人は、私が倒さなければなりません。タイタニアで苦しみ、死んでいった大勢の民たちのためにも。サトゥルとなった私が倒さなくて、誰が倒すのですっ!」

 彼女は痛む腹を押さえながら、その二つの剣をハディス、フェルセポーネへと向ける。

「いい心意気ですわ。ハディス様、兵たちには手出し無用と」

「ええ。わかりました」

 ハディスはフェルセポーネに素直に従い、武器を構える兵士たちに戦闘態勢解除を厳命した。先程の一撃を見て安心したのだろう。ジュピネルの兵士たちは素直にそれに応じ、それぞれの剣を鞘に収める。

 国王の間で……。

 城の中で……。

 そして、王城前広場で……。

 三人の戦乙女たちの最後の戦いが、こうして幕を開けた……。

 

 

 

 


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